「プール」 生徒会争乱物語:神野椿・長森凛 鮮やかな青空がぐんぐんと伸び、これでもかと太陽が煌めく、暑い夏の日。 たまには運動してみよう――と思ったものの、汗だくになりながらの屋外運動は嫌だなと考えた神野椿は、近所の市内プールに赴くことにした。 椿がどこかに行く度にくっついて来る、双子の姉・神野楓は、朝から姿を消していた。携帯電話に「今日は家空けるから」とメールが来ていたので、心配する必要はないだろうが。 タオルに何度、汗を染み込ませただろうか。カウントするのも億劫になって来た頃、ようやくプールに到着。 自動ドアをくぐった途端、吹き込んでくる冷気に安堵の息を吐きながら、受付を探そうと左右を見渡し、 「……あ」 知った顔を見つけた。 見つけた瞬間、なんでその発想がなかったのかと、数分前の自分に疑問を思う。 ロビーの右手側、水着や水泳帽の売り場に、一人の少女が立っていた。 おそらく商品棚を眺めているのだろう――が、遠目から見たらぼーっとしているようにしか見えない。 存在感も希薄で、もし椿が入口から脇目も振らず受付へと向かっていたなら、彼女には気付かなかっただろう。 「んー……」 椿は少しだけ迷う。 なんとなく左右を見渡すものの、他に見覚えのあるものはなかった。 しばしの後、椿は意を決して歩きだした。 「凜さん」 「……?」 水と氷が混ざったような涼しい目が、こちらを向く。 ホワイトのノースリーブに水色のホットパンツ。微かに見える日焼けの後や、服の上からでも分かる引き締まった体が、運動家であることを示している。 それでいて、全体的に細く、男子として低身の椿よりも一回り小さな姿が、女の子らしさを醸しだしていた。 「こんにちは」 「……ああ」 椿が挨拶をすると、彼女――長森凜は、初めて椿に気付いたとばかりに手をポンと叩き、僅かに口角を上げた。 「もやし」 「……だから僕は神野椿ですってば」 「もやしはもやし」 「やめてください」 「あだ名」 「あだ名のつもりだったんですか……」 この分だと、自分の名前を覚えてくれているかも怪しい。 しばし無感動な目で椿を見上げていた凜は、ふと辺りを見渡した。そして、少しだけ――本当に少しだけ、嬉しそうな顔をして、一歩、前に出る。 「泳ぎに来たの?」 「あ、はい……まあ」 「泳ぎに?」 「プールですし」 プールに来てバドミントンをする人はいないだろう。もっとも、椿の周囲には変人しかいないから、何事も断言できないけど。 「もやしは泳げる?」 「もやしは泳げないと思います」 凜はちょっとだけ唇を尖らせ、何故か悔しそうに言った。 「……神野椿は、泳げる?」 「少しだけなら」 そう、と呟き背を向ける凜。商品棚から無造作に水着を取り、レジへと向かう。袋に入れてもらうこともなく、彼女は身を翻し歩いて行く……かと思いきや、椿の一歩手前で止まった。 「泳ご」 「……へ?」 自分に向けられた言葉だと気付くまで少しの時間を要した。 誘われた、と知った時には、凜は既に歩き出していた。 「……うーん」 椿が今日――父や母、家を空けた姉や、他の友人を誘わず一人で来たのは、たまには一人もいいかなと思ったから。 いつも騒がしい人達に囲まれてるのも楽しいけど、一日くらいはストイックになってもいいかな、という気分転換だったのだ。 けれど、椿は凜と会った。 普段は顔を合わせるのも稀な相手に。 そして、いつも一人で泳いでいると考えられる凜に、誘われた。 「よし」 線が細い背が消える前に、椿は早足で凜の隣に並ぶ。 どうせ今日はいつもの一日にはならないのだから。 |
執筆年月:2011/07/30
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