〜読書について語ってみよう〜

 

※本コラムは旧ブログ時代、2011年12月5日に掲載した記事を一部書きなおしたものです。



◆読書ってなんだ?

読書。

[名](スル)《古くは「とくしょ」》本を読むこと。「日がな一日―する」「―家」
(Yahoo!辞書より抜粋)

読書(どくしょ)は、本を読むこと。特に好んで読む本を愛読書、また本を読む人は読者と呼ぶ。
(中略)
読書の意味は「書を読む事」とされるが、活字の登場以前では、これらは主に裕福層やインテリ層にのみ許された行為であった。活版印刷技術の登場以降、書籍が大量生産されるようになって、大衆の識字率は格段に向上し、読書は大衆娯楽(趣味)としても広く受け容れられるようになっていった。
(Wikipedia「読書」より抜粋)

これを見る限りでは、とりあえず本を読んでおけば読書してるということになるでしょう。
しかし問題なのは、“どこまでが読書になるのか”ということ。

「読書 ラノベ」で検索すると結構引っかかりますが、ライトノベル(以下「ラノベ」)を読むことは読書と定義付けられるのか否か。
2chの方々の意見を見る限りでは、ラノベは違うだろ、という意見が多々あります。
ラノベばっか読んでる人を読書家とするのは間違いである、という意見。

また学校によっては、「朝読書」の時間にラノベを持ってきてはいけない、というルールが制定されているようです。私の通っていた高校ではそんなことなかったのですが、やはり問題だと考える方もいらっしゃるのでしょう。

私からすれば、「ラノベは読書という範疇に収まらない」という狭義的な考えしかできない人こそ、本を読んで視野を広げろと言いたくなりますが……ラノベがラノベというジャンルとして存在しているのも確かです。
仮に本ならなんでも読書とするのなら、漫画も読書ということになってしまいますから。

ここで補足しておきますが……漫画を読むのは読書ではないと思うんです。
私の中で読書という定義は、“文字を読むもの”ですから。漫画は文字よりも絵の要素が多く、絵によって描写が成り立っているフシがありますから、読書とは少し違うと思います。

◆ラノベはマンガ?

「ラノベは漫画のようなもの」という意見があります。1つ1つ、意見の根拠を考えてみましょう。。

まず「挿絵があるから漫画みたい」という意見は論外。取り上げるだけ無駄です。
考えてみてください。例えば(たまたま手元にありました)『C3-シーキューブ-』の1巻は、(カラー口絵含め)絵が15枚。それに対し本文が290ページ。
カラー口絵が8枚で挿絵が7枚。本文から絵を引くと283ページですので、絵:文章の比率が7:283。

ここまで証明しておいて絵がどうこう言う人は……まあ、1度頭を冷やしてください。

「絵があるからラノベを買う」という方もいるかもしれませんが、それなら漫画か画集を買えと。絵が15枚しか無い本より絵≒ページ数の漫画を買った方がコスパ的にも得だと思います。

ということで、「挿絵があるから漫画みたい」という意見に対する反論はここで終了。

◆分類分けすればいいじゃない。

書籍の内容による「読書か否かの定義」ですが……ここから先は正直、個々人の価値観によるものがあると思います。

それは読書という単語にも言えることですが、例えば「文字で構成された書籍に目を通せば読書」という人もいれば、「高尚な純文学に触れ、内容を吟味・考察し、他者に説明できるほどに記憶して、初めて読書をしたと言える」という人もいるでしょう。
逆にいえば、読書という単語の定義が「本を読むこと」である以上、他人の読書という定義に対して文句を言える筋合いはないということになります。

以上のことから、読書は読書。ラノベだろうと一般書籍だろうと、あるいは漫画だろうと、本を読んでいる以上は読書なのです。
……とはいえ、そんなこと言ったら、私の「漫画は読書とは違う」という意見もどうなのか、ということになりますが。
これに関してはあくまで私個人の意見であり、他の人が違うと思えば反論不可です。

それでも問題があるのなら、区分分けすればいいのではないでしょうか。
例えば同じ「読書家」でも、
・一般書籍をよく読む
・エッセイをよく読む
・ラノベをよく読む
・携帯小説をよく読む
・現代小説をよく読む……エトセトラエトセトラ。
これで分かりやすい。

ただ読書の定義があくまで「本=書籍を読むこと」であるため、ネット上での小説閲覧は、また少し違うような気がします。
これまた私個人の意見ですけどもね。



私が1番言いたいのはたぶん、「他人の“読書という定義”にケチをつけるような狭義的思考は、読書で取っ払ってしまえ」でしょうね。

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