「文月の終わりの宴煙」





少し考えた末に、北条加蓮は花柄のワンピースを着ていくことにした。
先日、街中でたまたま発見したことなのだが、これだとパッと見で浴衣だと勘違いさせることができるかもしれないと思った。
真面目な浴衣を着ていくほど加蓮は殊勝な人間ではない。かといって、格好に手抜きをするのも癪だ。
その日がオフだったことを幸いに、加蓮は1人で街へ繰り出し、10分もかけずさっさと2着3着と購入して帰宅。ひと通り着こなし、軽いブレスレットを引っ張り出す程度でいいかと判断して待ち合わせの時間を待った。

――文月の終わりの日、空が暗橙に染まりだした時間。花火の準備音が聞こえる。

「それで今日はそんな格好なんですねぇ」
「ん。変?」
「いえいえ。そのアレンジ力はナナも見習いたいところですよ」

待ち合わせ場所にいた安部菜々はいつも通りだった――ここで言う「いつも通り」とはメイド服を指し示す。
もっと正確に言えば、メイド服っぽい普段着といったところか。
スカイブルーのレースアップブラウスにチェックスカートというごく一般的な服装の上に例のエプロンドレスをつけ、手首にはメイド用のカフス。さすがにいつもよりはかなり地味目な色ではあるがしっかりとカチューシャもつけられている。カジュアルなのかメイドなのかはっきりしなさいよと指摘をすると、

「これがナナですから」

と、真顔で返された。
アレンジ力、十分にあるじゃないか。思っただけで口にはしなかったが。

「巾着袋ですか。加蓮ちゃんにしては珍しく和風ですね!」
「……どっかの神社生まれの巫女服にうるさい巫女からもらった」
「なるほど」
「小銭だけだよ。散財はする気ないし、ちょっと顔を出すって程度だからね」

東京の町並みはいつだって賑やかだ。すれ違う人がどこへ向かっているかなど加蓮は想像したこともない。
ただ、それも郊外となると少しは緩やかになり、同時に、この人はもしかしたら自分と同じ所へ行っているのかも? と推測することができる。
まして今日は、自分と同年代の人すべてが、まるでグループを組んだ相手のように見えて――

「ん、藍子から連絡」
「藍子ちゃん、何て?」
「……ああ、なんか出店のヘルプに捕まったんだって。メチャクチャ謝られた」
「あちゃぁ。藍子ちゃん、頼まれたら断れませんからねぇ」
「しょうがない。1人で回るか」
「ナナは!? ナナは!?」

電車を降りて10分は歩いたか。これだけで身体が暑さにやられてしまう――という悲しさはひとまず脇に置いて。
夕刻にも古めかしいとはっきり分かる門が見えた。隣の看板も確認しようと思ったが暗いせいでほとんど読み取れない。諦めて加蓮は前方の建物を見上げて、そしてひどく不思議な気持ちになった。

「……菜々さんはそういうのない? 人の家に行くみたいな感覚」
「ナナはそもそも久々に見た場所なので、加蓮ちゃんとはちょっと違ったイメージ……ハッ!」
「さて、ポテトポテトっ」
「ああっ待ってくださいせめて突っ込んで!」

ここは、高森藍子が通う高校。
校門の側に、第67回縁日祭という立て看板が置いてある。
足元の感覚がアスファルトから砂利に変わった瞬間、加蓮は口の中に涎を溜めた。左から焼きそばの匂い、右から焼き鳥の匂い。それから耳に入ってくる、喧しくも温かい喧騒。
文月の終わりの日に、宴の煙が登る。

「おーっ! やってますねぇ!」

菜々が目を輝かせる。並んで自然と早歩きになりつつも加蓮はテントの文字をチェックしていった。
顔を少し傾けているだけで人波にぶつかりそうになる。右肩に、どん、と衝撃が走り、抑えつつ早口で謝ると、少し背の高い相手は不思議そうな顔をしていた。変装なんてしていないからバレてしまったかもしれない。騒ぎになったところで、もう今日は構わないけれど。

