「黒紫色」
――北条加蓮の家(夕方)――
この1件が終わったら、家具屋に行くことにした。 北条加蓮「……うっわ…………ただいま、柚」 喜多見柚「…………」 いつか感情が爆発した時の比ではない程に、部屋がぐっちゃぐちゃになっていた。 机は真ん中でへし折れ、化粧台はあらゆる液体をぶちまけ、ベッドのシーツはビリビリに破られている。 荒れ果てた部屋の真ん中には、自分を抱きしめて蹲る柚。 加蓮「…………ただいま」 柚「…………おかえりなさい」 加蓮「うん。ただいま。手、怪我してない? …………ぅわ」 軽く引いてしまったことを申し訳なく思う。 けれど、許して欲しい。 覗きこんで見た柚は。 手どころではなく、顔から足から痣だらけだったのだから。 加蓮「何、これ……。……柚。アンタ、ここで何してたの」 柚「…………」 加蓮「…………馬鹿が」 心を痛めた人には救いが必要だ。私がいつも、周りの皆に助けてもらっているように。 けれど同様に、間違った方向への舵取りを修正させる必要もある。 まして柚は言っていた。自分は誰からも――家族からさえも、"見られていなかった"と。 それはつまり、注意してくれる人がいなかった、ということにもなるんじゃないだろうか。 加蓮「柚。それは、駄目だよ。他はぜんぶ許すけれど、それだけは駄目だよ」 柚「…………」 加蓮「顔を上げなさい。…………顔を上げろ!」 柚「っ…………やだっ…………」 加蓮「なんで!」 柚「こんなあたし……加蓮さんに見せちゃ、駄目……」 加蓮「っ…………」 じゃあ、私は私の目を潰せばいいだろうか。 一瞬だけ狂気じみた発想が浮かぶ。 加蓮「柚。……部屋をいくら壊そうがどうでもいい。でもね柚。それだけは駄目なの。それだけは絶対にやっちゃ駄目。痛いのは自分だよ。自分で自分を痛めつけても苛立ちがループするだけで何も解決しないよ。それに――」 柚「…………」 加蓮「見て欲しいって、ちょっとだけでも思うなら……見る人が悲しむようなことだけはしないで!」 柚「! っ……!」 加蓮「お願いだから!」 柚「ぅ…………」 嫌な物が沸き上がってくる。 小さい頃、こういう子を見たことがある。全身を自分で傷つけて病院にやってきた子。そのうち退院していったけれど記憶から削げ落ちないうちにまた戻ってきて―― 半壊したベッドに座り込んだ。 それから柚を力いっぱい抱きしめた。 もう私の役割がどうこう言ってられない。使える物は、動ける者は、なんだってしていかないと。 加蓮「…………」 柚「…………」 加蓮「…………」 柚「…………」 加蓮「…………」 柚「…………」 加蓮「…………少しは、落ち着いた?」 柚「…………うん……でも、むり」 加蓮「何が」 柚「ぞわぞわってしてて、ぶわってきてて…………あたし、藍子さんに」 加蓮「うん」 柚「藍子さんに……あんなこと言って」 加蓮「うん」 柚「…………ぁああああああぁあぁあぁぁぁぁぁぁあ………………!!!」 加蓮「……うん」 しがみつかれた。圧迫する勢いで胸に顔を押し当てて。 ゆっくりと、瞬きをして、柚の頭をできるだけ優しく撫でて。 今は、この子は、感情を吐き出すことしかできないから。 柚「あたしっ……あたしってなんでこんなんなんだろ……! あんなこと……だってっ……何も持ってないのは、あたしが悪いのに……!」 加蓮「……そうかもね。でも、叫んだことは別に悪いことじゃないよ」 柚「そんなこと――」 加蓮「誰にだって、叫びたい時くらいはあるでしょ。ふふっ、私だって、藍子に掴みかかって怒鳴りかかったことくらいあるよ」 柚「…………」 加蓮「だから、大丈夫」 柚「………………あああぁあああ……あああああぁぁっっううっぅつつぁぁぁぁ…………っ!」 全身にかかる力が強くなる。 ……考えるのは、これ、後だ。 柚を、受け止めきれるだけ受け止めよう。 今までずっと、感情に蓋をしていたのだから。 