「0時23分に、彼女は微笑んで言う」





…………目が覚めた。

加熱した後に急速冷凍したみたく身体が固まって動けない。2度、3度と瞬きをし、ぼやけた視界を元に戻してから、ゆっくりと脳を動かし始める。
ええと……なんだっけ……。菜々さんと言い合って、帰って、寝た……?
首だけで枕元を確認した。午前0時だった。…………0時!?

「ぅわあっ!? え、なに、なになに!?」

布団を跳ね起こすと一緒に軽い何かが飛んでいった。柚だった。

「あっ加蓮サン起きたんだ! おはよっ! って、朝じゃないケド」
「柚……!? 待って、私どうしてた!? ねえっ!」
「わっわっいきなり掴みかからないで! 顔コワイ、顔コワイよ加蓮サン!」
「…………っ」

落ち着け。今は、今は誰と張り合う必要もない。
ゆっくりと手を離すと、柚はこわごわといった具合にベッドを指差す。

「えっとね。加蓮サン、帰ってきてすっごくお疲れで……ばたんっ、って風に寝ちゃって」
「それいつ頃のこと? 何時!?」
「エト、6時……だったカナ」
「6時間!?」

鞄をひっくり返すようにしてスマホを取り出す。メールが1通だけ飛んできている。中身を確認して――待ち受け画面に戻して。表示されていた時間は23:58。ほぼ日付が変わる直前。私、6時間も寝ていたのか……!?
レールが外れそうな勢いでカーテンを開ける。空が闇色に塗りたくられていた。新月なのか月光が見えない。

「あ、あの、ママも心配してて……加蓮サン…………あっ、まさか、LIVEで何かあった、とか……? アタシのPサン、今日のLIVEは加蓮サンと菜々サンって言ってたし……」
「…………」
「もしかして、ケンカをしちゃったり……?」

……いや、けれど、でも。
焦燥とは反比例的に覚醒していく脳が、冷静な判断を下す。
6時間眠ったからといって、特に問題はないんじゃないだろうか。

「え、エトっ、エトっ、だ、だいじょ〜ぶ! ほらっ雨降ってナントカって言うし! 加蓮サンだって大丈夫だよ、きっと! ねっ!」

疲れが取れきっていないからか、今もまだ少し眠たい。いつもより1時間少し遅くなるかもしれないけれど、布団に入りなおせば睡眠は……いや、その前にお風呂か。
規則正しい生活が少し狂うかもしれないけれど、それだけだ。
今日の間にやることは何もない。
できることは、何もない。

「……ありがと、柚。ちょっとね。お母さんにも心配かけちゃったか……後で謝らないと」
「う、うんっ。その時はアタシもついてってあげるね! 一緒にごめんなさいって言お!」
「いーよ、私の問題だし……お風呂に入りたいなぁ。まだお湯は張ってる?」
「追い焚きしたら入れると思う! あ、そうだ柚も一緒に入るね! 今の加蓮サンは見てて心配だっ。それにほら――」
「ヘンなのー。余計なお世話――」

『これは私と藍子の問題でしょ!? このお節介野郎!』

「っ……」
「加蓮サン? ……加蓮サン!?」
「あ……ごめん、ちょっとね。もう、しょうがないなぁ。そんなこと言って、目が覚めちゃったから柚が入りたいってだけでしょ――」

『相手のことなんて何も考えないで、自分のやりたいようにやるだけの人に、ならないでください――』

「――加蓮サン!? ホントに何があったの!? すっごいひどい顔してる……!」

崩れ落ちかける私を柚が抱きとめてくれた。すごく心配そうに覗き込んでくれた。
軽口……で、流せればよかったのかもしれないけど。
傷つけるだけの喧嘩ができる関係といっても、傷つけることに変わりはない。
全身に力を込めても、痛みはどこにも消えなかった。

