「対価価値」

悠々荘の閑話:藤堂真一・天沢杏奈・月神楽瑞華






白石さんが「Sleeping Cats」でアルバイトを再開してから、1週間ほど経過した頃。
当然のように、杏奈が様子を見に行こうと騒ぎ始めた。
それに便乗して瑞華も乗り気だったので、俺たちは翌日の学校帰り、喫茶店に立ち寄ってみた――立ち寄ってみた、というには遠すぎるのだが。

「なんか、美穂子さんも貫禄がついてきてるよね」

偶然、白石さんにオーダーを頼んだ俺たち。
並べられた軽食を前に、杏奈が子どもの成長を見守っている大人のように呟く。

「私の中じゃ、美穂子さん=怠けてる人、ってイメージあったからなぁ。ちょっと焦るかも」
「お前が焦ってどうする」
「何もしてない人が何かやりだしたら、どうしても焦るって。もうちょっと勉強しないとまずいのかなぁ」
「……白石さんに関係なく、お前の学習時間は増加すべきだと思うが」

10分で根を上げる物を、受験勉強とは呼べないと思う。

「杏奈先輩だからしょうがないと思います」

と、静かにコーヒーを啜るのは瑞華。最近、俺に影響されたのか、こいつは大人な黒い液体を好んでいる。
口に運ぶたび、僅かに顔をしかめているのだから――素直に紅茶やココアで妥協しろ、と言いたくなる。
というか、以前1度言ったのだが――「真一先輩が好きな物、私も好きになりたいですから」と返された。
微妙に赤面したのは秘密だ。

そこまでコーヒーは好きでもないのだがな……と、瑞華とお揃いの飲み物を喉に通す。

「だからといって、今の怠惰な状況を許容するわけにもいかないだろう。白石さんの行動に影響されるというのなら、それでもいい。少しは改善しろ」
「ちぇ。じゃあさ真一。その代わりに、遊びに連れてってよ」
「……対価じゃないだろう、それは。そもそも、直接の関わりがない」
「あるって。勉強する代わりに遊びの約束。面白そうじゃん」

それで面白いのはお前だけだ。どうせ俺は振り回され、必要以上の疲労を強いられるのがオチだろう。

「ギブアンドテイク、なんちゃって」
「いいと思います、私は」

だが、瑞華が悪乗りしてきた。

「ということで、真一先輩」
「嫌だ」
「嫌と言われてもついていきます」
「お前は関係ないだろう」
「あります。真一先輩と……一緒に、いたいですから」

……誰かこの恋する乙女を止めてくれ。毎度毎度、被害が甚大だ。主に俺の精神的に。
そして、ケラケラと笑う杏奈への殺意を止めるのも、毎回大変だ。
本当に。どうしてこいつらは、俺に疲れることばかりさせるのか。

「あはは。モテモテだねえ真一は」
「誰がだ。……そもそも、瑞華から一方的に好意を向けられているだけで」
「2人だよ」
「……何がだ」
「私と瑞華ちゃん」

帰れ、と俺は呟いた。帰らない、と律儀に返事された。
瑞華の顔が少しだけ引きつったのを俺は見逃さなかったが、何か言ったところで厄介事を引き込むだけなので黙っておいた。

「モテてるだけ、ありがたいと思ったらいいじゃん」
「それはお前らが勝手にやってることだ」
「で、その見返りが遊園地」
「話を聞け。それといつ遊園地が確定した」
「前に彩音と行ったんでしょ? じゃあ私たちと一緒に行ってもいいじゃん」

こくこく、と瑞華が無表情で頷く。
何か、心を圧迫させるオーラが見えているのが若干ながら恐ろしい。
だんだん、主導権を奪われつつないか、最近の俺は?

「……まあ、息抜きに遊ぶという行為は否定しないがな」
「おっしゃ、ナイスツンデレ」
「ガッツポーズを取るな。……まったく」
「ありがとうございます。今度、何かお礼をします」
「ああ」

対価価値。
対等立場。
それが逆転されなければいいのだが、と危惧を抱いた。

おそらく、それは杞憂なんだろうけど。



執筆年月:2010/10/29

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