「飲む人のいないお茶を淹れて」
――16日前(9月4日) レッスンスタジオ――
「きっと柚ちゃん、ちょっぴり、思いつめちゃってたのではないでしょうか……」 あの日。 喜多見柚が"爆発"してレッスンスタジオを飛び出し、それを北条加蓮が追った後。 その場にいた残りの人間――高森藍子、安部菜々、工藤忍、ベテラントレーナーのうち、最初に口を発したのは藍子だった。 「柚、ちゃんが……? あんなになるまで……?」 「柚ちゃんの気持ちがぜんぶ、分かるって訳じゃあないんですけれど……。きっと、スランプとか、うまくできないことに焦っちゃってたのではないのかな? って」 「そう、なのかな……。アタシ、ぜんぜん気づかなかった……」 肩を落とす忍に、いつもの調子を装って声をかけたのは菜々だった。 「まあまあ。こういうのは、ずっと傍にいたら気づかないってことがありますから!」 「…………」 「忍ちゃんが落ち込んでたら始まりませんよ! ……といってもナナ達はどうしましょうか。ここに残ればいいのか、あるいは――」 きい、と嫌な音を立てる出入り口を一瞥する菜々へと、藍子が首を横に振る。 「柚ちゃんは、加蓮ちゃんが行ってるから……きっと、大丈夫です。私たちまで行ったら、邪魔になってしまうかもしれませんし……それにほら、加蓮ちゃん、とっても優しいですから!」 「まー加蓮ちゃんなら任せられますけど、ナナあの子が余計なこと言ってないか不安で不安で」 「もう。加蓮ちゃんは、真剣な時にふざける子じゃありませんっ」 「それにさっきだって! 本来なら柚ちゃんを忍ちゃんが追って、加蓮ちゃんは藍子ちゃんのフォローに回るべきじゃなかったんですかねぇ――ああっ違うんですよ忍ちゃん! 今のは加蓮ちゃんへの文句であって! ナナ失言でした〜!」 どうにもまとまりきらない中、藍子は立ち上がった。 柚に思いっきり叩かれた手の甲を、もう片方の掌でゆっくりと包み込んで。 大丈夫です、と笑顔を見せる。 「私たちも、事務所に戻りましょう。そうだ、加蓮ちゃんに連絡してみないと……私、スマートフォンを鞄の中に入れっぱなしだから……」 「ええ! Pさんにも相談しないと。忍ちゃん立てますか? ナナが連れて行きますから! ……ええ大丈夫ですとも! ええ!」 「菜々さん、無理はやめてください……私も手伝いますから。あっ、でも――」 この場にいる人間はアイドルだけではない。ベテラントレーナーがじっとこちらを見ていることに、藍子は今になってようやく気付いた。 「私たち、まだレッスン中でしたね……」 「……ん? ああ、いや、キミ達だけのレッスンを先に進める訳にもいかないし、プロデューサーとも相談が必要だからな。今日のところは解散にしよう」 「いいんですか?」 「ああ。ただし宿題だ。次のレッスンまでに、喜多見を連れ戻してくること。……こういうのはどうも、トレーナーでは介入しにくいんだ」 「……はい」 「北条にも、そう伝えておいてくれ」 頷く。実際のところ、柚に関しては今の自分たちでは手出しができないが――余計なことをするよりは。 それに、ショックを受けたのは柚だけではない。 菜々に抱え上げられた忍も、だいぶ暗い顔をしている。 「しかし……私を見るな、か……」 ベテラントレーナーの呟きが、やけに大きく聞こえた。 それから藍子ら3人は事務所へと戻り、なおも落ち込んでいる忍をゆっくり励ましながら、加蓮や柚に連絡を取り続けたのだが――電話は電源が入っていないの一点張り。メールは返らず、メッセージはいつまでも未読のままだった。 それでも藍子は、心配していなかった。 北条加蓮ならばなんとかできる。 今はきっと、柚を探して走り回っていて、スマートフォンなんて気にしている余裕がないのだ――1度のめりこむと周りの声が聞こえなくなって、心配してもぶっ倒れるまで走り続けるということを、藍子も重々に知っていたから。 