「2X歳から16歳へ」





柚の問題に向き合っていた時、何度か、柚と昔の私は似ていると思った。
それを言ったら、柚は喜んでくれたけれど、もしかしたら少し失礼なことだったかもしれない。
私なんかに似てるなんて。
ろくでもない私なんかに似てるなんて。

だからもし、これが――柚も通った道を通らされている現在が、罰か何かだというのならば。
甘んじて受け入れよう。そう思った。

「ハァ…………」

事務所までの道のりが遠い。病み上がりだけど、それだけじゃない。
いつものスニーカーが10kgくらいの作業靴に思えてきた。服を3枚しか着ていないのに、脱ぎ散らかしたくなった。
こんななのに、家を出る時に心配してくれた柚を振り切って、1人で大丈夫だからとか言うもんだから。

「私ってば馬鹿だ……」

乾いた笑みが出てくる。
柚がアイドル休業期間に事務所に行った時、必ず私がついていてあげた。
私がどれだけ役に立ったかはさておき、心配や緊張がある時、側に誰かがいてくれるだけで心はずっと軽くなる。
それは、独りの時間が嫌だった私も、よく知っているのに。

どうしてあそこで意地張っちゃうかなぁ、私の馬鹿。

「ついた、っと」

やがて見慣れた建物の入り口へと到着した。スマートフォンで時間を確認してみたら、いつもより5分ほど長くかかっていた。
……5分か。もうちょっと上乗せされてると思ったんだけどなぁ。
所詮は思い込みの世界。被害者気取りのヒロインなんて嫌なのに、と誹謗の笑みを落としながら、出入り口を開けた。

ソファの前に立っていた人影が、音に反応してこちらを振り向く。
私を見るが否や険しい顔になって、一歩、踏み出してきた。
負けじと私も前に出る。怯えたり、恐れたり、そんなことする必要はない――喧嘩してたって決別してたって、彼女は私の友達で、仲間なんだから。

「お待たせ、菜々さん」
「……おはようございます、加蓮ちゃん。具合が悪そうですけど大丈夫ですか?」


――事務所――
「昨日まで風邪を引いちゃってて……柚が騒いでたって言ってたけど、聞いてない?」
「ナナ、ここのところずっと朝から現場でしたからねえ。呼んでくれれば加蓮ちゃんの家に行ってたのに」
「用事があるから家に来いなんて傲慢なことはしたくないよ」

字面だけ見ればいつも通りに聞こえるかもしれない。けれど菜々さんは終始、私を睨んでいる。
2X歳とは思えないほどに――知らなければ本当に17歳だと思う童顔に、私より少し低い身長。振る舞えば年下にすら見えてしまう風貌に、けれど発していた迫力は頬に汗を掻かせるには十分だった。長い人生経験だからこその威圧感なのだろう。
私も並の16年を過ごして来てはいないけれど、こういうところはホントに敵わない。

「で。ナナに用事とは? あの時、しばらく考えるようにって言った筈ですが」
「うん、言われたね。でも菜々さんは、藍子のことを考えるようにって言っただけで、菜々さんと会うなとは言われてないよ」
「……この期に及んでまたそんな屁理屈を。ちょっぴり期待して待ってたナナが馬鹿でした」
「屁理屈じゃない。真剣に考えて、真剣に結論を出した。それってつまり、菜々さんは私の話を聞いてくれるってことでしょ?」
「…………」
「あの時も、どうしてフォローしなかったのかとかどうして言い訳しなかったのかって……たぶん、私も言葉が足りてなくて、だからこのまま、菜々さんに拒絶されたから逃げまわってたんじゃ何も変わらない。そう思ったんだ」

身体が、少し重たかった。座っていい? と尋ねたら、無言でソファの方を示された。

「……ケホッ」
「日、改めますか?」
「ううん、いい。延ばし延ばしにしててもいいことなんてないよ」

L字ソファの中央にあるテーブルには、2人分のお茶が淹れてある。
菜々さんの方を振り返った。彼女は何も言わないで私と離れたところに座り、片方の茶飲みを掴んで一気に飲み干した。