「加蓮ちゃん加蓮ちゃん、何食べます? りんご飴ってありますかね!」
「……あのね菜々さ――菜々。その前に藍子の所に行こうよ」
「おおっとそうでした。かき氷のお店でしたっけ? 身内ってことでまけてもらえませんかね?」
「セコい」

100mもない距離を5分かけ、衝突を3回ほど繰り返し、加蓮と菜々はようやくお目当てのテントへと到着した。
すぐに近づくことはせず、まずは様子を伺う。店頭にて制服姿の高森藍子が笑顔に焦りの汗を混ぜて前へ後ろへと動きまわっていた。
ふうん、と加蓮は軽く感心した声を上げて、テントへと近寄る。

「いらっしゃいま――あっ、加蓮ちゃん! 菜々さん!」
「やほ、藍子。頑張ってるじゃん売り子」
「うっさみーん♪ 繁盛してますね! ナナも頂けますか?」
「その、ごめんなさいっ。どうしてもって頼まれて……あと20分くらいで抜けさせてもらうようにしてますからっ。あっ、かき氷ですよね! ええとシロップは……」

ぺこぺこと頭を下げる同僚を手でいなし、視線をその後ろへ。藍子と同じ制服の男女数名が加蓮を見るなり、喧騒に負けない歓声を出していた。
北条加蓮! とフルネームで呼ばれ、思わず営業用スマイルを繰り出してしまうと、キャー! という黄色い声が帰ってくる。
一瞥した先の藍子がやたら申し訳無さそうにしていた。

「冥利に尽きる、っと。いいよ藍子。私たち、ゆっくり待ってるから」
「本当にごめんなさい! あ、菜々さん、はいこれ。200円ですっ」
「ありがとうですよ藍子ちゃん、ところで値引き、いやなんでもないです頑張ってくださいね!」

手渡されるなり菜々はかき氷へとかぶりついた。しゃりしゃり、という音がここまで聞こえてくる。
やがて、ひゃっほーう! というなんとも言えないコメントが発され、藍子のクラスメイトが全く乱れなく「ありがとうございました!!」と声を張り上げた。
彼ら彼女らはどうやら安部菜々というアイドルの存在に気づいていないらしい。菜々にドヤ顔をしてみたが無視された。

「菜々さん、行こっ」
「はいはい! じゃあ頑張ってくださいね藍子ちゃん!」
「はいっ! ……あっ、いらっしゃいませ!」

どの道、ここではゆっくり会話する時間もないだろう。
藍子に背を向けた時、目に入った生徒の群れが一瞬だけひどく無機質な物に見えた。それこそ、幼少期に病院の窓から見た光景のように。
軽く首を振って加蓮は笑顔を作った。菜々が不思議そうな顔をしていたが無視をした。

「加蓮ちゃん加蓮ちゃん、りんご飴を発見しましたよーっ!」

頭のスイッチを切り替えている間に菜々がグイグイと手を引っ張ってくる。転びそうになりつつ態勢を立て直した時にはもう菜々がりんご飴の店頭へと到着していて小銭を取り出しているところだった。藍子がいるかき氷屋とは違いここはそれほど繁盛していない。嫌な予感を伝える間もなく菜々はりんご飴2つを手に取り片方を加蓮へと押し付けてくる。
甘いモノは苦手なんだけど、という無言の苦情は綺麗さっぱりスルーされた。

「んーっ! やっぱり屋台と言えばりんご飴ですね!」
「お酒じゃなくて?」
「それは後です! りんご飴、焼きそば、たこ焼きと行って最後に焼き鳥と一緒にビールをプハーッ――何を言わせるんですかねえ!?」
「あっはっは、ごめんごめん」

がっくがっくと揺さぶられる。りんご飴の独特のベタつきが頬へつく。手でこすって消しておいた。

「残念だったね菜々さん。ここ学校のお祭りだから、お酒はないよ」
「あっても飲むもんですか! ナナは17歳です!」
「おっ、あっちにポテトの屋台がある。菜々さん、こっちこっち!」
「あ、ちょっと待ってください! 転ぶ〜!」

