「安部菜々」







――撮影現場――
「ふぃー。ナナもうクタクタですよぉ」

人の波の向こうから見知った顔がやってくる。北条加蓮は、ん、と小さく頷いた。
撮影現場にはとにかくスタッフが多い。結果だけを見るならばたかが10枚程度の写真を世に公表するだけなのに、把握しきれない程の多くの人が疲れを取る間もない程の時間をかける。
業界の表側だけを見て憧れた加蓮は、こうした裏側を初めて見た時、少し以上に驚いた。
そのことは、まだ鮮明に記憶している。

「だいぶ動くんだね、今日の撮影」
「時代はウサミン星ですからね!」

拳を握る安部菜々には苦笑を向けつつ、改めて彼女の全身を見てみた。
それほど派手な衣装ではない。柔らかい色合いのウサミミに対して色彩が強いブーツが安部菜々というキャラクターをうまく表現していた。
それと、爪の先に見える、ほんの少しだけの彩りも。

「あ! 加蓮ちゃん、今ナナのこと笑いましたね!」
「違う違う。それ、つけてくれたんだ」
「これですか。ナナもたまには大人っぽく……ほ、ほらJKですからね! ちょっと背伸びをしたくなるっていうか」
「いやウサミミがついてる時点で大人っぽくは見えないよ」
「ナナはウサミン星人ですから!」
「じゃあいいんじゃん」
「……あ、そうですね」
「ふふっ」

目だけを少し左に向けて、菜々の向こうを眺める。
スタッフが忙しなく走り回っている。今まで使われていた撮影道具が、息を1つする度に片づけられていく。ふと出入口の方で物音がした。スーツでびちっと固めた人は次の撮影の監督だろうか。駆け寄るスタッフが申し訳無さそうに謝っている。作業が遅れていることを詫びているらしい。こんなに走り回っているのに、と加蓮は肘を膝に頬杖をついて笑った。

「楽しそうですねぇ、加蓮ちゃん」
「ん? そう見える?」
「ええ。こういう何もしない時間って、好きじゃないイメージがありましたけども」
「昔はね。今は……藍子とか菜々さんとかと、無駄な時間ばっかり過ごしてるからね」
「ムダを楽しんでこそ、人生ですよ♪」
「そうだね、人生の先輩」
「ナナは17歳ですってば!」
「ふふっ。私、ちょっと挨拶してくる」

何やら喚いている地球外生命体(自称)をひらりとかわして、加蓮は他のスタッフに混じって先ほどの監督の元へと向かった。
今日は菜々の撮影の見学に来ただけだが、こういう地道な行動が功を奏することは担当プロデューサーから何度も言い聞かされているし(分かっていないとでも思っているのだろうか。失礼な)、加蓮としても根回しみたいな行動は嫌いじゃなかった。
結局は対した会話を交わすこともなく、心境が上がったのか下がったのかも掴みきれないまま、菜々の元に戻ってくるだけだったが。

「あ、おかえりなさい加蓮ちゃん」
「ただいま。菜々さんは今日はもう終わり?」
「いえ、あとは確認ですね。どうもスケジュールが詰まってるみたいで、出来上がりまでチェックするみたいなんですよ」
「大変だね」
「もうホント大変で。アニメの録画なんて溜まっていくばっかりで、はぁー」
「こらこら。仮にも仕事場なんだから、アイドルが愚痴らないの」
「そうだ、この後に時間ってありますか?」
「いいよ。どっか食べに行く?」
「いえ、事務所の食堂で!」

言うが否や、返しの言葉を向ける前に菜々はスタッフに呼ばれた。
はいはーい! と、先ほどのロウテンションが嘘のように声色を切り替える彼女に、はは、と乾いた笑みを浮かべ、周りが苦笑いするほどのテンションを発揮する姿を遠巻きに眺めて、もう1度、今度は潤った笑みを作ってみた。
こうして手の届かない場所で菜々のアイドル活動を見ることが、加蓮は好きだった。
――少しでも穏やかな気持ちを手放すと、いつかそこを抜いてやる、なんて闘志が生まれてしまって、何もしない時間を楽しむことが難しくなってしまうけれども。



