「うさぎのりんご」





――北条加蓮の部屋(朝)――

熱っぽい?

北条加蓮「んん…………ん……」

身体がうまく起き上がらなかった。右手の先と、あとお腹のあたりに、酷く強い気怠さがある。
感覚が戻ってくると、額が汗塗れなことに気付いた。
……やっちゃったか、私。ここのところは安定していたから油断したけれど、急に寒くなったもんなぁ。

<あ、起きた

誰かが枕元にいる。ここは私の部屋の筈だから、じゃあ柚か。
風邪が伝染るからあっち行きなさい、と言おうとしたら、声がダミっていた。
目を開ける。覗きこんでる瞳がある。大丈夫? と首を傾げている。
大丈夫大丈夫、よくあることだから。だからあっち行ってなさい。ちょっとでも被害を食い止めた方が――

工藤忍「いや、被害って、こんな状態の加蓮はさすがにほっとけないよ……」

……。
…………。
………………!?

加蓮「ハァ!?」ガバッ
加蓮「うぐっ……」ゲホゴホ!
忍「わ。……急に動いたら駄目だよ加蓮。加蓮のプロデューサーさんにはアタシから連絡しとくからさ。ほら、横になって」
加蓮「アンタ……忍、なんでここに……!?」
忍「ん? うん、柚ちゃんが事務所に来るなりね、」

――回想 朝早くの事務所――
喜多見柚『たいへんたいへん! 加蓮サンが死んじゃう!』

――回想終了――
忍「とか騒ぎ立てるから」
加蓮「死ぬわけないでしょ!?」ゲホゴホ
忍「で肝心の柚ちゃんはパニクってるし家には誰もいないって言うし仕事があるって言うし、だからレッスンまで時間があったアタシが来てみた」
加蓮「ゲホッ……あれ? お母さん……」
忍「いたよ。たまたまいなかったんじゃないかな? 柚ちゃんが騒いだ時は」
加蓮「もぉ……ゲホッ」
忍「そしたら汗だらけでしかもパジャマを脱ぎ散らかしてる加蓮がいるもん。うわぁ、って思っちゃって」
加蓮「パジャマ……?」

自分の身体を見下ろすと、確かに酷いことになっていた。前のボタンは全開で腕の片方を通していない。そして手元に下着が転がっている。

加蓮「うわぉ」

来たのが忍で本当によかった。Pさんが来てたら冗談抜きに死んでいるところだった。

忍「いや、うわぁ、って思ったのはこっちなんだって」
加蓮「あー……忍、ちょっと後ろ向いてて」
忍「? 別にいいじゃん、女同士なんだし」
加蓮「いいから!」
忍「はいはい……」

忍が後ろを向いたのを確認して、パジャマを着直す。本当は着替えたかったけれど、それだけの気力も体力もない。

加蓮「もういいよー……」
忍「はーい。……加蓮。大丈夫なの? 確か病気なんだっけ……?」
加蓮「それは昔の話だよ……げほっ。今はちょっと、体力がないってだけ」
忍「そう……?」
加蓮「それに、ここのところは……あー、ほら、いろいろ無茶をしてたからさ。ふふっ、ツケが回ってきただけだよ…………あー、ダルい……」
忍「いろいろ、か」
加蓮「うん。いろいろ、ね」
忍「ねえ、加蓮」
加蓮「なに……?」

ベッドに腰掛けていた忍が、床に座り直す。ご丁寧に正座で、ぐい、と頭を下げて。

忍「柚ちゃんのこと、お世話になりました」フカブカ
加蓮「…………やめてよ。私はただ、見てただけだから」
忍「でもさ、とても助けてもらったから。きっと柚ちゃんもお礼を言ったとは思うけど、アタシの方からもね」
忍「大切な仲間を助けてもらったんだからこれくらい……って、加蓮なら分かってくれると思うけどな」
加蓮「……ゲホッ……」
加蓮「ん……じゃ、お礼は受け取っとく……ゴホッ」
忍「そうしてよ。……でも、もしも次があったらアタシ達で助けるからね、是帯に」
加蓮「ふふっ……あ、そうだ……」ヨロヨロ
忍「……? 加蓮?」
加蓮「これ、あげる。柚の大泣きショット」つ写真
忍「え、えぇ……? これ、アタシ達に謝った時の? ……加蓮って相変わらず性格悪いよね」ジトー
加蓮「それは許可をもらって……ゴホッ……撮った物だよ……大泣きしたら写メるから、って言って」
忍「だからってホントにやることないじゃん。それに、これをアタシにどうしろと?」
加蓮「また柚が凹んだ時に見せてあげてよ。きっと、今回のことを思い出せるから……ゲホッ」
忍「……」

