「洗濯物」

悠々荘の閑話:藤堂真一・天沢杏奈




朝食を片付けたあたりから、ぽつぽつと雨が降り出した。

「あちゃー」

どかりと部屋の中央で座り込んだまま、額に手を当てて呻く杏奈。
汚れた食器を片っ端から食器洗い乾燥機へと放り込みながら、俺も窓の外を一瞥する。
確かによく雨が降っていた。梅雨はついこの間、明けたばかりだと思っていたが。

「帰ったら洗濯しようと思ったのに。ねえ真一、あんたの洗濯機貸してよ」
「……どの洗濯機を使おうと、干す場所がないことには変わりないだろう」
「あ、それもそっか。そんじゃ私、ちょっと部屋から洗濯物取ってくるから」
「人の話を少しは聞け」

言うが否や部屋から出ていこうとする馬鹿の腕を掴む。つんのめりかけた杏奈だが、持ち前の運動神経を駆使し、転倒することは避けてみせた。
……1度転んで、頭を打てば少しはまともになってくれないだろうか、こいつ。

「いやいや真一。もしかしたら真一の洗濯機ならなんかこう、奇跡みたいなのが起きるかもしんないじゃん」
「馬鹿か」
「まあ冗談はともかくとして、どうしよっかなぁこれ……。結構溜めちゃってるのよね、洗濯物」
「お前にしては珍しいな。そういうのはマメにやっていると思っていたが」

途端、杏奈の目が輝く。……何故この馬鹿は、俺が何らかの話題に乗っただけで喜ぶのか。

「んふふー。さすがの真一も、私のことを完全把握とはいかなかったみたいね」
「まずその気持ち悪い笑い方をやめろ。あと何が“さすがの”だ」
「え? んー、簡単に言えば杏奈ちゃんマスター?」

返答の代わりに軽く膝を狙ってやった。瞬時にぴょんと飛び跳ねてかわされた。

「さっすが真一、無言で攻撃とはね。でもまだ甘いっ!」
「……頭のどこをはたけば貴様のテンションは元に戻る」
「何言ってんの、これ素だけど」
「もしそうだとしたら、俺はお前の言う“杏奈マスター”とやらに称されるほど、お前と付き合っていくこともなかったな」
「そう? なんだかんだ言って、誰が相手でも真一なら仲良くしてくれると思うんだけど」
「そもそも仲良くしている記憶もない」
「相変わらずだねぇ。あ、でも誰が相手でもっていうのはちょっと癪かなぁ……。よし、そんだけ真一は私のことを愛してくれていると」
「どっかに沈めお前」

食器は全て放り込んだ。スイッチを押し、台所スペースから部屋へと戻る。
妙にハイテンションでなんかくるくる回っている馬鹿には視線も遣らず、テレビのリモコンを探した。
……探すまでもなく、テレビの横の小物入れに入れているのだが。
そしてその小物入れを押し付けてきた輩は、とんっ、と俺の前に飛び座る。

「で、結局さ、洗濯機は貸してくれるの?」
「貸す理由がないだろう」
「ちぇ。あんたの洗濯機ってさ、乾燥機能とかついてないっけ?」
「簡単なものならついてるが、使うと服が皺だらけになるぞ」
「試したことあったんだ」
「お前のような状態に陥った時にな」

あれは不覚としか言いようがない。結局、その時は洗濯物を部屋干しすることとなり、1日中、室内に妙な匂いが漂っていた。
それをまだ記憶しているからこそ、杏奈が冗談以上に困っているのは判っている。
……さて。
俺はこいつに、何か貸しがあっただろうか。今更、建前が必要か否かは別として。

「んー……」

窓から曇天を見上げ、憂鬱げに息を吐く杏奈。
もしこの場に彩音やら白石さんやらがいたら、きっと俺はもう少し追い詰められていたのだろう、とふと思った。
その方が、分かりやすい状態ができてよかったのかもしれない。
……ああ、でも。
どっちにしても、やるべきことは同じか。

「杏奈」
「なにー?」
「そんなに洗濯したいなら、コインランドリーにでも行けばいいだろう」
「どこにあるか知らないし……」
「……、俺の知っている場所で良ければ案内するが」

途端、ぴょんと跳ね起きる杏奈。

「マジ!? っしゃちょっと待っててすぐ取ってくるから!」

声が途中でブレていた。嵐のような馬鹿が視界から消えた。と思ったら1分もたたずに服を籠ごと持ってきていた。
さっきまで溜息をついていた人間と同一人物とは思えない、爛々と輝く瞳。
今度は、俺が溜息をつく番だった。

――どっちも慣れ、ではないだろうか。

俺がどういう態度を取るとか、杏奈がどういう反応を見せるとか、もしそれをお互いに熟知していたとしたら、こいつのこの反応は明らかにおかしい。
オーバーリアクションである可能性も否めないが、台風のようなパワーを見せつけてくるほどに、俺の言動は奇異だっただろうか。

「あ、ついでに傘も持ってきたから! 相合傘やろうよ相合傘!」
「……貴様は勝手に濡れていろ」

単純にはしゃぐ様子は、1年前から変わらない。
髪を掻きながら肩を竦めなければならないのも、また然り。
奴が玄関から外に出るのを目で追いながら、下駄箱に引っ掛けておいた傘を、ひったくるようにして取る。

「で、ランドリーってどこ? というかなんで真一知ってんの?」
「以前、大宮が来た時に場所を案内したからな」
「あー、なるほど。え、あんた夕夏にそんなことしてたの!?」
「……そんなにおかしいことか、それ」
「いやおかしくはないけどさ……。あんたにしちゃ珍しいっていうか、なんだかんだ言って真面目にやってんだなー、って驚いただけ。まっ、真一だからしょうがないかっ!」
「相変わらずお前の言うことはよく分からん」

今も、昔も。
その一文だけで、肩に込められた力が抜けていく。
……ああ、うん。
こいつはずっと馬鹿でいい。
その方が疲れるけど、困ることはない。



執筆年月:2012/07/04

←51話「不憫」へ 53話「プールV(3)」へ→

 
inserted by FC2 system