「蝉が鳴くからここは夏だ」





――公園――
北条加蓮「お待たせ藍子。オレンジジュースでよかった?」
高森藍子「ありがとうございます、加蓮ちゃん」プシュ
加蓮「んぐんぐ……ふーっ。暑いとコーラも美味しいね」
藍子「んぐんぐ……ふうっ。運動をした後なんかは、水が美味しいですよね」
加蓮「レッスンの後なんか、いけないって分かっててもついがぶ飲みしちゃうよ」
藍子「お腹がたぷんたぷんになっちゃいますけど、ちょっぴり幸せですっ」
加蓮「クーラー効いてるのに身体を動かしたらすぐに暑くなるよね。あれって何なんだろ」
藍子「頭が、夏だって意識しちゃってるからかもしれませんね」
加蓮「あ、分かる。ちょっと窓から外を見たら、うっわ暑そう、とか思うよね」
藍子「部屋の中は涼しい筈なのに、急に服をぱたぱたしたくなっちゃいますっ」
加蓮「それでも、まあ……」
加蓮「…………実際に外に出るよりずっとマシなんだよねぇ」ハァ
藍子「うぅ、なんだかごめんなさい……心配をかけさせちゃったみたいで」
加蓮「ほっぽり投げて熱中症で搬送されるよりはずっとマシだよ」
藍子「気をつけているから、大丈夫だとは思うんですけれど……Pさん、鬼気迫ってましたよね」
加蓮「うるさく言われてる私ってああいう風に映っているのかな」
藍子「あはっ、きっとそうですよ」
加蓮「私の気持ちを知れ〜」
藍子「きゃー」
加蓮「でもついてきて正解だったね。途中で飲み物を買うことになるんだもん。お茶でも持ってくれば良かったかな」
藍子「お散歩する時は、できるだけ荷物を持たないようにしているんです……そうした方が、お散歩って感じがして」
藍子「喉が渇いた時には、ちゃんと買うつもりでいましたよ?」
加蓮「だとしてもね……熱中症ってね、気付いたらもう遅いってことがたまにあるんだよ」
藍子「そうなんですか?」
加蓮「ちっちゃい頃の数少ない楽しみだったんだ。ときどき病室を抜けだして、病院に来る人を見てた。なんで来たのかなって」
加蓮「そうしたら医者が教えてくれた。熱中症の人がたくさん来るんだ、あれは自覚症状が薄いし手遅れになりやすいから恐いんだって」
藍子「へえ……」
加蓮「気をつけてね、藍子……ただでさえトロいんだから」
藍子「はい……そうですね。ごめんなさい、加蓮ちゃん」
加蓮「ん。ごめん。トロいなんて言って」
藍子「加蓮ちゃんなりの優しさですね♪」
加蓮「……いちいち言わないで」
藍子「私1人じゃ不安だから、加蓮ちゃん、ついていてください」
加蓮「はーい」
藍子「それにしても、すっごく暑いですね……ここは、木陰なのに」
加蓮「風がぜんぜん吹かないからかな。汗が止まらないよ、もう……」
藍子「加蓮ちゃんこそ、体、大丈夫ですか?」
加蓮「藍子よりは自覚してるつもりだけど、正直ちょっとキツイかも……ごめん、大切な時間を邪魔して」
藍子「いえ、それは大丈夫ですけれど……。帰る前に、日傘でも探してみますか?」
加蓮「日傘かー。使ったことないなぁ。私に似合う日傘ってどんなのだろ」
藍子「え? そうですね……涼しげな色のがいいと思います。見るだけで涼しくなれそうっ」
加蓮「水玉模様とかがいいのかな……?」
藍子「ううんっ、いっそフリフリつきのピンクとかっ!」
加蓮「えー……それは、……なくない?」
藍子「可愛い服を着て、可愛い日傘を差すんです。あはっ、私、見てみたいな……♪」
加蓮「藍子が見たいだけでしょ」
藍子「はいっ!」
加蓮「……まあ、試着だけでいいなら」
藍子「似合うのがあったら私が買ってあげますねっ」
加蓮「えー」
藍子「私が買いたいから私が買うんです。加蓮ちゃんが着てくれないなら、私が使っちゃいますから」フフン
加蓮「……ちぇ。買い物するなら買い物だけで行こう。今のままだと、さすがに汗と臭いを無視できないよ」
藍子「そうですね……日傘、事務所にはないかな?」
加蓮「そんなに日傘が見たいの?」
藍子「というより、日傘を差した加蓮ちゃんを見たくて――それはきっと、夏にしか見られない光景ですから」
加蓮「ふうん……。撮影用くらいならあるかもしれない。撮るだけならそれでいい?」
藍子「じゃあ、一緒に歩くのはまた今度で」
加蓮「ふふっ。私も自分で買いたいかな。藍子と話してたら気になってきたよ」