――事務所の社員食堂――
「今日もお疲れ様でした、加蓮ちゃん。カンパーイ!」
「お疲れ、菜々さん。かんぱいっ」
「ごくごくごくごくごくぷはーっ! ああ゛〜っ、五臓六腑に染みますよぉ」
「……ふふっ」

22時を回っていた。自分たちの他に音を立てる人はいない。
テーブルの上に並ぶ、飲み物と、ささやかな食事――冷凍食品のチャーハンや餃子も、事務所の冷蔵庫から勝手に持ってきた物だ。
冷凍食品とはいえ、全国各地で活動するアイドル事務所にある物だ。見ない色のパッケージが多く、ちょっと口に運ぶだけで舌が喜んでくれる。

「……ぷはーっ! 加蓮ちゃんもどうですか?」
「20歳になったらPさんと飲もうって約束してるから、今はパス」
「ズルいですねぇ。ナナもその約束したかったーっ!」
「もう酔ってる?」
「いーえっ、まだまだこれからですよ。350mlで酔ってたまりますかぁ!」

スーパーでドライな缶を片手に喚くウサミン星人に呆れとも慈しみともとれない笑みを浮かべつつ、加蓮は自分用の炭酸を喉へと通した。
お酒には炭酸が含まれていると聞いたことがあるので用意してみたが、やっぱり一緒に飲んでいるという気持ちにはなれない。
――自分は同年代よりも大人に"ならざるを得なかった"人間だと自称する加蓮だが、それでも本物の前ではやっぱり子供なのだ。

「ナナ、2缶目いっきまーす!」
「早っ」
「いやっいやぁ加蓮ちゃん、大人なんてこれくらいが普通ですよぉ! ぐびぐび」
「そうなの? じゃあ私は大人になったら苦労しそうだ」
「ふうっ。いやあありがとうございます加蓮ちゃん。付き合ってくれて」
「いいよ、私も楽しんでるもん」
「最近はみなさん付き合いが悪くてですねぇ、ホント、この事務所は忙しすぎですよ。遅くなったら次の日に響くからって、ぷはーっ! 飲まない人生なんてやってられるかーってっの!」
「……ふふっ」

一度、提案したことがある。
菜々がどういう理由で永遠の17歳などと言っているのか知らないけれど、いろいろな苦労や無理はあるだろう。
だから、自分の前では取り繕わないでやっていいよ、と。
菜々はそれを断った。
転がり落ちたら、戻ってこれなくなりそうだから、と。
加蓮は続けて提案した。
どうしてもって時には、飲み相手として付き合うと。
菜々は嬉しそうに首を縦に降った。
どこに違いがあるのか、加蓮にはよく分からない。

「ぐびぐび……ぷはーっ! あ゛あ゛〜っ」
「あはは、興味が湧いちゃうじゃん。やめてよ菜々さんったら、もう」

真似てみて、コップを一気に傾ける。喉を痛めつけるような衝撃が流れていき、胃がカッと焼ける。
勢いのままにたこ焼きを2つ、一気に頬張った。冷凍食品とは思えないほど濃厚なソースの味が口の中に広がっていく。歯を立てるのが勿体無いと思い舌の上で転がしてみるけれど、さすがにまるまる2つを飴玉のように舐めるのは難しかった。
傷をつけないように咀嚼し、最後に残った特大のタコをゆっくりと味わってから、ようやくお腹の中へと入れていく。
たった2つを食べただけなのに、加蓮はもうこの食卓に満足していた。あとは菜々を見ているだけでよかった。

「ふぅーっ。ここでウサミン星人のトリビアです!」
「うん?」
「ウサミン星人は350mlの2缶までなら素面で飲めるんですよぉ」
「そっか」
「で、ですねえ。ナナは、3缶目を空ける前にやることをやっておくことにしました!」

はいはい、とテキトーに流そうとして……体が、ほんの少しだけ前に出た。
視神経の奥でスイッチが入って、目に映る景色の色が変わった。そして加蓮はようやく、特別キツイ仕事をこなした訳でもなければ、加蓮の知る限り何か悪いことがあった訳でもない菜々がここまで勢いづいて飲んでいる理由を、曖昧ながら悟った。悟るのが遅い自分に小さく溜息をつきつつ、うん、と頷いてみせる。