下駄でも履いてくればもっと浴衣っぽく見えたかもしれない。ヒールとどちらが歩きにくいだろうか。
ポテトの屋台の前には軽い行列ができていた。立ち止まった加蓮はりんご飴を噛みつつ巾着袋から500円玉を取り出す。僅かに錆びた感触が伝わると同時に口の中に過剰な甘さが漂い始めた。思わず口を離せば当然ながらりんご飴は落下する。すんでのところでキャッチし、苦い顔で菜々へと手渡した。

「無理」
「で、ですよねぇ……これメチャクチャ甘いですね。うちのメイドカフェでもここまで甘い物は出しませんよ」

と言いつつも菜々は既に自分のりんご飴を食べ尽くしていた。
加蓮から受け取った2本目へとかぶりつく姿を横目に、加蓮は左右を見渡した。ちょうどいい塩梅に隣の屋台で炭酸を売っている。
明らかに抱き合わせだろう。それに乗るのはほんのちょっとだけムカつくけれど。

「菜々さん、頼んでいい?」
「ほへ?」
「……食べ終わってからでいいや。炭酸を買って来て欲しいんだけど……」

が、菜々がりんご飴を食べ終わるよりも早く加蓮がポテトを買う番になった。
しょうがないので500円玉を渡しお釣りをもらい、よければ飲み物もどうですかという言葉にさらに顔をしかめつつ流されるがままに隣の屋台でメロンソーダを購入。菜々の分のアップルジュースも買って投げ渡した。おっとっと、とお手玉をしている姿が変に似合っていて加蓮はつい噴き出していた。

「ポテトうまー……くない! しなってる!」

列から外れて人の少ない場所を確保し、念願のポテトへと口をつけ、そして加蓮は喚いた。

「あらら。ポテトも外れでしたか」
「ちくしょー……学校の屋台なんてこんなレベルか」
「そう言いつつ食べるんですね、加蓮ちゃん」
「このまま捨てるのももったいないし」
「ナナも一口。……うわぁホントにしなってる」
「メイドカフェでこんなの出したらクレームでしょクレーム」

食べ終わるまで5分ほどを要した。少し脂っぽい手でメロンソーダを開封し半分ほどを喉で通す。さすがにアルミ缶で売っている物に学校も何もないのか、こちらは普通の味がした。

「ごくっごくっごくっ……プハーッ!」

腰に手を当て一気飲みしている2X歳は視界に入れないことにした。ちゃんと自分がアップルジュース(アルコール類ではない)を買ってきたか、かなり自信がなくなったけれど。

「ふうっ。あー、どうしましょ。この分だと他の場所もハズレですよねぇ……」
「藍子のとこのかき氷が唯一の当たりだったね。ぶらっと歩いて時間を潰そっか」
「お供しますよ! それに、たまにはハズレを引いてみるのもいいじゃないですか!」
「だね」

加蓮と菜々は、再び喧騒へと身を投じた。

色とりどりの電球に、多種多様な屋台が照らされる。結局、何も買うことなくぶらぶらと歩いているだけだったが、加蓮はとても楽しかった。味は確かに劣悪かもしれないけれど、それを楽しそうに売る学生服姿、あるいは談笑する姿、教師が見せる教師らしくない顔、おそらくは親が来たのだろうか、恥ずかしそうに喚き散らす男子生徒。
こうして1つ1つの姿を見る度に頬が緩むのは、自分がやや特殊な位置に立っているからだろうか。

「ねえ、菜々さん」
「はいはいっ」
「……手、繋いでいい?」
「オッケーですよ♪」

脂っぽい手がべたついた手と重なる。もう我慢ができなくて加蓮はつい噴き出した。

「加蓮ちゃん……?」
「あはっ。変だって、何これ……。なんだか子供に戻った気がする」
「そ、そおですか。ええとこれマジメな話なんですよね? ナナをからかってるとかそんなんじゃ」
「違う違う。でも不思議なんだ。私さ、今、舞台の外からお祭りを見てるみたい。楽しそうな人たちとか学生とか、ぜんぶ蚊帳の外。ううん、私が蚊帳の外だっ。友達の屋台に遊びに来たんだから、ちょっとくらい混ぜてくれてもいいのにさ!」
「それだけ加蓮ちゃんがアイドルをしてるってことですよ!」
「あははっ、きっとそうだよね!」