加蓮「……あ、蝉が鳴き出した。最近は朝とか凄いよね、東京でもちょっと木があるだけで鳴きまくってやんの」
藍子「私の家でも、毎朝すごいですよ。でも最近は、それで朝が来たなって目が覚めちゃいます」
加蓮「目覚ましにでもなってくれればいいんだけどさ、うちの蝉、なんか鳴くのが微妙に遅いんだよね」
藍子「蝉によって違うのかもしれませんね。木によって、なのかな……?」
加蓮「なのかもね。……暑……」ゴクゴク
加蓮「……こんな日でも、散歩するんだ」
藍子「夏には、夏の景色があるんです。それを、写真に収めておきたくて」
加蓮「ふうん……あ、そっか。藍子も夏にしか見られない姿とかあるもんね」ジー
藍子「……?」
加蓮「そのシャツなら、ピンクのショールとか合ってるんじゃない? ほら、透明に近いヤツ」
藍子「うーんと……実際に見てみないと分かんないかも」
加蓮「じゃあ日傘のついでに見に行こっか」
藍子「あはっ。約束、です♪」
加蓮「……うん。約束。それも、夏じゃないとできないことだもん」
藍子「1年が巡っても、それはきっと、違う夏ですよね」
加蓮「うん」
藍子「あ、子どもたちだ……こんなに暑いのに、子どもたちは元気ですね」
加蓮「ゲームとかスマホとかで篭もる子供が多いって言うけど、外で遊んでるのもいるよね」
藍子「加蓮ちゃんも、一緒に混じってきたり?」
加蓮「さすがに知らない子の輪には難しいって。あとこのアホみたいに暑い中で走り回ったら5分も保たない自信があるよ」
藍子「ふふっ。もし加蓮ちゃんが飛び出していたら、私が止めているところでした」
加蓮「何それ、もうっ」
藍子「ふー、あつ……」パタパタ
加蓮「…………大丈夫?」
藍子「加蓮ちゃんと一緒だから、大丈夫です……」
加蓮「汗だくになって言うことじゃないわよ……。ただでさえ暑さに弱いんだから。ほら、顔あげて」フキフキ
藍子「ひゃ」
加蓮「うわ……身体、すごく暑くなってる。ちょっと待っててっ」ダッ
藍子「加蓮ちゃん……?」

加蓮「ただいま。藍子、大丈夫だっ――藍子? …………藍子!?」
藍子「…………」ボー
藍子「あ、加蓮ちゃん……おかえり……」
加蓮「やっぱりやられてる……! 気づいたら手遅れって言ったの私なのに!」
加蓮「ほら、藍子。ちょっと首を空けて! よいしょ」ギュ
藍子「ふわぁ……冷たい……」
藍子「…………あれ? 加蓮ちゃん、今日、ノースリーブでしたっけ……?」
加蓮「しっかりしなさい。私はさっきまで薄いジャケットを羽織っていたでしょ」
藍子「なら、ジャケットはどこに…………え……もしかして、首の布って」バッ
藍子「加蓮ちゃん!? びしゃ濡れですよこれ……大切な服なのにっ」
加蓮「洗濯機に突っ込めばなんだってまた着られる。それよりどう? 少しは楽になった?」
藍子「それは……すごく……でもっ、そのっ」
加蓮「悪い顔をするのは帰ってからでいいでしょ! なんだったら日傘ついでに後で新しいの買ってくれればいいから! ほら、事務所に戻るよ。掴まって!」
藍子「あ、はい……」
加蓮「……夏の光景は、また藍子が元気になって見ればいいでしょ。ほら、いくらでも付き合うから!」
藍子「はい……ごめんなさい、ううんっ、ありがとう、加蓮ちゃん……♪」ギュ
加蓮「……馬鹿!」
加蓮「さて、事務所まで10分――倒れる訳にはいかないね……!」



掲載日:2015年8月16日

 

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