「え、エト、えとっ」

柚が困ってる。困らせたくないって思っても身体が動かない。涙が零れそうになって、我慢できなくて嗚咽が出てきて柚がもっと慌てて、それから、

――それから、スマホが甲高いメロディを奏でた。

「……!?」
「えっ、あっ……加蓮サンのスマホ…………」

インストですら1度聞けばもう耳から離れない。最初に聞いた時は馬鹿じゃないんかと思ってしまった歌。
メルヘンデビュー。
つまり、今このスマホを鳴らしている主は――

「…………」

普通、こういう時って逆なのかもしれない。例えば身体が竦んだり、感情が拒絶したり。スマホをどこかに投げて壊したりするのかもしれない。
でも私は――16年生きて、知っている。
私は捻くれ者だ。
だから私は、一般論の逆だった。

「…………柚」
「は、はいっ」
「ちょっとだけ、静かにしててね」

エネルギーが、漲ってきた。

「…………もしもし」

応答を押して、耳に当てる。10秒ほど沈黙があった。沈黙があって、それから。

『……………………もしもし、ナナです』

少し掠れた声が、聞こえる。



□ ■ □ ■ □



「ん。加蓮です」
『……………………』

少し思いついたことがあって柚にアイコンタクトを送った。らじゃー、と口だけで言って彼女は部屋から立ち去っていった。
改めて、会話先に意識を集中させて。

『…………今、周りに誰かいますか?』
「いないよ。柚なら出てった」
『藍子ちゃんがいたりは』
「藍子? いや、そもそも別の家に住んでるんだし……」

それとも菜々さんは、藍子が私を気遣ってこっちに泊まりにくることでも予測していたのだろうか。
だとしたら、それはまあ、相変わらず菜々さんとしか言いようがない。

『…………』
「…………」
『…………さっきのこと』
「うん」
『言っておきたくて』
「うん」

謝っておきたくて、じゃない辺りも菜々さんらしい。つい笑いそうになってしまう。
視界の隅で扉の開く音がした。そちらをちらっと一瞥して、
……うん。私は喧嘩をしたいんじゃない。意識的に笑顔を作って、ちゃんと会話がしたいんだ。

「分かってる。あれは菜々さんの本音なんでしょ? 私を攻撃する為に作った物じゃない」
『……さすが加蓮ちゃんですね』
「これでも私、いくつも修羅場をくぐり抜けてきてますから。まー菜々さんには負けるけどねっ」
『…………』
「今の笑いどころだよ? ……それで、どうしたの。言っとくけど、明日、ううん、もう今日か。今日の喧嘩のことなら手加減はしないよ。私は私の言いたいことを――」
『いいえ』
「……うん?」
『ナナが、間違っていました』
「どゆこと?」

スマホを持ち直す。

『……ナナは自分の言ったことすべてを間違ってるとは思ってません。加蓮ちゃんの言う通り嘘でもなんでもありませんし、ナナが一方的に間違ってるとは思ってません』
「うん、さすが菜々さんだ。私もだよ」
『加蓮ちゃんの答えに、ふざけんな、って思ってるのもホントのことです』
「……うん」
『ただ――藍子ちゃんに言われて、ハッとなりました』

菜々さんが加蓮ちゃんに嫌われるのなんて、見たくありません。
相手のことなんて何も考えないで、自分のやりたいようにやるだけの人に、ならないでください――

『ナナ、いつの間にか自分のことばっかり考えていました。加蓮ちゃんは間違ってる。加蓮ちゃんの考えを変えさせたい。大人として……って』
「…………」
『加蓮ちゃんの言う通り、自分が大人だってことを言い訳にしてました。自分の方が長く生きてるからって、それだけで自分を正しいって思い込んでて……藍子ちゃんに言われなかったら、ずっと気付けなかったと思います。ナナが、間違っていることを』
「……そっか」

藍子の言葉にショックを受けたのは、菜々さんだけではない。私もだ。
いつの間にか――戦っている訳ではない、負かしたい訳ではない相手に敵意を抱いていた。無自覚のうちにだ。
藍子はその理由を、菜々さんへの言葉と共に解き明かしたような物だ。私という人間を、最大限に理解した上で。