だから。 「私、加蓮ちゃんを待つことにしました」 午後9時。大半のアイドルが帰宅し、藍子担当のPも仕事を終えた。事務所を閉めるという彼に、藍子は大丈夫ですと微笑んだ。 「…………ここでか?」 「そうですよ藍子ちゃん。いくら柚ちゃんのことがあっても、連絡1つよこさない加蓮ちゃんが悪いんですから、藍子ちゃんが意固地になる必要は!」 傍らの菜々が、眉根を寄せながら顔を覗き込んでくる。 「それでも、加蓮ちゃんが柚ちゃんを見つけて、ここに帰ってきた時に、誰もいなかったら……寂しいじゃないですか」 「……」 「だから、私、加蓮ちゃんを待つことにしました。……あの、今日だけ。許してください、Pさん、菜々さん」 「…………」 「…………」 Pと菜々はしばし見合った。それから、ほぼ同じタイミングで肩を竦める。 「分かった。でもな藍子。藍子1人で残らせる訳にはいかない。だから――」 「しょうがないですね! いつぞやの土砂降りの時と同じく、ここはナナにお任せを!」 「……アイドル達だけで残らせるのも許可できないぞ。俺も残ろう」 「んなっ。あの時はナナに任せてくれたじゃないですか! なんでナナに任せたかは聞かないことにしますけど!」 「あれは土砂降りで俺も帰れなかったし、3人いれば大丈夫だと判断したからだ。2人だけならちょっと預けられないな」 「Pさん……」 「なーに心配するな。ちょっと明日の仕事を前倒しにするだけだ」 抗議の言葉も受け付けず、Pは脱ぎかけたスーツを再び羽織り仕事席へと向かった。 しょうがないですねえ、と菜々も早々に諦める。きっと、藍子のこともPのことも、1度言い出したら聞かないタイプだと熟知しているのだろう。 ――もちろん、加蓮も。 あれから連絡1つなくて、そろそろ柚だけではなく加蓮のことも心配になったけれど。 大丈夫、大丈夫、と。 藍子は心の中で唱え続けて、そして、本心を押し隠すように微笑を浮かべ続けることにした。 その日、加蓮あるいは柚から何らかの連絡が来ることはなかった。 ――13日前(9月7日) 事務所―― 「おはようございます」 事務所の扉をくぐって、藍子はまず室内を見渡す。いつも軽い調子で声をかけてくれる人も、鮮やかな色のバッグも、姿が見えない。 代わりに室内中央のL字型ソファに菜々が腰掛けていた。藍子を見るなり、いつもよりも明るさ5割減で「おはうっさみーん」と挨拶を返してくれた。 「今日は、加蓮ちゃんは……」 「……来ていませんねえ。加蓮ちゃんの自宅にもかけてみたんですが留守番でした。もうこうなったら直接乗り込んで――」 「ああっ、だめ、だめです菜々さん! その、ほら、加蓮ちゃんもきっと忙しいんですっ。私たちが邪魔したら怒られちゃいますっ」 「柚ちゃんは見つかったってPさんが言ってましたよ。他に何が忙しいんですかね?」 じろ、と鋭い目に射抜かれて、藍子は二の句を継げなくなる。 それでも――根っこにある「待ち続けよう」という気持ちだけで、藍子は反論した。 「もう少しだけ、待ってあげましょう。きっと加蓮ちゃん、すぐに戻ってきますから!」 「むぅ……藍子ちゃんが言うなら、ナナももう少し待つことにしましょうか」 「お願いします、菜々さん……」 「でも藍子ちゃん、2日前に加蓮ちゃんと会っているんですよね? 一瞬だけ事務所ですれ違ったって」 「……はい。でも、すごく忙しそうで、すぐに出て行っちゃいました」 「何をしていることやら。まったく、藍子ちゃんをほっぽり投げたままであの子は……」 くすり、と藍子は笑ってしまった――え? と菜々が不思議そうに見上げていたが、うまく説明することができなかったので適当にはぐらかした。 ちょっとだけ、面白かったのだ。まるで母親が我が子を心配するような口調に。憎まれ口だけれど、相手を大切に想っているからこその悪態に。 