握る手の力を少しだけ強めてみる。そんな筈がないのに、目線が20cmくらい下がった気がした。
菜々の方を見る。無邪気で、年上らしい笑顔がそこにあった。
からかうことは簡単だった。えー、なにそのハタチっぽい顔。ってかおばちゃんっぽいよー、なんて。
……口を開くと同時に舌が引っ込んで、代わりに笑顔を浮かべるだけになったけれど。

「よしっ。これで一周したかな?」
「みたいですね! 学校のお祭りって言うからこじんまりした物かと思ったら、なかなかすごいじゃないですか。ナナびっくりですよ!」
「もう1周くらいしたらバテちゃうかも。ね、藍子のところに行かない?」
「ナナもちょっと座って休みたいですね。ああいえほらっお祭りって賑やかだからついウキウキしちゃって」

どちらからともなく引っ張り合うようにして、2人はアイドルが売り子をやっているテントへと戻ることにした。
今度は裏側から入ってみる。砂利のこすれ合う音に、藍子のクラスメイトの1人が反応して恐縮するように頭を下げた。小さく笑いつつ、藍子ってまだかかる? と聞いてみる。申し訳無さそうな表情が答えだった。悪戯心が湧いた。

「ねえ菜々。私たちも売り子を手伝おうよ」
「はい!? いやいやナナ達って今日はお客さんですよ! それに藍子ちゃんにもご迷惑を、」
「いいからいいから。営業っぽくやればいいんでしょ! 簡単だよ!」
「あっ、加蓮ちゃん!?」

テントへと駆け込むと、ちょうどこちらを向いた藍子がすごくびっくりしていた。たぶん悲鳴もあげていた。菜々を引きずるようにしてカウンターの裏側へと立ち、ちょうど訪れた同年代のお客さんへと希望のシロップを聞く。レモンで、という声の"で"が変に歪んだ。ええっ!? と驚きの声が聞こえた。加蓮はにっこりと笑いレモンのシロップをかける。その間に次のお客さんが来たので、藍子を軽く蹴った。ひどく戸惑った顔だったけれど藍子はあたふたと注文されたシロップを取り出す。
隣から、ごーりごーり、という音が聞こえた。菜々がかき氷を作っていた。目が合うと、仕方ないですねぇ、と呆れたような目を向けられたけれど、彼女は次の瞬間にもうウサミンスマイルに戻っていて客を捌いていた。

渦中に飛び込んで、――考える余裕がないからこそ、加蓮は考える。

自分はどこにでも立つことができるのだ。笑顔を振舞っているのはアイドルとしてではない。「高校生」高森藍子の友人として手伝っているに過ぎない。だから今の自分は「高校生」なのだ。ありきたりな、けれど意識してもなかなか得られない立ち位置を得たのだ。立つことができたのだ。友達のことを手伝う女の子という、なんでもない場所に。

加蓮は思いっきり笑った。ほんの僅かな間だけれど。

反応したのは藍子だけだった。未だ疑問符を浮かべていた彼女だけれど、声を聞いて少し考えて、はいっ、と笑って頷いた。

「いらっしゃいませー! 面白いシロップ置いてるよ!」
「いらっしゃいませっ。はい、ブルーハワイですね!」
「かき氷まだまだありますよぉ! って氷が少なくなってる! 誰か〜! ヘルプですっ!」

そうして加蓮は考えることをやめて、女の子らしく声を張り上げることにした。

文月の終わりの宴煙に、女子高生の歓声が上がっていく――

結果――まあ当然かもしれないけれど、アイドルがいると5分も経たずにバレてひと騒ぎが起きたけれど、それはまた、それとして。


掲載日:2015年7月30日

 

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