『身勝手かもしれませんが、明日の件は……できれば、なしにしてください。ナナ、もう言うことがありませんから』
「うん。いいよ、分かった。……正直、私もクタクタだもん」
『それと――』
「それと?」
『……ごめんなさい。ナナは、加蓮ちゃんの嫌いな人になりそうになっていました』
「うん」

部屋の中で目を泳がせてみた。ベッドとダンボールしかない部屋。なぜだか、ちょっとだけ悪戯心が湧いた。

「ふふ。自己中心な意見の次は付和雷同なんて。菜々さん、悪い意味で大人に毒されてるんじゃないの?」
『……! そ、そうですかね!? いやぁでもナナは17歳ですから! まだまだ若いんですよ、若いんです!』
「えー、そうは見えないけどなー」
『うぐっ、確かにナナちょっと大人っぽく考えすぎてたっていうか若者はもっと無鉄砲かなーって思わなくもなかったり……』
「ところで菜々さん。今家にいるの? ってことはそこウサミン星だよね? よくケータイの電波が繋がるね〜」
『え、ええっと、それはぁ、その……い、今は地球に下宿しているんですよ! 下宿!』
「そっかー」

つっかえた言い訳が耳に心地よい。そういえば最近、菜々さんの自爆芸、聞いてなかったもんなぁ。
……気づけばいつもの会話になっていた。
日付が変わったからかな。今日の喧嘩を明日に持ち込むの、お互い好きじゃないもん。

「経験だって、価値観だって。人を縛り付ける為の物じゃないと思うよ?」
『ううっ、ナナ、痛切に実感してます……! 本当に申し訳ない……っ!』
「でも、私の方こそごめんなさい。藍子のこともそうだけど……菜々さんだって傷つけちゃったよね。ほったらかしにしたのは同じだもんね……」
『ああいえっナナはああしてすっぽかされてるのそこそこ慣れているというか大人になったら嫌でも慣れないといけなくなるというか……ハッ! ま、まあナナは17歳ですけど!』

電話先からさらに慌てた声が聞こえる。
よかった……ここにいるのは、もういつもの菜々さんだ。
有耶無耶になったかもしれない。意地を張り合ったかもしれない。
でも、いつの間にか元の場所に戻っている。
私はここに立ちたかったんだ。
元いた場所に、戻りたかったんだ。
それが、私の結論。
変わりたいという気持ちよりも、戻りたいという想いの方が強かった。
菜々さん風に言えば、私はまた同じことを繰り返すのかもしれない。そうしたらまた解決すればいいや、なんて甘く考えてる自分もいるのかもしれない。
それでも。

「菜々さん」
『はいっ?』
「私、また同じことをしちゃうかもしれない。菜々さんの言う通りに。……じゃあ、私のこと、ちゃんと見張っててよ」
『…………』
「私のこと、もっといっぱい見てよ。菜々さんの価値観だけで見るんじゃなくて、私のこと、もっと見て」
『……しょーがないですねー。これからは大人として、加蓮ちゃんをビシバシ叱っちゃいますよ!』
「うん。ありがと。…………あれ、17歳設定は?」
『ハッ! って、設定じゃなくてナナは17歳です〜! ……けど加蓮ちゃんを叱る時だけは大人なんです!』
「都合がいいなぁ」
『ウサミン星人ですから!』

その設定はそうやって使うものだっただろうか。

『加蓮ちゃんの言う"元に戻りたい"って気持ちも、ちょっぴりわかってきた頃ですからね! ……正直ナナもう胃が痛くて痛くて』
「そっか」
『ナナ、アイドルになってから色々と劇的でしたからね。その辺のこと、ちょっと分からなかったのかもしれません』
「かもねー」
『なので、きちんと加蓮ちゃんのことを見て。しっかり分かるようにしますね! 藍子ちゃんに負けないくらいに!』
「……ん? どしてそこで藍子の名前が出てくる? まあいっか……お願いね。私も。菜々さんの言葉、しっかりと受け止めて考えるから」
『キャハッ☆ ありがとうございます、加蓮ちゃん!』
「こっちこそ、ありがと」