「菜々さん」
「なんですか?」

私も、喉が乾いていたけれど。まずは、これだけは伝えておきたくて。

「ごめんなさい」
「…………」
「菜々さんの言う通りだ。私は藍子のことをずっと放ったらかしにしてたし、藍子なら後で謝ればいいやって思ってた」
「…………」
「だから、ごめんなさい」

立ち上がって、頭を下げる。
いつも笑ってばかりの関係でも、だからといってなあなあで済ませていい訳がない。
――それもまた、菜々さんが言ったことのようなものだから。

「随分と潔いんですね」
「これだけは言おうって決めてた」
「謝る相手が違う、って思ったことは?」
「私を詰ったのは菜々さんでしょ。藍子にはまた謝るよ……でも、菜々さんを傷つけたことにも変わりないし」
「そうですか…………で」
「え?」

これで終わると思うほど甘くはない。そう自負していたけれど……菜々さんの怒りは、どうやら思っていたよりも深かったらしい。

「いつ、ナナが謝れと言いました?」
「っ」
「ナナの言葉をよく思い出してください。あなたにとって藍子ちゃんがどういう存在なのか考えなおしてくださいとナナは言いました」
「……うん、言われた」
「別に謝れなんて一言も言ってませんよ? 謝ってそのまま流れで終わってしまったら、絶対にまた同じことが起きますからね」
「…………」
「加蓮ちゃん。やっぱりあなたは藍子ちゃんを軽く見過ぎじゃありませんか? 潔く謝ったことは……立派だと思いますけど、たった5日程度で考えを改めたとでも? ナナにはそうは見えませんけどね」

痛い。
痛いところを突いてくる。
言われなくても――まだ、私の中で、藍子ならいいや、と思っている私がいる。
でも。

「じゃあどうしろって言うのよ。何をすればいい――」
「それを考えろってナナは言ったつもりなんですけどね。こういうのは苦手ですか?」
「……偉そうな」
「上から言うことが必要な時だってあるでしょう? 言い忘れていましたが、今のナナは17歳としてあなたと向かい合っているつもりはありませんからね。大人として、子供の加蓮ちゃんを叱っているつもりです」
「私がそういうの大っ嫌いだって知ってる癖に……」

返答はなかった。言葉に詰まった、という風にも見えない。最初から、返す言葉はいらないと判断された時のように。
初めてお茶を飲む。予想に反して普通に美味しかった。
……元々、陰湿なことが大嫌いな人だ。こうして言い合いが後日に縺れ込んだのが不思議なくらいなのだから。

「……それなら、私の話は終わりだよ。菜々さんに謝りたかった。今はそれだけだよ」
「…………」
「菜々さんがもっと考えろって言うなら……考えてみる。何を考えればいいのか、何をすればいいのか、私には分かんないけど……それも、考えないといけないんだよね」

最初から答えがある問題なら悩まない。例え障害が大きくても、乗り越える自信がある。
というより、私の人生はいつもそんな感じだった。遥か遠くにゴールがあり、行き着くまでの道が険しく困難ばかり。膝が折れそうになるけれど、でも顔を上げれば目的地は見える。
ずっとそんな環境だった。アイドルも、プライベートも。

「ええ、悩んでください。その間、藍子ちゃんにはナナがついていますから」
「……ねえ。もう1つ聞いていい? 藍子さ、私について何か言ってた?」

今回は、目的地が見えない。菜々さんの言うように、私の苦手分野だ。
嫌なことをやる時だって、何か理由があれば頑張れても。
どう頑張ればいいのか分からないのだから、足を踏み出すのが難しい。

「…………」

藍子に関する質問に、答えはなかった。今度の菜々さんは少し迷っているようだった。

「……それは、今の加蓮ちゃんには答えられないです。人間、ヒントをあげすぎると考えるのをやめちゃいますから」
「そっか」
「代わりと言っては何ですけど、加蓮ちゃんに見せたい物があるんですよね」
「見せたい物? 何?」
「ちょっと待っててください」

よっこいしょ、と立ち上がった菜々さんが、物置の方へと消えていく。ややあって彼女は、顔が隠れるくらいに大きなダンボールを危なっかしい足取りで持ってきて、どっこいしょ! と盛大な掛け声と共に私の前に落とし置いた。