だいぶ複雑そうに眺めていた忍だけれど、やがて自分の鞄の中にしまった。
それから、あ、と思いだしたように呟いて、何か丸っこい物を取り出す。

忍「お土産のりんご」
加蓮「あー……」
忍「加蓮、よく食べたいって言ってたからさ。ちょうどいいかなって思って。今、切ってあげるね」
加蓮「ありがと…………果物ナイフなんて持ち歩いてるんだねー」
忍「普段は持ち歩いてないよ。加蓮に切ってあげる為用に」
加蓮「ご親切にありがと……ゲホッ」

それから忍は、しゅるしゅる、とりんごの皮を向き、ちょうどいい大きさに整えて切った。
2つはうさぎ型にしてくれた。不器用ってイメージが強かったけれど、これは考えなおさないといけないかも。

忍「はい、あーん」スッ
加蓮「自分で食べられるって……」
忍「いいから。病人は大人しく看病を受けるの」スッ
加蓮「……はいはい」モグモグ
忍「どう? おいしい?」
加蓮「…………おいし。なにこれ。お店のとぜんぜん違う……」
忍「よかった。お母さんが送ってくれた物なんだ。……地元はあんまり好きじゃないけど、数少ない誇りみたいな物だよ」
加蓮「そっか。ね、もう1つちょーだい♪」
忍「はいはい。加蓮は調子がいいんだから」スッ
加蓮「あーん。おいしっ……ゲホッ」

忍にちょっと呆れられながらも、りんごをすべて食べた。
それから少しの間、何を言うまでもなくぼーっとして。
ふと、忍が部屋を見渡して、ずっと気になってたんだけどさ、と口を開く。

忍「この部屋、物少なくない? あんまり部屋に物を置かないタイプ?」
加蓮「元々は結構あったんだけど、柚にぜんぶ壊されちゃったからねー。ぜんぶ解決したら買い換えようって思ってて……解決したら、ね……」
忍「…………は?」
加蓮「ハァ……ゲホッ。ねー忍ー、代わりに買いに行ってきてよー」
忍「やだよ。…………え、柚ちゃんが……?」
加蓮「うん。まあ八つ当たりみたいなもん?」
忍「柚ちゃんが……」

改めて部屋を見て、いくつかの傷に気付いたのだろう――いろいろな方法で隠してみたけれど、じっと見られたら破壊の跡が見て取れる。
眉をひそめた忍だったけれど、それ以上は何も言うことなく私の方を向いた。

忍「……体、大丈夫? なんかすっごくキツそうなんだけど。顔も真っ赤だし……」
加蓮「ゲホッ……ちょっとキツイかも……。頭がぐるぐるってなって、お腹のところがすごく熱い……」
忍「重症じゃん!? 加蓮のお母さん呼んでこよっか!?」
加蓮「いいよ……そしたら問答無用で病院だし、めんどくさ……」
忍「アタシだって病院行った方がいいと思うけど!? ここで柚ちゃんの話してる場合じゃなくない!?」
加蓮「あ、忍ったらひどいんだー……仲間のことをそんな風に言うとか……」クタッ
忍「加蓮!? あ、えっと、す、すみませーん!」

どたどたと遠ざかる足音。息を吸う間に私は部屋で1人になった。
階下から聞こえる怒号に似た声。そのうち、階段を駆け上がる足音が聞こえてくるだろう。

忍は大げさに言ったけれど、こんなの私にとってはいつもの風邪でしかない。
それなのに、さっき食べたりんごだけで吐き気を催し、手の先も足の先も重力が10倍になったように重たくなるのは。
抵抗力が、なくなってるんだ。
病気に負けないようにしよう、っていう気持ちが、どこかに行っちゃってて。

忍が部屋を離れたのは10秒そこらだった。でも、その時間が、気持ち悪いくらい長く感じた。
――1人って、こんなに辛いんだな、って。
遠く、思って、意識が消え落ちる。


掲載日:2015年9月28日

 

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