「陽の光を忘れた鈴蘭へ」





――商店街――
「寒い! 超寒い! ははっさすが北海道だな! すげー寒いぞ! なぁ夕美! 俺、すげー寒い!」
「あ、こんなこともあろうかとっ……はいPさんっ♪ モコモコの手袋! これつけたらきっと暖かいと思うなっ」
「手袋。……夕美の手袋!」
「いや"私が選んだ"手袋だからね? "私の"手袋じゃなくて。それPさんにあげるねっ。準備してた時に買ったんだ」

アホP(以下「P」)と相葉夕美は北海道に来ていた。
目的は夕美のLIVE。地方ツアーというにも遠すぎる場所だが、これが初めてのことではない。
コンセプトは「そこにしか咲かない花」――北海道には本土にない花が多く生息しており、これにフラワーアイドル・相葉夕美が乗っかる形となる。

「よし、っと。うわっこの手袋、超暖かいな! さすが夕美だな!」
「うーん、私が編んだ訳じゃないから褒めるならお店の人にじゃないかな?」
「でも選んだのは夕美だ。さすが夕美! 俺の嫁!」
「お断りします。気に入ってもらえたならよかったっ♪」

特に目的があって商店街を歩いている訳ではない。
リハーサルは終わった。開幕まであと2時間30分。
ちょっとした気分転換である。

「この辺は前に来た時からそんなに変わってないねっ。……あれ? Pさん?」
「緊張するなー緊張するなー」
「……なんでPさんの方が緊張してんの? 舞台に上がるの私だよ?」
「プロデューサーってのはそういう物なんです!」
「変なPさんっ。あ、じゃあPさんも一緒に舞台に来る? そうしたら緊張も解けるかも……なんちゃってっ♪」
「夕美とLIVE!? ま、待て、俺まだボーカルレッスンもできていないしビジュアルレッスンだって――」
「……冗談だからね? ちゃっかりアイドルになろうとしないでよPさん……」
「はっ。そうだ。俺は夕美と泰葉をプロデュースするんだ。俺は裏方俺は裏方。……ところで夕美。俺ってどうやったらオーディションに合格できるかな」
「話を聞いて!?」
「応募者:俺、審査員:俺。これで俺も今日からアイドル!」
「自作自演!?」

大声を上げる2人に行き交う人が何事かと興味を示すも、夕美は深くかぶったニット帽に伊達眼鏡で変装をしているのでアイドルだとバレることはない。

「ははは、分かっているとも。帰ったらまた夕美のプロモーション再開だ! 見とけよ社会、俺のアイドルはまだまだこれから――」

両手を広げてあっちこっち見渡すP――きょろきょろとしていたが故に。
前から1人の少女が歩いてきていることに気付いていなかった。
Pさん! と夕美が警句を上げるも、観客0人の演説を続けていたPの耳には入らなかった。

どんっ、と。
少女が、Pへとぶつかった。

「きゃっ」
「おっと」
「もー、Pさん、前向いてないから……大丈夫? 怪我、してな――」

Pに呆れつつも少女へと夕美が屈みこんだ――ところで。

「!!」

少女が、ばっ! と飛び退いた。

「ご、ごめんなさいごめんなさいっ」
「え? ……いやいや俺超元気だから大丈夫だよ? なあ夕美」
「うーん。Pさんの顔がヤバかったとか?」
「待って俺の顔ってそんなにヤバイの?」

極端なほどに謝る少女へと顔を見合わせる2人。
そこへ。

――危なあああああああああい!!

賑やかな商店街を切り裂くように、絶叫が轟いた。
上の方からだった。
へ? とPが声の方を見上げる。

冷水が滝の如く降りかかってきた。

「――――!?」

飛び退く間もなく、ざーっ! と轟音。軽装版スーツと夕美が渡した手袋、それにスーツケースを水浸しにした後に、こんっ、とプラスチックのバケツがアスファルトに落っこちてきた。
えらいこっちゃ! と上の方で誰かが頭を抱えている。喧騒がPへの注目と変わっていく。

「冷たっ! ……ってPさん頭からかぶってる!? 大丈夫!?」

服の端が濡れた程度に留まった少女が、直接何かした訳でもないのにガクガクと震えていた。ごめんなさい、ごめんなさい、とうわ言を繰り返す彼女へと、Pは大丈夫だと返そうとして――
口が開かないことに気付いた。
せめて頭を撫でて暖かい笑みでも浮かべようと思った。
指も動かないことに気付いた。

