「「私を手伝ってください」」





7月18日掲載「定点観測」より数日前の出来事です。



――夜:女子寮・工藤忍の部屋――
「加蓮もホントいきなりだね……」
「あはは。柚で慣れてるんじゃないの?」
「まあ、慣れてるけどさ」

連絡先を交換しあって、最初に送ったメールが『今日、そっちに行っていい?』だった。
今にして思えば少しいきなり過ぎたかと北条加蓮は反省しつつ、それでも受け入れてくれる工藤忍に心の中で十字を切っておいた。
東北から飛び出し上京してきた忍は、女子寮にて生活をしている。だいたい想像していた通り、部屋にはさほど物が置かれていない。マットやシーツが揃ってファンシー系なのもだいたい思い描いた通り。よく分からないのは、部屋の隅っこに見慣れたブサイクのぬいぐるみがあることくらいか。

「いきなりだったから、お茶しか用意できないけど……」
「柚から聞いたんだけど、ここに来たら美味しいリンゴが食べられるんじゃないの?」
「今は切らしてるよ。たまにお母さんがたくさん送ってくるんだ。いらないって言ってるのに」

そういえば玄関を入ったところに空きダンボールが2つほど投げられてあったし、部屋に入った時に微かに柑橘類の匂いがした。

「じゃあ次は忍が困ってる時に連絡しよっと」
「やめて」
「ふふっ。……うわっ、苦」
「喉にいいお茶なんだって。Pさんが」
「ふうん。ボーカルレッスンでもあったの?」
「うん。アタシだけで」
「言ってくれれば手伝うのに」
「加蓮、今日ってレコーディングだったよね?」
「そうだけど……あれ? なんで知ってるの」
「加蓮こそ、なんでアタシのスケジュール知ってるのさ」
「そっちのPさんに聞いた」
「アタシもだよ。Pさんが加蓮のこと話してた」
「……」
「……」
「……私って有名人?」
「アイドルだから、有名人なんじゃないかな?」

お茶はどうにも喉に合わないので、半分だけ飲んで忍の方へと寄せた。
手で促してみると、苦笑いになりつつも疑問符を3つくらいつけて、ありがと、と返された。
礼を言われても少し困る。すす、と忍がお茶を啜る音が響いて、こと、と湯のみを置いた時、彼女はどことなく恥ずかしそうな顔をしていた。レッスンの後なら気にしないんだけどね、と言った。どっちの意味か加蓮は把握しきれないまま、居たたまれなくなって足の向きを右から左へと変える。

「……」
「……晩ご飯は食べたの?」
「来る前に。レコーディングが長引いたから、事務所の食堂で……」
「そうなんだ」
「……」
「……」
「……」
「……で、アタシに何の用? 何か用があって来たんだよね」
「あ、うん」

どうにもこうにもやり辛い。やり辛いと言うより、会話がうまく続かない。
結局、連絡先を交換し合ったところで加蓮と忍の関係は変わりはしなかった。
あー、と頭を掻きながら、もう片方の手で頬を掻く。やっていることが自分でも間抜けだと思いつつ、加蓮は切り出した。

「体力……」
「ん?」
「体力のつけ方、ってさ。何かないかなって思って」
「え、またそれ?」

そう。前にも同じことを聞いたことがある。いつだったかは忘れたけれど、加蓮が忍のレッスンを見た時の話だ。
そしてその時の答えは――

「分かんないよ。アタシも加蓮も特殊なケースだと思うし……」
「んー、今すぐって訳じゃなくて、なんかこう、こういうことやってるよ、っていうの、何かない?」
「……加蓮にしては珍しいね。今すぐって訳じゃない、とか」
「そう?」
「努力が嫌いだって前に言ってたから」
「目的のない努力はね。努力なんて結果を出す為の物でしょ」
「アタシはやっぱり、そこが加蓮と分かり合えないよ。努力ってそういうんじゃないと思う」

ギシギシと、溝が広がっていく音が耳の内側で聞こえる。
心の隅で生まれた刺を素手で掴み潰し、忍にバレないように小さく息を吐いた。
合わない物は合わないと、割りきって考えるのは、たぶん、自分の方が得意だろうし。
子供っぽく睨んでくる忍へと、笑顔を作ってみせるくらいなんてこともないし。