今は、蓋が破壊されて、勢いよくく噴き出てきているのだから。 頭を働かせるのは、放出が終わってからの話。 柚「ひくっ……ひくっ…………」 加蓮「…………」ヨシヨシ 柚「……ぐすっ…………あぁああ……」 加蓮「大丈夫。大丈夫だからね。大丈夫……」 柚「ぁあああ…………あぁぁぁ…………」 加蓮「大丈夫だから……」 ――北条加蓮の家(夜)―― …………しばらくが、経過して。 様子を見に来た母親に夕飯はいらないと伝えておいた。気を遣われて、いつでも食べられるからね、と言われた。 あの過保護な親バカめ。しかも明らかに柚の方を見て言うものだから。家具を新調する時にはいっぱいふんだくっちゃる。 ……ああ、凄まじいことになった室内については、何も聞かれなかった。 そこだけは感謝かな。 柚「すぅ……すぅ……」zzz 加蓮「…………」ナデナデ 泣きつかれた子供は眠ると相場で決まっている。柚だって、まだ15歳の女の子なのだし。 ……15歳の悩みじゃないなぁ、これ。重たすぎて。 ううん。逆に、子供だからこその悩みか。 もしかしたら柚は、つくづくアイドルの世界に向いていないのかもしれない。 でもそれは柚が決めることだから、私の考えることじゃない。 柚「ううん…………ごめんなさぃ…………」zzz 加蓮「……夢の中くらい、楽にしなさいよ。そんなんじゃいつ休まるのよ」 柚「…………ごめんなさぃ……かれんさん……」 加蓮「ったく」 私が考えるべきことは、もっと別のことだ。 昼間にあった出来事。 柚が藍子に言ったこと。 柚の主張。 『もしもあたしが加蓮さんとずっといっしょにいたら、何か見つけることができたのかな』 『なんで藍子さんなの! あたしだって……あたしだって、加蓮さんの隣にいたら、ずっといたら、何かを見つけられてた筈なのに!』 ……私を何だと思っている。ついそう言いたくなるけれど、でも、柚の考えを無碍にしても話は始まらない。 もし、私と一緒にいることで、何かを見つけられるならば。 柚は、私といればよかったのだ。 ただそれだけのこと。 それだけのことであり……もう、修正が不可能なこと。 あそこで藍子を相手に絶叫したのは、ある意味で正しかったことなのかもしれない。 正しいか正しくないか、で語った場合だけれど。 加蓮「…………」ナデナデ 柚「ぅゆ…………」 柚が猫のように身じろぐ。さっきまで大荒れだったとは思えないほどにあどけない顔で、けれど口の端が少しだけ歪んでいる。 ……柚が、藍子に対して怒鳴ったことは。 ひとまず、終わったことにしよう。 結局はただの後悔であり、結局は同じ大元の話なのだから。 柚「ううん……」パチッ 加蓮「ん、起きた?」 柚「……ぁふ……おはよー、加蓮サン……」 加蓮「うん。おはよう、柚」 柚「…………」 加蓮「…………」 柚「…………加蓮サン!?」 加蓮「え、何……?」 柚「なんでアタシ寝てっ……!? な、なにこれ、部屋がぐっちゃぐちゃ……これもしかして、アタシが……!」 加蓮「それはもう、寝てる柚がたくさん謝ったから大丈夫だよ」 柚「そんなのっ……だって、ほら! アルバムも、ノートも、全部ずたずたに――!」 加蓮「終わったらぜんぶ直すから。その時には柚も手伝ってね。……それで、いいから」 柚「やだよ……それじゃ駄目だよ! アタシ、駄目! 加蓮サンの傍にいたらアタシまたっ」 加蓮「次は何を壊すのかな。部屋? 家? それとも私? 決めた。次は未然に防いでみせる」 柚「……なんでそんな余裕な顔するの!? また柚が……アタシが変なことしちゃうんだよっ!? アタシがここにいたら、」 加蓮「さあ。焦ってる人を見てたら動揺が収まるとか、そういうアレじゃない?」 柚「訳分かんない……っ!」 加蓮「ふふっ。今日は……お母さんにお布団を借りよっか。さすがにこれじゃ、寝られないし」 柚「……訳分かんない……」 |
掲載日:2015年9月11日