「幽雅咲佑」

生徒会争乱物語:幽雅咲佑
(第2章公開前キャラ紹介小話)






熊と遭遇した時の対処法、という話を、誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。

ポピュラーな物は“死んだフリをする”というものだが、これは実は危険として推奨されていない。
なぜなら熊は好奇心が強い生物で、たとえその場で倒れたところで、「これはなんだろう」と噛み付かれることがある。

では何が正解なのかと聞かれれば、ひとえに「これで絶対に生き延びられる」とは断言できないが、一般的には“静かに後ずさる”あるいは“持ち物を投げて熊の気を引く”とされている。
人間の存在を感知させるため、鈴などを鳴らす(熊は聴覚に優れている)というものもあるが、“人間=美味しい餌”と認識した熊が相手だと、「おっしゃ人間だ食うぜー」となることもあるので、必ず最善とは言えない。

そしてこれらの対処法には、“人間は熊に叶わないから、何とかして逃げろ”という最前提がある。
熊の腕力はトタンを破壊し、人間の頭蓋骨を削るほどに強力で、脂肪も厚く、武器を持っていない人間が叶うものではない。
よく「俺は熊に素手で勝利した」という武闘家がいるが、そんなのは所詮、漫画やゲームの世界だろう。

故に、人間は熊を恐れる。
この世界でも、能力を使ったところで意味がないことが多い。
燃やそうにも凍結させようにも厚い脂肪に阻まれ(能力指数が化物クラス:百二十以上ならまだしも)、不意を突こうにも一撃で討伐できなければ意味がない。逆に怒りを買ってご臨終だ。
だからこそ、熊への対処法が数多く編み出されたり、対熊用の自衛道具(スプレーや猟銃など)が開発されたりするわけだが。

では、身長が小熊よりもちょっと高い程度の、高校生平均と比較すれば明らかに小柄と言わざるを得ない男子高校生、幽雅咲佑はどんな反応をしたか。

恐れるのでも、パニックに陥るのでも、決死の覚悟を決めるのでも、喜ぶのでも、嘆くのでも、戦慄くのでもない。

「ツキノワグマかよ、つまんねー」

文句を垂れた。

「熊の肉ってマジィんだろ? いやカレーとかで使われたりすっけどよ、あれはああやるからうめぇんだろ。臭くて食えるか熊肉とか。てか臭っ、お前臭っ!」

ぶつぶつ言いながら鼻を摘む佑に、ツキノワグマ――見たところ大人の個体と思われる毛むくじゃらの獣は、ぱちくりと瞬いた。
人間なら「何言ってんだこいつ」という反応だろうか。
あるいは、人間を見たことがなくて驚いているのか――佑にとっては、どちらでもよかった。

「まあいっか。おいツキノワグマ……言いにくいなちくしょー。ツキノワグマだから、ツキノ、ツキ……あーめんどくせー熊でいいや。おい熊そこをどけ。俺はこの先の道に用があるんだ」

ちなみにここは、坂之上高校がある町からかなり離れた山の中。
規模としては大したことないが、木々が鬱蒼と茂り、手ぶらで登山するのは無謀というレベル。
そこを――佑は、何も持たず体一つで歩いていた。
登山道を、ではない。
道と呼べるかどうかすら疑わしい獣道を。

「ちっ、どけてくんねえか。いーかもう一度だけ言うぞ。そこをどけ熊」

それでも反応を返さない熊に、佑はしょーがねーなと頭を掻いた。
次の瞬間、





だんっ! と彼は地面を蹴った。
くしゃり、と枯れ草が音を立て、熊がそれに対して何らかの反応を返す前に、彼の右腕が毛むくじゃらの胴体を貫いていた。





「ぎゃは、ぎゃははははははは!」

熊の呻き声をかき消すほどに、哄笑する。

「人間は熊様に勝てねえ? 熊にあったら即逃げろ? そりゃ何世紀前の話だよ。時代研究なんざ時代遅れなんだよバーカ!」

熊を貫いた右手を引っこ抜き、佑は色彩の濃い舌でそれを舐めた。
直後、うげっ、と不快そうに顔をしかめる。

「やっぱ臭いしまじぃな熊って。どうせ人間様に食われるんだからよ、もうちょっとヘルシーになろうぜ。あー臭ぇ、どっか近くに川とかねえかな川」

きょろきょろと周囲を見渡していると、どすん、と地面が響くような音。
胴体を貫かれた熊が、倒れ伏せる音だった。

「あ、おいこら熊コロ、倒れてんじゃねーぞ! 邪魔だ、っつってんだろうが!」

それを佑は蹴り飛ばす。
普通、人間が熊を蹴るとなると、蹴った足の方が折れるものだが――熊はまるでサッカーボールのように、軽々と吹き飛んでいった。
いくつかの木を巻き込み、連鎖的にベキベキボキィ! と派手な音を立て、ようやく絶命することを許される。

「あー、運が悪いなぁ俺ってば。きっと今朝の占いじゃビリッケツだったんだろうぜ、俺の星座」

んなこと知らねーけどな、と佑は吐き捨てた。
無理もない。彼は――三日前からこの山に篭っているので、テレビなんか見ていないのだ。
山に篭っている理由は単純。学生をやっているより、こういう野性的な生活を送る方が楽しいからだ。
もっとも、そのせいで欠席が増え、ついこの前には先生と家族に注意されたばかりだが。

「ちぇ。ん、待てよ。ツキノワグマがそこにいたってことは、どっかに群れがいるかもしんねえってことだ」

汚れていない――もっとも、綺麗とも言えないが――左手を顎に当てながら、佑は思考を巡らせる。

「きーめたっ。そいつら全部、殺して焼いて食ってやろ」

うまいか知らねえけど、と思いながら、佑はすたすたと歩いて行く。



執筆年月:2011/02/13

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