「はーっ。あいたたた、腰が……」
「……マッサージしてあげよっか?」
「いーえ結構ですとも! さて加蓮ちゃん。これは、加蓮ちゃんに届いたファンレターです。ダンボールいっぱいのね」
「…………」
「メールで来た分は印刷して入れておきました。全部を読めとまでは言いませんが、これも何かの指標になるのではと思って。――ナナはちょっとお買い物に行ってきますね。ああ、何かあったら電話で呼んでくださいね!」

横槍を入れるスペースもないまま菜々さんはまくしたて、そして事務所から退出しようとした。
出て行く直前に、あの時のように1度だけ振り返って――でもあの時よりずっと暖かい、先輩が後輩を見守るような目で。
私に、伝えてくれる。

「加蓮ちゃん。藍子ちゃんのことも、アイドルのことも。時には基本に立ち返ってみてはどうでしょうか」
「基本に……」
「ずっとアイドルをやってきましたよね。いろいろな物を見た。新しい場所にも行った。だからこそですよ! 最初にアイドルをやった時のこと、最初にファンに喜んでもらえた時のこと。思い出しても損はないと思いますよ?」

では行ってきます! と菜々さんが出て行く――バタン、とドアが閉まり、私が1人になる。
どことなく憮然とした思いに、人参を釣らされるだけ釣らされたようなもどかしさがあった。
弄ばれている――いや、遊ばれてはいないか。
やるせない気持ちを抱えつつも、ひとまずファンレター入りのダンボールを覗き込んでみることにした。

まず、その量に驚いた。
無造作に積み重ねられた、色とりどりの便箋。何枚入っているのか仮説すら立てられない。
そもそも、菜々さんが両手で抱えて危なっかしい足取りで運んで来られる程に大きなダンボールにぎっしりと詰め込まれているのだ。3桁はくだらないだろう。
……ファンレター。
そういえば、最近ちゃんと目を通していない気がする。
色々なお仕事をやり始めた今でも、メインはLIVEだし、そうすればファンからの声は届く。拍手と歓声だけで、私は十分にアイドルを続けられていたから。

『最初にファンに喜んでもらえた時のこと、思い出しても損はないと思いますよ?』

初めてのファンレターはどこにしまったっけ。
……そうだ。お母さんとお父さんに見せて(そしてお父さんが大号泣して)、我が家の倉庫に大切に仕舞われているんだ。
私の部屋には保存していなかった。だから、柚に破壊されていない。無事に残っている。
あの時は何度も何度も読みなおしたっけ。たった数行の、すごかった、これからも応援します、という程度の文章。

「…………」

ピンク色が目立つ手紙を手に取った。次のLIVEも楽しみにしています、という内容の手紙だった。
無機質な紙を手に取った。メールを印刷した物で、次のLIVEは是非◯◯県でやってほしい、とエクスクラメーションマークをたくさん連ねて書いていた。
水色の便箋にはひらがなでの応援メッセージが書いてあった。
黒色に水仙がプリントされた紙には達筆で和服衣装でのLIVEをまた見たいと要望が綴られていた。
新レギュラーの番組への感想。ドラマへの激励。食レポが楽しかったという踊る文字。巫女体験の時の私を褒めてくれる内容。

「んっ……」

疲労と病み上がりで、目が霞む。こすった時に触れた額が少し熱い。
でもファンレターを取る手は止まらない。
読んでは次を、読んでは次を。
基本を思い出す、と言われても、あの時の私と今の私は違う。かつてローカルアイドルとすら呼べなかった私は、今や全国区のアイドルだ。ファンの数も仕事の規模も違う。
原点に戻ることは無理だ。
でも、原点を思い出すことはできる。
ほんの少しの声援を大切にしていた頃。1つ1つのファンレターがすごく嬉しかった頃。
それと――

『藍子ちゃんとのLIVE、見てて素敵でした!』
『藍子ちゃんとのコンビネーション見てて最高です! ウサミン星人に負けるな!』
『加蓮ちゃんが楽しそうにしてるの見てて私も楽しい! 藍子ちゃんとやってる時の加蓮ちゃんをずっと見ていたいです!』
『次のみんなのLIVEにも絶対行きます! 友達も連れていきます!』