かちかちこちこち、と氷上の釣り堀を思わせる音が聞こえる。

「Pさんが氷漬けになってるーっ!」
「ごめんなさいごめんなさい……私の、私の不幸のせいで――!」

――ならば、話は早い。
全身の筋肉はプロデュースの為に鍛えてきた。夕美がいつぶっ叩きたくなってもいいようにという言葉は決して嘘ではない。

「――燃やせバーニングハートッ! 萌えろプロデューサー!」

バリバリバリ! と気持ちいい程の爆音と共に、Pは復活した。

「え」
「え」
「ふうっ。いやあプロデューサー業は大変だ、全身氷漬けにならなければならないとは」
「いや、普通のプロデューサーさんはそんなことしなくていいんじゃないかな?」
「何を言うか夕美。誰も成し遂げていないことをやってこそプロだと泰葉もあれほど言っていたじゃないか」
「はいはい、どうせならもうちょっとまともなことしようね?」
「前人未到に善悪などない、要は前人未到であるかどうかが重要なのだ」
「Pさんはいったい何になりたいのかなっ?」

ふと、Pと夕美は気づく。少女がPの方をじっと見て固まっていることに。

「あれ? どうかしたのかな……ってPさんが変なこと言うからこの子が固まっちゃってるんだよっ、きっと!」
「夕美さん夕美さん。なんでもかんでも俺のせいにしても何も解決しないと思――」
「あはは、えっと、ごめんね? この人、ついていければ楽しい人なんだけど……」
「ってもう聞いちゃいねえ」

先ほどと同じように屈みこんで手を差し伸べる夕美。少女はそれでも、じっとPの方を見て――
初めて、頬をほころばせた。

「すごい……私の不幸があっても、こんなに笑ってる人、初めて見た……!」
「…………えぇ〜」
「おう! プロデューサーはいつ如何なる時も笑わなければならない! 例え所属アイドルからごっちんごっちん殴られても――」
「笑ってないで殴られるようなこと言うのやめてよPさん」
「例え所属アイドルから冷えた目で見られても――見られても――…………泰葉ぁ……!」
「気持ちは分かるけど自分でトラウマ掘り起こして震えるのはやめよっかっ?」
「プロデューサー……さん、なんですか……?」
「ん?」
「え?」

その反応に、Pと夕美は不毛な口論の為の口を別の為に使うことにした。

「ああそうだ。俺はP、んでこっちがアイドルの――」
「相葉夕美ですっ♪ って、あんまり大声で言ったら騒ぎになるから、しーっ♪」
「Pさん……に、相葉夕美さん……あ、ご、ごめんなさい。私、その、白菊ほたるって言います……ご、ごめんなさいっ」
「な、なんで謝るの……??」
「それはだ夕美。この子はきっと名前だけで相手を殺せるに違いない」
「何言ってんのPさん?」
「名前を口に出してはならないあの方的な」
「面白いよねハリ◯タ。私はゴブ◯ットが一番好きかなっ」
「夕美は分かってねえなぁ! 男のロマンって言ったら普通は賢者◯石だろ!」
「私、女の子なんだけど!?」
「……………………」
「あっ! ごめんね、えーっと、ほたるちゃん? ついいつものノリでっ。えっと……もしかして、」
「アイドルに興味はありませんかッ!!」
「あーっ、それ今私が言おうとしてたこと!」
「いくら夕美でもハリ◯タの最高傑作と女の子のスカウトは譲れんな!!」
「スカウトはともかくもう片方はそれでいいの?」
「それはともあれ、そこの君、改め白菊ほたるさん! 俺に君をアイドルとして売り出させてくださいっ!!」

名刺、はぐちゃ濡れなので使えない。バーニングハートはあくまで本人にしか適用されていなかった。
名刺を差し出すスタイル(ただし手には何もない)に、少女改め白菊ほたるは――
さっきまでの緩んだ表情と僅かな瞳の輝きをさっと伏せ、ごめんなさい、と呟いた。

「ごめんなさい。私がいると……周りの人が、不幸になってしまいますから……」
「……不幸?」
「いつもそうなんです。だから……ごめんなさい」
「ううむ……」

Pが少しだけ考えこむ。

「そんなことはない! ……って言う雰囲気じゃないなぁ。どうしよ夕美」
「うーん……Pさんなら氷漬けになってもご覧の通り大丈夫だから気にするな、っていうのはどうかなっ」
「夕美って時々さらっとヒドイこと言うよね」
「Pさんには言われたくないなぁ」
「あの……でも、そちらの、夕美さんにも……」
「私っ? あははっ、私かー……たははっ。氷漬けにされるのはちょっと困っちゃうけど、うーん……でも、不幸なんて――」
「それはいけない。俺のアイドルは健全でいるべきなんだ」
「Pさぁん!? もうちょっと言うこと別に――」
「いいえ……慣れていますから、平気です」