「ふふっ」
「……何がおかしいの?」
「別に。あの時に言った通りだよ。忍のことを応援してる気持ちは本物だもん」
「それは、知ってるけど……」
「で、何かない? 体力をつける方法」
「何かって言われても……ランニングマシーンを地道に頑張るとか、耐久レッスンを繰り返すとか、それくらいしか思いつかないけど?」
「だよねー」
「でも、急にどうしたの。何かプロデューサーさんに言われたとか?」
「Pさんには言われないよ。逆に、無理するな無茶するなって過保護がしつこいくらい。忍はいいね、そういうの言われないでしょ」
「最初の頃は言われてた時もあるけど、そのうち諦めちゃった♪」
「うちのPさんもそれくらい物分かりが良ければいいんだけどねー」

カーテン越しに窓から外を見る。星も見えないくらい真っ暗。
加蓮は16歳だから、夜遅くに出番があることはないけれど、事務所はこんな時間でも灯りが点いているから、外が暗いからといって1日が終わったという感慨は湧かない。ただ次の日が来るのだと思い知らされ、さあ、明日はどうしようかと身構えるくらいだ。

「……で、結局どうしたのさ加蓮」
「んー、ちょっとね。体力がないからって笑われるのが嫌っていうか、笑うなら自分の課題くらいクリアしておきたいっていうか……」
「よく分からないけど、加蓮って変なところで負けず嫌いだよね。アタシみたい」
「そういうとこは忍には負けるって」

大したことじゃないんだけどねー、と加蓮は繰り返してから、ある名前を挙げた。
どうも忍とは接点がないみたいで、はて? と首を傾げられただけだったが。



□ ■ □ ■ □



――昼:事務所――
高森藍子と道明寺歌鈴は、お茶を啜りながらのんびりしていた。

「はぁー……」
「はふぅ……」

特に用事があった訳ではない。休日で、家にいても特にやることがないので、藍子はぶらりと事務所を訪れてみた。
今日も個性豊かなアイドルたちがはしゃいでいて、とても楽しそうだったから写真をいくつか撮って、やがて人が少なくなってきたからソファに腰掛けた。撮影した写真を見返していたところに歌鈴がやってきて(そしてすっ転んで)、仕事待ちだというから、お茶でも飲んでいようとなった。
お茶を飲んでははふぅと息を漏らす繰り返し。ひっきりなしに人が出入りする事務所だけれど、喧騒がとても遠くに感じられる。
藍子はこういう時間がすごく好きだった。忙しなく動き回る業界ではあるけれど、だからこそこういう時間に目を向けたい。

「お茶、おいしいですねぇ」
「カフェに行った時、自家製のお茶っ葉って言うから買ってきたんです。歌鈴ちゃんのお口に合ってよかった……♪」
「自家製のお茶っ葉……それは大切に飲まないとっ!」
「そうですね。ゆっくり、飲んであげてください」

また1人、ドアを派手に開けてずかずかと部屋を歩いて、どこかへ去っていく。耳を澄まして見ると、消えていった扉の先で何やら騒ぎ声が聞こえた。何か揉めることがあったのだろうか。揉める、というよりは、じゃれあっているようには聞こえるが。この事務所ではよくあることだ。
争い事が嫌いな藍子だけれど、楽しそうに言い合っている姿は嫌いではない。むしろカメラを構えてしまう。

「はふぅー……あ、そうだ。私、今日は藍子ちゃんに相談があったんです」
「相談……私で良ければ聞きますけれど、何かあったんですか?」
「はいっ! 今度、私のLIVEがあるじゃないですか」
「そうですね。スケジュールは空けていますので、見に行っちゃいますね♪」
「わ、わわっ、藍子ちゃんが見に来ると緊張する……!」
「そ、そうですか?」
「藍子ちゃんみたいに落ち着いてできるといいんですけど、私、いっつもドジしちゃうから……」
「私みたいにって……私の方が年下なのに」

憧れられることは、そんなに嫌じゃない。自分なんかを、という気持ちはあるけれど。
ただ、歌鈴から憧憬を受けると、どうしても小さな違和感を拭い切れない。大人から見れば笑い飛ばされるかもしれないが、17歳と16歳という差は決して小さな物ではないのだ。そういったことに疎い藍子でも、やはりちょっぴり気にしてしまう。

「それで、相談はそのLIVEのことですか?」
「はいっ! その、どうしたらドジを減らせるかなって……」
「あぁ……」
「いつも転んでばっかりじゃ、Pさんに迷惑をかけちゃうから。それに、今度のLIVEは加蓮ちゃんがいるんですっ。笑われたくありませんから!」
「加蓮ちゃんは笑わないと思うけど……ドジを減らす、ですか」