誰がどう見ても、17歳の言い分じゃないことにも。 重たかった気分が少しだけ晴れた。給湯室へ向かい、お茶を淹れることにした――やっぱり、ゆっくり待つことが、藍子には好きだから。 でも、藍子の知る加蓮はせっかちだ。 なので、お茶は3人分。 お盆に乗せて戻ってきて、菜々と一緒に一息をつく。 それから10分ほどが経過した。 「ってナナ、これからレッスンの予定でしたー! ああっ、5分遅刻してる〜っ!」 「ええっ!? ご、ごめんなさい、私がお茶にお誘いしちゃったから……」 「いえいや藍子ちゃんのせいじゃないですよ! でも急がないとトレーナーさんにどやされる〜〜〜っ!」 ドタバタと部屋を駆け荷物を持ってきて、かと思えばノートノートと別の部屋へと走っていく。 そんな菜々の姿に――申し訳ないけれど、少しだけ安心する。 大切な人が1人、いつまでも戻ってこない中でも、残っているものはある。フリルドスクエアの3人が柚を待っているように、自分は加蓮がいつ戻ってもいいように待っている。そして加蓮が戻ってきたら笑顔で迎えるのだ。ほんのちょっとだけ唇を尖らせて、心配かけたんだからジュースおごってください、なんて言って。 「ナナ行って来ますね! お茶ありがとうございました藍子ちゃん!」 「いえいえ。その、あんまり慌てると転んじゃいますよ……?」 「ウサミン星人に不可能はない! では!」 若干よく分からないことを言い残し、菜々は煙と共に去っていった。 ……1人残されて、藍子は、手のつけられていない茶飲みをじっと見る。 僅かにも揺らがない水面に映った自分の顔には、いつも通りの笑顔と、それから少しだけの寂しさが含まれていた。 大丈夫。 加蓮なら、大丈夫。 自分に言い聞かせて、藍子は今日も待ち続ける。 ――10日前(9月10日) 事務所―― 「なんで藍子さんなの! あたしだって……あたしだって、加蓮さんの隣にいたら、ずっといたら、何かを見つけられてた筈なのに!」 柚が2度目の"爆発"を起こし、同じように飛び出し、そして加蓮が追った後のこと。 藍子はへたりこんでいた。 ――心の中は、実はそれほど荒れ狂っていない。少なくとも柚よりは――あらゆる感情がごちゃ混ぜになり、この後、加蓮の部屋を大破壊した柚よりは、何百倍も穏やかな気持ちでいた。 人が荒ぶっているのを見ると逆に落ち着くことができるのと、同じことなのかもしれない。 ただ、言われたことは気になった。気にせずにはいられなかった。 (柚ちゃんが、加蓮ちゃんの隣にいたら……) 加蓮と友達になって、もうかなり長い時間が経つ。最初にまともに話をしたのはファーストアニバーサリーLIVEのちょっと前。それから意気投合して、もうずっとになる。 そして、言われてみれば確かに、加蓮の隣にいて、藍子はいろいろな物を得た。 特にアイドルのこと。加蓮と藍子とではアイドルスタイルも考え方もまるで異なる。 いつも緊張感を持っているからこそ――いつだって明日が保障されないからこそ、加蓮は必死で、そして情熱的だった。争いごとが嫌いでマイペースが一番だった藍子からすれば別の世界の住人かと思わんばかりだった。 今でも自分の活動方針を変えているつもりはないけれど、少なからず加蓮から影響を受けていると、藍子は自負している。 加蓮の隣にいたから、今の自分があるのだと。 (柚ちゃんは、何かを見つけられていた……?) CDデビューをして、大舞台を何度も経験して、全国規模のツアーにだって参加させてもらった。 Pが営業をかけなくても、仕事の方から来るアイドル。そこまで成長できた理由の1つに、すぐ隣の、アイドルに対してパッショングループよりもパッションでアグレッシブな子がいたから――きっと、そうだと思う。 もし、今の自分の場所に、柚が立っていたら。 柚は、自分を見失うこともなく、見るなと思うこともなく、そして藍子に嫉妬することもなかったのかもしれない。 