気遣う視線を向ける夕美へと、ほたるは目を伏せて微笑む。

「疫病神だって言われることに……慣れてますから」
「……」
「……」
「私……実は、前に別のプロダクションに所属していたんです。でもそこは、倒産してしまって……その前も、その前も……」
「倒産っ!?」
「きっと、私が不幸だから……」

大丈夫です、とほたるはもう1度、笑みを作った。
立ち上がり服を払う彼女へと、Pも夕美もかける言葉を持っていなかった。
ぺこり、と。
必要以上に仰々しく、頭を下げる。

「ありがとうございました……こんな私を、誘って頂いて。でももう、誰も不幸にはしたくないんです」
「…………」
「ごめんなさい……そ、その、失礼しますっ」

そうして、彼女は小走りに去っていく。
その頃には水浸しのPへの注目も薄れていて、商店街は元通りの喧騒を取り戻していた。
白菊ほたるとの出会いなんて、最初からなかったかのように――もっと言うならば。
あってもなくても、同じだったかのように。

「夕美」
「なにかな?」
「俺はあの子に惚れた」
「…………は?」
「あの子に惚れた」
「ごめんPさん。真顔で言うと、その、ちょっぴりアブナイ感じがしちゃうんだけど……?」
「自分の推したい子をアイドルとして推し売り出したいように売り出す、それがプロデューサーってもんだ。俺の中には既にあの子をどう売り出すか50パターンは構築された。…………行くぞ夕美ィ!!」
「え、え!?」

走りだす。この時点で既にほたるの姿は見えていなかったが、Pはがむしゃらに走りだす。
と――なんとか夕美が追いつこうと後を追っていると、ピタリ、と彼は立ち止まって。
それから。

「…………どうしよ。俺、あの子の名前しか知らないんだけど」

夕美がジト目になったのは言うまでもない。



□ ■ □ ■ □



あれから果たして如何なる手段を使ったのか、それはLIVE準備の為に別行動を起こした夕美には分からないが。
LIVE開始数分前、夕美の元にPから連絡が入った。
あの子を確保した。LIVE会場に連れて来ている、と。

この際、手段や過程は気にしないことにした。普段はアレなPだがさすがに犯罪には走っていないだろう。走っていない、と信じておく。
髪飾りの位置を確認しながら、オッケー、と夕美は朗らかに言った。
惚れた、などというたわ言はさておき。
ほたるをアイドルとして迎え入れたいという気持ちは、夕美も同じだった。
プロダクションが倒産したという出来事を悲しそうに語る少女。
もし、自分たちのところで迎え入れて、無事にアイドルになれたら――

「さて、とっ♪」

そろそろ出番でーす! というスタッフの声に、はーいっ♪ とアイドルモードに切り替えた声で応えて。
相葉夕美は、ステージへと進む。
いつも通りの過程、いつも通りの場所。
いつもとは違う思いを、1つだけ胸に秘めて。

――あれだけ悲しそうにしていた少女がそこにいるのなら。

「楽しませることが、アイドルの仕事だよねっ♪」



□ ■ □ ■ □



LIVEはつつながく終了した。アイドル相葉夕美は多数の声援と拍手に迎えられ、明るい笑顔のまま幕を閉じた。
心地よい疲労に足を弾ませながら戻ってきた夕美を迎えたのは、Pの絶叫だった。

「夕美! よかったな、無事に終わって! よかったなあああああああああ!」
「お、大げさだよPさん。いつものLIVEなんだから……もちろんっ、いつも通り全力でやらせてもらいましたっ」
「いや、いやな? 客席にいる間ずーっとほたるちゃんが大丈夫かな大丈夫かなって言うから俺までつい」
「あ、あはは……」

Pの隣にはほたるがいた。昼間見た時にはなかったセーターを羽織って、困ったように作り笑顔を見せている。

「でも……良かったです。不幸がないままに、LIVEが無事終了して……」
「あー、夕美、すまない。俺ら客席のかなり後ろの方にいたんだ。その、前の方だと不幸がってほたるちゃんが泣きそうな顔で言うもんで……」
「あ、それでPさん探しても見つからなかったんだねっ。もー。罰としてLIVEのDVDを買うこと!」
「布教用、布教用、布教用の3枚購入うううう!!」
「え、ぜんぶ布教用?」
「だって俺プロデューサーだし。だいたいお前考えてみろ、DVDなんつー夕美のいいところしか詰まってないもん買って家でじっくり見た時には次の日にさすがに夕美に申し訳なくて顔が合わせづらいわ!」
「どうして私のDVDを買ったら顔が合わせづらいの!? ……あっいいよ言わなくて! だいたい想像ついちゃったから!」
「…………」
「っと、すまないほたるちゃん。ついクセで」
「えっと……ほたるちゃんもLIVE、楽しんでくれた?」