ドジを減らす。それは道明寺歌鈴の最大の命題だ。藍子も歌鈴のステージを何度か見たことがあるけれど、やはり転んでしまっていることがある――むしろ歌鈴が転んだことのないLIVEを見た覚えがない、とさえ言えるかもしれない。
いつか歌鈴が大舞台に上がった時は藍子がサポートし、なんとか大惨事は防げた(でも転んだ)が、当然ながらいつもそうしている訳にもいかない。
歌鈴の悩みは、藍子にとっても1つの悩みとなっていた。

「藍子ちゃんみたいに落ち着いてできればいいんですけど、いつも周りのペースに乗せられてしまって……つい、転んでしまうんです」
「……私は歌鈴ちゃんが楽しそうにLIVEをしているの、好きですよ?」
「あっ、ありがとうごびゃっ! ……うぅ、ありがとうございますっ。でもやっぱり、転んだり噛んだりは治したくて……えぅぅ」
「うーん……」
「やっぱりこんな私がなんて無理なんでしょうか……」

口元で手を組んでいると、隣からどんよりとした空気が漂ってきた。

「そんなことないですよ! ほらっ、ええと、Pさんだっていつも歌鈴ちゃんのことを頼りにしていますよ!」
「ほんとですかっ! そ、それなら歌鈴、頑張りますっ!」
「あ、あはは……」

意外と単純だと一瞬だけ思ってしまった。

「藍子ちゃんはどうして、そんなに落ち着いてできるんですか?」
「私は……落ち着けているんじゃないですよ。あんまりてきぱきできないから、そう見えちゃうだけかも」
「そんなことないですっ! いつも落ち着いてて、とってもすてきで……!」
「あ、あはは……でも本当に、私はいつも通りにやっているだけなんです。本番前に深呼吸とか、大丈夫って口に出して言うとか、それだけで」
「深呼吸に大丈夫って言うことですね! 他には――」
「……今度、緊張しないで済むコツが書いてある本を貸しましょうか?」
「ありがとうございますっ!」

気合を入れて両手を握った歌鈴は、不意に視線を落とした。決意を述べるように、あるいは自分に言い聞かせるように、少し低い声で呟く。

「……次のLIVEだけは絶対にミスしたくないんです。絶対に」
「次のLIVEって……何かありましたっけ?」
「だって加蓮ちゃんがいるんですよ! 加蓮ちゃんの前で転んだりしたら、ぜったい笑われるに決まってます!」
「そうかなぁ……」

北条加蓮がそういう人間ではないことを、失敗へ嘲笑する人ではないことを、藍子は知っている。刺が自身へと向くことはあっても(それもまた、藍子にとっての1つの悩みだ)、人に向けることはしない。しない筈なのだが――加蓮が歌鈴に対して妙に厳しいというか、挑発的であることもまた、藍子は知っている。安部菜々などは明らかにわざとやっていると言っていて、意識して見れば確かにそうなのかもしれないけれど、でもそんな行動をする理由が全く分からなかった。

「……私から加蓮ちゃんに言っておきますね? あんまりキツイこと言わないで、って」
「それじゃダメっ!」
「ひゃっ」
「あっ……ご、ごめんなさい」
「い、いえ、大丈夫です。駄目、なんですか?」
「笑われちゃうなら、笑われたくないLIVEをやりたいですから――Pさんにも加蓮ちゃんにも笑われないLIVEをやりたいですから」
「……」

――今、ほんの少しだけ、加蓮の意図が分かった気がする。
でも、本人がこの場にいない以上、ここで言及するのは明らかに間違えていると藍子は頭を横に振った。そして、立ち上がって、歌鈴の手を取る。

「じゃあ、失敗しないように、いっぱい練習しちゃいましょう。大丈夫、私も見ていますから」
「藍子ちゃん……っ! はいっ! 私、せいいっぱい頑張ります!」
「お仕事までの短い間だけでも、ちょっとだけやってみましょう。まずは走っても転ばないところから、って感じで♪」
「はいっ!」

北条加蓮も、道明寺歌鈴も、たぶん何かの思惑を持っている。
――それを追及するよりは、やる気を見せている歌鈴へと手を差し伸べたい。
だから藍子はゆっくりと微笑んで、焦りがちな歌鈴へと、ゆっくり、ゆっくりと付き合ってあげることにした。


掲載日:2015年7月19日

 

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