それと、ずっと私の側にいてくれた女の子のこと。

今でも。
今でも、柚が回復していた時のことを間違いだったとは思わない。
いつも楽しそうにしていた女の子が、また笑顔を取り戻したこと。それを誤りだと断ずることは、絶対にできない。
その為には、いつも一緒だったユニット仲間の優先順位を下げたことも、誤りだとは思えない。

でも。
必要だからと切り捨てた物の大きさを、私はたぶん、分かっていなかった。
後から謝れば大丈夫だろうから?
藍子ならずっと待っていてくれるだろうから?
なんて酷いことを思っていたんだろうか。
それは事実なのかもしれない。菜々さんも言っていた。結果論では私は間違っていなかったと。
それでも、正しければ正しいなんてこと、ある筈がない。
一緒の時間を過ごしたことの大きさを、私は何だと思っていたのだろう――

「何かを思い出すことはできましたか?」

いつの間にか、菜々さんが事務所に戻ってきていた。

「はい、加蓮ちゃん。コーヒーゼリーです」
「…………菜々さん」
「それでも食べて、今日は帰ってください。ああ、違うんですよ、帰れって言っている訳ではなくて……。加蓮ちゃん病み上がりなんでしょう? ファンレターは、ここに来ればいつだって読むことができますから」
「…………」
「それと加蓮ちゃん。あの時は……ナナもちょっと、頭に熱が上がっちゃってました。思わず怒鳴ってしまって、ごめんなさい」

両手にスーパーの袋を持ったまま、菜々さんが頭を下げる。

「加蓮ちゃんだって謝ったんですから、ナナが有耶無耶にする訳にいきませんからね」
「……ケホッ……ううん、そんなこと」
「さてっ、冷蔵庫冷蔵庫。そのコーヒーゼリー、あと2つありますから食べたい時に食べちゃってください。何なら持って帰りますか? ああでも柚ちゃんにはちょっと合わないかもしれませんね」
「ねえ、菜々さん」
「ミンっ?」
「…………ごめんなさい。私……いろいろと、分かってなかった」
「……ナナは謝れなんて言っていませんよ。ナナだって怒鳴ったんですからお相子です。今は誰かに悪いと思わないで、じっくり考えてください」
「…………」
「その結果、謝りたいと思ったのなら、その時にまた聞きますね。……さて! 急がないとお肉が腐っちゃう〜!」

あくまでも今日は、これ以上の話をするつもりはないらしい。
ばたばたと駈ける菜々さんにメイドの風格を感じつつ、私はできる限りのファンレターをカバンに詰め込んで立ち上がった。ホントはぜんぶ持って帰りたいけれど、量が多すぎて入りきらないし、ダンボールごと持って帰るのは腕力的にも体力的にも不可能だ。
それに、ここに置いておけば、事務所に足を運ぶ理由にもなる。
柚の爆発以来、仕事があればPさんに直接送迎してもらって、ミーティングは車内でやっていた。なんとなく事務所に足を運びづらかった。
こうすれば、来づらい時にも勇気になる。

「おおっと忘れてました! これ、バナナですよ! 柚ちゃんと一緒に食べてください!」
「バナナ……?」
「バナナは脳を活性化させる効果がありますからねぇ。朝に食べるのがオススメですよ! 牛乳と一緒にクイッと!」
「……あははっ。前にお母さんが同じこと言ってたなぁ」
「んなっ!? か、加蓮ちゃんのお母さんと同じ発想……!? 少なくとも30は超えているであろう方と同じ……!?」
「またね菜々さん。私がいないからって、あんまり自爆しないでよ?」

何やらショックを受けている自称17歳を尻目に、私は事務所から出た。
まだ9月の終わりなのに、もう冬が垣間見えるような風が吹き込んでくる。そういえばいつだったか、柚が秋に約束をしている話を聞いた――フリルドスクエアのみんなと、焼き芋をする話。
あれは間に合ったのだろうか。間に合わせることができたのだろうか。
じゃあ、今度は私の番だ。
神無月に紅葉を見に行こう。
藍子や菜々さんと一緒に、いっぱい写真を撮るんだ。

だから、ちゃんと藍子の前に出られるように。
もっともっと、自分を見つめなおそう。


掲載日:2015年9月30日

 

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