「…………柚ちゃん」 でも藍子にはどうすることもできなかった。だってもう過ぎ去った時間の話だ。 それに、もし柚が藍子のポジションにいたとするならば――加蓮の隣にいたならば、フリルドスクエアというユニットは誕生しなかったのかもしれない。 あの時にああしていたらと思い返すのは今の自分の否定だと、いつか加蓮が言っていた。 どちらがいいかなんて、藍子の一存で判断できることではない。 「…………」 隣で立ち上がる陰があった。菜々だ。 レッスン上がりということで談話室でうたたねしていた筈だが、騒ぎを聞きつけて起きてしまったらしい。彼女はしばし、柚と加蓮が消えた出入り口の方を見ていた――じっと、睨んでいた。 覗き込んだ藍子は、思わず悲鳴をあげそうになった。 これまでに見たことがない程に、菜々の目は深く鋭かった。 「菜々さん……?」 「……ハッ。とと、藍子ちゃん、大丈夫ですか? どこか痛んだりは。ナナ救急箱を持ってきますね!」 「あ、いえ大丈夫です! 今度はどこも叩かれていませんから……それより、さっき……」 「さっき?」 「……怖い顔をしていたから、どうしたのかな、って」 「…………ナナ、そんなに怖い顔してました?」 はい、と藍子は頷いた。 「少し……怖かったです」 「藍子ちゃんを恐がらせてしまいましたか。すみません藍子ちゃん。……まあなんというか……柚ちゃんが大変だってことは分かりますよ? ナナもPさんから聞きましたからね。Pさんは柚ちゃんのプロデューサーさんから聞いたそうですが」 「私も聞いています。今は、加蓮ちゃんの家でゆっくり休んでいるって……加蓮ちゃんが、見てあげてるって」 「だからこそ、なんでしょうね。加蓮ちゃんが必死な顔で追いかけるっていうのは。……だとしても!」 「え?」 「だとしても、いくらなんでも無しじゃないですか! 藍子ちゃんに一言もかけずになんて……」 吐き捨てるように言って菜々は出入り口への扉へと手をかけようとしたが、ノブを掴んだところで固まった。 ややあってため息をついて、藍子の隣へと戻ってきた。 「……今行ったら、喧嘩になるだけですね。はぁ……」 「菜々さん……」 「っと、それよりも藍子ちゃんは大丈夫ですか? 柚ちゃんが何か叫んだのは聞こえたんですが何があったのかよく分からなくて。また……あー、またヒドいことを言われちゃったってことは」 「大丈夫です。ちょっと、びっくりしちゃいましたけれど……私は大丈夫ですからっ」 「そうですか。まあ藍子ちゃんが言うならナナは追及しないことにしますけど、何かあったらすぐ言ってくださいよ? 今はナナが藍子ちゃんの保護者ですから! 何かあったらPさんになんて言われることか」 「Pさん、最近すごく忙しそうですよね」 「そーですよそーですよ。ここは1つ、ナナが大人役として! ……じゃなかった先輩役として! ね、ほら、ナナ17歳ですし? 17歳ですから先輩ですね!」 はい、と藍子は頷いた。 この前と同じ。菜々のいつもの自爆芸(……と言ったら本人は否定するだろうが)を聞いていると、少しだけ安心してしまう。 いつも通りがここにあるのだと。 「ここで座り込んでてもなんですし、ソファに行ってゆっくり温かい物でも飲みましょう! ああそうだ、ナナ秘伝のマッサージでもどうですか? メイドさんは奉仕の心が大切ですからね!」 「あはは……マッサージまではいいですよ。でも、それなら、ココアが飲みたいな……」 「がってんしょうちです! ささ、藍子ちゃん。立てますか?」 「あ、大丈夫です、自分で立てます……よいしょ、っと」 「キャハっ☆ じゃあ藍子ちゃんはソファで待っててくださいね! あなたのメイドさんがすぐにお届けしちゃいますっ、ご主人様♪」 「あはは……お願いします、菜々さんっ」 ゆっくりと歩き――ゆっくりすぎたからか、ソファに戻った時には既に菜々がいて、むしろ来るのが遅すぎだと怒られてしまった。 