「もう今日も終わっちゃうからね。やれるうちにやっておかないと」
「ホントですよ。全く加蓮ちゃんったら、まあ、加蓮ちゃんがいい子だってことは今に始まった話じゃないですからね。それに、聡い子だってことも」
「捻くれ者で利己主義者ってだけだよ」
「釈迦に説法っていうか、馬耳東風っていうか、でも加蓮ちゃんが無駄なことも好きだって言うから」
「楽しければ好きだよ。菜々さんといたら楽しいもん」
「キャハッ☆ それでもナナが納得いかないので早い内に言っておきますね!」
「うん。どーぞ」

掌で促されたまま、菜々は自分が酔っぱらいと宣言する音を軽快に立てた。
もし酔っぱらいとして絡みついてきたらどついてやろう、と加蓮は攻撃的な笑みを浮かべた。
それに釣られて、缶を半分くらい飲み干した菜々が、ギャハ、と笑う。濁点をつけて笑う。そして。


「ナナは、藍子ちゃんにはなれません」


据わっている目は、まっすぐにしか向いていなかった。

「ナナはナナです。安部菜々です。ナナは藍子ちゃんにはなれません。藍子ちゃんのように、加蓮ちゃんのやり方ぜんぶに共感はできません。肯定もできません。――それだけは、はっきりしておきたくて」
「……どれのこと?」
「加蓮ちゃんがプロデューサーになろうとしていることです。もし自分の成長の為だったり、新しいことをやりたい為だったり、他のみんな……忍ちゃんや、加蓮ちゃんが最初にプロデュースをしたいと思った柚ちゃんの為なら、ナナも応援します。でも、加蓮ちゃんの言っている『Pさんの隣に立ちたい』『Pさんと同じ目線に立ちたい』って理由が本当の本音なら、ナナは賛成することができません」
「…………」
「それからナナは、加蓮ちゃんが思うよりもずっと薄情な人間だと思います。もしナナが……おっと」
「わっ……大丈夫? 飲み過ぎだよ、菜々さん」
「いーえっ平気ですっと! ふーっ。もしナナが冷たいって感じたら、加蓮ちゃんは藍子ちゃんのところに行ってください」
「…………」
「ナナにとっての正解が、加蓮ちゃんにとっての正解じゃない。加蓮ちゃんにとっての正解が、ナナにとっての正解じゃない。ナナはきっと、加蓮ちゃんよりもずっとアイドル馬鹿ですから。なーんて、加蓮ちゃんなら知っていることですよね?」
「……まあね。菜々さんだけだもんね、Pさんのこと、そういう風に見ていないのって」

目の前で、3つ目の缶がみるみるなくなっていって、どこに出しても恥ずかしい酔っぱらいができあがる。
目が妖しくなって、厭らしくなって。そうしたら、がたん、と椅子の倒れる音がしていた。
床を這いながら、軟体動物のように絡みついて来たので、さっき決めた通り思いっきりどついてやった。
あふん、と変な色気を孕んだ声と共に、ウサミン星人が吹っ飛んでいく。

「菜々さん」
「ふにやあ?」
「……うん、分かった。でも、菜々さんは菜々さんだよね」
「ギャハ……ええそうですよぉ、ウサミン星から来たウサミン星人、ナナでぇす♪」
「だめだこれ完全に酔っ払ってる……。次の日に二日酔いで頭が痛くて忘れた、なんて無しだからね」
「もちろんですよぉ。でへでへ」

――3缶目を飲んでからの豹変が酷い。どうも菜々は嘘をついていなかったらしい。だから加蓮は、さっきの言葉も本当だと確信することができた。
4缶目へと手を伸ばした後先考えずのハタチオーバーに、呆れの息を1つ。

「菜々さん」
「なんですかあ?」
「……そこに並べた缶、ぜんぶ飲んでよ? 私は飲めないんだから」
「はいはーい! ウサミン星人、やっちゃいますよぉ!」
「ん。……動画だけ撮っといてやるか♪」

スカートのポケットからスマートフォンを取り出して、加蓮はいつものように、シニカルに笑った。
その時にはもう、いつものように、自称17歳をいじる顔に戻っていた。

――菜々からの言葉は、そっと心の箱にしまいこむだけにしておいた。
ただ、鍵をかける時、心の奥の方と、頭の奥の方が、小さく、痛みを訴えた。


掲載日:2015年6月25日
(後半の即興部分を加筆修正)

 

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