そして、お互いにケラケラと笑った。ついさっきまで怒鳴り合っていたことなんて、すっかり忘れて。

「そろそろいい? 私、まだもう少し眠たくて」
『おおっと。あんまり長々とやってると、また藍子ちゃんに怒られちゃいそうですね!』
「あはは、だね。……今回のこと、ホントにごめんね。謝るなって菜々さんは言うけど……私、今一番やりたいことは、2人に謝ることなんだ」
『そうですか……。ナナの方こそごめんなさいっ! 加蓮ちゃんじゃあありませんけれど、ちょっとじっくり反省して、また明日、いえっ今日から! いつものウサミン星人で頑張りますね!』
「うん。応援してるね」

じゃあね、と言葉を贈って、電話を切る。アラームだけセットして、布団の上に放り投げる。
それから。
視線を移す。
部屋の端っこ。ほんの少しだけ開いたドアの隣。
会話を始めて割とすぐに戻ってきた柚と。
そして。



「――これで元通りになれるのかな、藍子」
「……はいっ。これで、仲直りです♪」



行儀よく正座しているゆるふわガール、高森藍子の方を見て、私は小さく笑った。

「もうホントに疲れたぁ……藍子、ホントにごめんね? でも今日は休ませてぇ……」
「はい……お疲れ様です、加蓮ちゃん」

スマホに届いてた1通のメール。差出人は藍子だった。
私が心配だからこっちに来た、というだけの伝達で、送信時間は20時過ぎ。
なんというか……残酷なことをしてるなー、とは思う。菜々さんにあれだけのことを言って、その上でこっちについてくるとか、もう菜々さんを裏切ったとすら思えることじゃないだろうか。
……なんて。そんな風に思う自分が嫌なんだよね。
捻くれてるけど別にいいや、とか思うから駄目なんだ。許せないところは、きっちり線を引いていかないと。

「あっ、一言だけ、今いいですか……?」
「んー……?」

藍子が佇まいを正す。それから。

「戻ってきてくれて、ありがとうございます」
「……うんっ! ただいま、藍子!」
「はい!」

――疲労も痼もぜんぶ取れるくらいに、素敵に微笑んでくれた。

「これで解決だっ。ね、ね、藍子サンっ。これでぜんぶ終わったんだよねっ」

藍子の隣にいた柚が、クイクイと藍子の上着を引っ張る。あれ、この2人はいつ和解したんだ? 後で聞こっと。

「ええ、きっと、ぜんぶ解決しちゃいました♪ 柚ちゃんも、加蓮ちゃんのこと、ありがとうございますっ。解決できたのは、きっと柚ちゃんのおかげでもあるんですよ♪」
「そ、そんなことないよ、照れちゃうナ〜……」

ベッドに倒れ込むと強烈な疲れがぶり返してきた。2人がちょっとだけ心配そうに身を乗り出してくるけれど、やがて安堵の表情になる。

1ヶ月間と5日。いろんなことがあった。

柚が爆発したり、落ち込んだり。それが解決したと思ったら今度は私の番だった。
慣れないながら、頑張って自分探しをした。歌鈴と仕事をしたり、夕美にビンタされたり。忍にユニットの話をした。Pさんに迷惑もかけた。
何より、柚にいっぱい支えてもらった。
いろんな回り道をしながら、ようやく戻ってこれた。

「ね……藍子……」
「何ですか、加蓮ちゃん?」
「……私、もう絶対に忘れないから……。私の側にいてくれた、大切な人……とっても大切な人…………」
「……! ……はいっ!」

或いはゴールじゃなくてスタートラインなのかもしれない。菜々さんの言う通り、私はまたやらかすかもしれない。
でも今は、胸に生まれたあたたかさを大切にしよう。
見つけられた物を、ぎゅっと抱きしめよう。
今日は眠って、また起きても。

私はここに戻ってきたのだと、信じることができるのだから。



掲載日:2015年10月10日

 

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