横に並んで座って、大きく息を吐いて。いろいろと話しかけてくれる菜々の話に耳を傾けて。 また、時間をかけて待とう。時間をかけた方が、叶った時の喜びも大きくなるから。 そう、思った。 この時はまだ。 ――2日前(9月18日) 事務所―― 「ただいま戻りましたっ」 「お帰りなさいませお嬢s……じゃなかった、藍子ちゃん! おっと忍ちゃんもご一緒だったんですね! お疲れ様ですよ☆」 事務所に戻ると、メイド服の菜々が出迎えてくれた。宣材の撮影が終わった後らしい。 「帰りにたまたま一緒になったんです。忍ちゃんは収録で、私はただの散歩でしたけれど……」 「そうだったんですか。お疲れ様です、忍ちゃん!」 「う、うん。ええと……」 どこか歯切れの悪い受け答えに違和感を抱きつつ、藍子は忍をソファへと誘った。傍目からでもだいぶ疲れていることが分かるから。 それから藍子は、いつものように給湯室へと向かった。 お茶を、今日は4人分。 戻った時、忍が藍子を見て小首を傾げた。 「あれ? 1人分、多くない?」 「これは加蓮ちゃんの分なんです。いつ戻ってきても、あったかいお茶でお出迎えできるように……。あっ、柚ちゃんの分も用意した方がいいでしょうか?」 「加蓮の分…………」 「とまあこんな風にずーっと言ってるんですよ藍子ちゃん。もうちょっとキツくあたっても罰は当たらないと思うんですけどねえ」 「あはは、藍子ちゃんらしいね……」 忍の苦笑いにもどこか別の成分が含まれている。 最初、やっぱりまだ意気消沈しているのかな、と藍子は思った。 柚が事務所を飛び出してから、ちょうど2週間になる。さすがにあの時よりは笑顔が戻ってきているし、LIVEもこなしたらしいが、やはり柚のことが心配なのだろう―― だが忍の報告は、そんな藍子の予想を上回る――いや、下回る物だった。 「加蓮さ。今日、会ったよ」 「!」 「えええ!?」 「うん。加蓮のプロデューサーさんに送迎してもらったから、車の中でちょっとだけ。柚ちゃんの回復はまだ時間がかかるのと……あと、今はフリルドスクエアから少し離してあげてって頼まれた。フリルドスクエアにいる限り、柚ちゃんはユニットの1人って感じになっちゃうからって」 加蓮らしい言い方だ、と藍子は思う。忍本人が若干ながら理解していないような顔だけれど、藍子は加蓮の気持ちがよく分かる。 今でさえ加蓮や菜々とユニットを組んでかなり経つが、それでも自分たちはいつも3人で動いている訳ではない。むしろソロの仕事、あるいは他のユニットでの活動の方が多いとさえ言える。 1人の時間も大切だから、と加蓮はよく口にしていた―― 「意外と長引いてますねえ……。それで忍ちゃん。加蓮ちゃんは他に何か言っていませんでしたか?」 「え? 他にはって」 「ほら、ナナのこととか藍子ちゃんのこととか! 特に藍子ちゃんですよ。心配させて申し訳ないとかそういうのは?」 「…………いや、ぜんぜん」 「え」 「そっか、そうだよね……聞いておけばよかった。ごめん。アタシ、気が回らなくて……自分のことばっかり考えてた」 「ああいえ、忍ちゃんは悪くないっていうか忍ちゃんはそりゃ柚ちゃんのことを……」 早口の菜々が、すぐに尻すぼみになる。 藍子は――今の報告も、すんなりと受け入れていた。それどころか、加蓮らしいとすら思った。 1つのことに一生懸命で、時に周りのことや、自分のことすら視界に入らなくなる。なのに冷静な時は誰よりも俯瞰的な視野を持っていて、自分にいろいろなアドバイスをしてくれるし、ついついのんびりしすぎた時に叱咤してくれる。 今の加蓮は、変わらず柚だけを見ているのだろう。 とても加蓮らしいな、と思った。つい笑みが零れ落ちるほどだった。 ――藍子は、何も取り繕っていない。 加蓮のように表情を作ることも、菜々のように自分の状態をすぐ自覚できる訳でもない。 