屈みこんでほたるを見上げる形となった夕美が、どお? と小首を傾げて見せる。

「…………です」
「おっ」
「楽しかった……です……夕美さんのLIVE。すごく素敵な笑顔で……私、昔のことを思い出せました」
「昔のこと?」
「私……今でこそ、不幸ばっかりで、周りの人にも叱られてばかりで暗い性格になって……でも、初めてアイドルになった時は、もうちょっとだけ明るかった……はず……」
「うんうんっ」
「その時のことを、少しだけ思い出しました……。まだ、アイドルを楽しいって思えていた頃のこと」
「そっか!」

じゃあ成功だ、と夕美は笑った。
困り笑顔と作り笑顔しか見せない少女に、本音からの楽しさを与えられたのなら。
アイドルとして、大成功だ。

「それなら!」

Pが、ずい、と一歩前に出る。
そう――アイドルたる夕美はここまでで良いが、プロデューサーたるPはここからが本番だ。
ほたるを楽しませるという目的は、Pと夕美、2人で共有していた。だが最終目標が違う。
楽しませることそのものの為に歌って踊った夕美に対し、惚れ込んだ――もといアイドルにしたいと言ったP。

掴みかからんとばかりの勢いのPの目を、ほたるはじっと見て。
それから、次の言葉を少し緊張して待っている夕美へと、目を向けて。

「私……」

ほたるは、ゆっくりと口を開いた。

「今日は、ありがとうございました……楽しい気持ちを思い出せて、よかったです」
「ああ! アイドルって楽しいんだぞ! なあ夕美!」
「うんうんっ。ほたるちゃんも是非――」
「俺達とアイドルやろうぜ!!」
「…………だからこそ」

笑みの種類を、"変えることなく"。



「だからこそ、私がいてはいけないんです」



……。

…………。

「……………………え?」
「私がいたら……誰かが不幸になってしまうから……。でも、お客さんとして、一番後ろから見たら、誰も不幸にならずに済んだってこと……今日、分かることができてよかったです」
「い……いやいやほたるちゃん、いてはいけないって――」
「アイドルが楽しいって気持ちは……私、お客さんとしてだけで十分ですから……それだけでも」
「…………!」
「思い出させてくれて、ありがとうございました。私、今日……久しぶりに、幸せな1日でした」

LIVEの後の高揚も。
相手が華奢な女の子じゃなかったら両肩を掴んで揺さぶってでも勧誘したいという情熱も。
冬の大地に吸い込まれるように、霧散していく。
固まったPと夕美を見て、ほたるは眉を八の字にしながら、ごめんなさい、と今日何度目になるか分からない言葉を残して。
ゆっくりと、立ち去っていった。

……。

…………。

……。

…………。

「…………」
「…………」

スタッフ達がLIVE会場の片付けを進めていく。いつもなら相手に恐縮されるほど手伝う2人だったが、今日は指の先すらも動かすことができなかった。
行き交う彼らが疑問符を浮かべる中、5分が経過し、10分が経過して。
先に言葉をひねり出したのは、Pだった。

「――――夕美」
「…………うん」
「俺は、夕美……それに泰葉がちょっとくらい失敗してもいいって思ってる。そういう時に突っかかっては駄目だっていうのは、いくら俺でも分かる」
「…………」
「プロデューサーとして、アイドルの失敗は許す。それがプロデューサーたる役割だって思ってる。だが……だがな!」

いつもの騒ぎ立てる声とはまるで別物の、金属を手のひらで削って絞り出したような声。

「この失敗は許さん」

前髪に隠れる目は、人を射殺すほどの鋭さがあった。

「"アイドルをやる楽しさ"を伝えきれなかった。それは夕美、お前の失態だ」
「…………」
「そして、夕美の舞台を作った俺の失態でもある」
「…………」
「やり直すぞ。あの子に、楽しさを伝えるまで。……いいな!」
「…………うん!」

分かってる、と夕美は顔を上げる。

「私はアイドルで、あなたはプロデューサーさんだもんね。……アイドルで負けっぱなしなんて、絶対に許さないよね」
「ああ」
「じゃあ、もう1回やろっか。あの子、ほたるちゃんに、伝える為に」
「ああ!」

――たった1人の少女がもたらした"失敗"へと、彼らは再び闘志を燃やす。
北の地が吹きかける冷たい風に、負けないほどに。


掲載日:2015年11月5日

 

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