だから。 「え……え!? ちょ、藍子ちゃん!? 何で泣いてるの……!?」 自分が涙を流していることなんて、忍に言われて初めて気がついた。 「――――!!」 「へ……? あれ…………ホントだ……あ、あはは、ごめんなさいっ。私、なんで泣いてるんだろ……?」 「……藍子ちゃん」 「あ、あはっ。いえ、大丈夫なんです。だって、加蓮ちゃんは柚ちゃんを大事に想ってて……今も、柚ちゃんのそばにいてあげて……そうなんですよね?」 「…………」 「だから私、ぜんぶが終わって、柚ちゃんがもう大丈夫ってなったら、加蓮ちゃんが戻ってきてくれるから、それまで待っていようって……戻ってきたら笑顔で迎えて、でもジュース1本だけ奢ってもらおうって決めてたんです。そうする筈なのに……でも、私…………」 「藍子ちゃん」 「あはは、どうしてだろ……? 加蓮ちゃんが戻ってきてくれるって、分かってるのに…………分かってるのに………………!!」 気がついたから。 気がついてしまったから。 蓋をしていた感情が溢れ出す。 涙を止めようとしたら、止めきれなくなった。歯がかちかちと音を立て視界が歪んだ。 口の端に、涙の滴が触れて。 藍子は――言う前から、言ってはいけないと分かることを、でも、我慢することができなかった。 「いつになったら……加蓮ちゃん、帰って来てくれるんですか………………っ……!!」 ――14日。 柚が飛び出し、加蓮が追った日から、今まで。 2週間。 連絡を取ることもできない。メールにも返信してくれない。1度だけ姿を見たけれど、一言もなくすぐに飛び出していってしまった。 もうずっと、話していない。 声を忘れてしまいそうだ。 なのに、忍の前には姿を見せて――きっと必要で事務的なことなのだろうけれど、いろいろな話をしたって言うから。 「…………」 拳を握る姿があった。 安部菜々。 藍子の反対側に座り、共に加蓮の戻りを待っていた彼女が。 ――否。 共に加蓮の戻りを待っていた、というのは、藍子の勘違いだったのかもしれない。 彼女は。 「――――――――」 ――何か言ったことは分かったけれど、何を言ったのか藍子には判別できなかった。 それから、菜々は口を開くどころか身動ぎすらしなくなった。 沈黙が降りる。 忍が、ものすごく気まずそうにハンカチを差し出してくれる。受け取って、顔を拭いて。膝の上で握りこぶしを作ろうとしたけれど、力が入らなかった。 ぽかんと心に穴が空いた。加蓮がいないという現実を思い出してまた泣きそうになった。頑張って歯を噛みしめるけれど嗚咽が漏れだすのを止めることができなかった。オロオロしている忍に申し訳ないから頑張って堪らえようとしたら余計に気持ちが溢れ出てきた。 声。 膝の上。 ユニット。 LIVE。 ――藍子は前に、北条加蓮がいる場所といない場所、どちらも好きだと思ったことがある。 でもそれは――北条加蓮がいない場所というのは、戻ってくることを楽しみに待つことができる場所、という意味だ。 もうずっと戻ってこなくて、もしかしたらもう姿を見せないんじゃないかと思うような、冷たい場所に。 高森藍子という少女は、耐えることができなかった。 「……ひくっ…………加蓮ちゃん…………………………」 それからずっと藍子は泣き続けて。 泣いて泣いて2時間も泣き腫らして、疲れて眠ってしまうまで、心の穴を埋めることもできなければ、寂しいという気持ちを我慢することもできなかった。 ――現在(9月20日) 事務所―― 「おはようございます! ナナ、今日も元気バリバリ頑張っちゃいますよ!」 「あ、おはようございます、菜々さん。今、お飲み物を用意しますね」 いくら泣いたところで、現実は変わらない。 藍子は今日も事務所のソファに座る。3人分のお茶を淹れて、待ち続ける。 |
掲載日:2015年9月20日