「想」
(高森藍子の誕生日記念小説)





前回のあらすじ。
北条加蓮と道明寺歌鈴がやる気を出しました。



――事務所――
道明寺歌鈴「――私はっ、藍子ちゃんと夕美さんに、勝負を挑みますっ!」

高森藍子「……え?」
相葉夕美「じゃあ、受けてくれるんだね! 私たちとのLIVEっ!」
歌鈴「はは、はいっ。その、ま、負けませんからね!」
夕美「うんっ、こっちこそ♪ でも、いっぱい楽しもうね! きっとすごいLIVEになるよ!」
歌鈴「こ、こんな私ですびゃっ!?(噛んだ……!)」
北条加蓮「肝心なところで締まらないなぁ。ま、私からも――」
加蓮「勝負だよ、藍子、夕美。私達、絶対に負けないからね!」
藍子「…………」
夕美「よろしくっ♪」ガシッ
夕美「受けてくれてありがとねっ。歌鈴ちゃんは……大丈夫だったのかな? 藍子ちゃんとすっごく仲良しみたいだけど」
加蓮「ちょっと私が焚き付けたの。ま、そういう心理戦なら誰にも負けないかな」
夕美「き、強敵の予感だね……あれ? 藍子ちゃん?」
藍子「…………」
加蓮「藍子ー?」
藍子「あ……えっと、はい、その……」
加蓮「しっかりしてよ? 本調子の相手じゃないと、倒しても盛り上がらないんだから」
夕美「そ、そういうキャラだっけ?」
加蓮「最初から負けず嫌いだよ」

……。

…………。

すたすた・・・

歌鈴「……でもその、本当に私が藍子ちゃんとLIVEバトルして、勝てるのでしょうかっ」
加蓮「"私"じゃなくて"私たち"。Pさんに選ばれたんでしょ? ボイスグループ。もうちょっと自信を持ちなさいよ」
歌鈴「…………はいっ!」



――数日後 レッスンスタジオ――
ベテラントレーナー「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー!」パンパン
ベテ「道明寺! 動きが堅い!」
歌鈴「は、はひっ」
ベテ「北条はもっと集中しろ! 客席のウサミン星人はまずは無視だ!」
加蓮「はい、っと」
安部菜々「歌鈴ちゃん、もっと動いてもいいと思いますよ!」
歌鈴「こ、こうですかっ……きゃっ!」ズテッ
菜々「あー……」
ベテ「……一旦休憩だ」
加蓮「…………」ジロ
菜々「な、ナナが悪かったですハイ」

加蓮「大丈夫? だいぶ派手にいったでしょ」
歌鈴「あうぅ……だ、大丈夫ですっ! 加蓮ちゃんと一緒に、ドジをしない方法を考えるって決めたので!」
加蓮「……ふふっ。当然でしょ。じゃないと名指しで選んだ意味がないんだし」
歌鈴「ふぇっ? 名指し?」
加蓮「あ」
菜々「ナナ聞いてますよ。Pさんが加蓮ちゃんと歌鈴ちゃんのLIVEを取ってきたのって、加蓮ちゃんが提案したからですよね?」
加蓮「馬鹿、その話――」
菜々「相変わらず加蓮ちゃんの意地悪さは天井知らずですね。そこまでして歌鈴ちゃんを目の敵にしますか」
加蓮「え」
歌鈴「!! ……やっぱり私の敵は、加蓮ちゃんですっ!」ギロッ
菜々「歌鈴ちゃんからすれば、加蓮ちゃんってPさんも藍子ちゃんも持ってってるみたいな立ち位置ですからね」
歌鈴「ホントですよ! このっ、よくばり!」ベーッ
加蓮「あー……あはは、うん、そうだね」
歌鈴「ぜーったいに負けるものかっ! トレーナーさん、もう1回お願いしばっ! ……します!」
ベテ「あ、ああ。北条もいいか?」
加蓮「私はちょっと疲れたから休憩させて。歌鈴を見てあげてよ」
ベテ「そうか。じゃあ始めるぞ。道明寺、準備はいいか?」
歌鈴「はいっ!」

ベテ「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー!」
歌鈴「わ、わわ、わわわ!」

加蓮「……私ってそんなに分かりやすい?」
菜々「そんなに分かりやすい訳じゃないですよ? 歌鈴ちゃんなんてぜんぜん気づいてないみたいですし」
加蓮「まあ、それは歌鈴だし」
菜々「ナナはあれですね。加蓮ちゃんをずっと見てきてますし、それに長年の経験が加蓮ちゃんの嘘なんて簡単に見抜いて――」
加蓮「長年って」
菜々「ハッ! ……な、ナナは加蓮ちゃんより1年も長く生きてますからね!」
加蓮「はいはい、そういうことにしとく」
ベテ「ワンツースリーフォー、ワン――」
歌鈴「よ、っと、っと、キャッ!」ズテッ
歌鈴「……!」ジロッ!
歌鈴「まっ、まだまだこれからです! 今ならできる筈……っ!」
ベテ「よし、2番の入りからもう1回――」
菜々「加蓮ちゃんだからできたことですねぇ」
加蓮「ん……? 何が?」
菜々「歌鈴ちゃんですよ。ナナは歌鈴ちゃんのことをあまり知りませんけど、ああいう風に、負けるもんかっ! ってなってたこと、今までありましたか?」
加蓮「自分にならあったんじゃない? ほら、ドジする自分に負けるもんかって。私もあるよ? すぐへばる私に喧嘩を売ったり」
菜々「ああそうじゃなくて。誰かに、ですよ。今は加蓮ちゃんにです」
加蓮「……さーね。案外、あるんじゃない?」
菜々「例えそうだとしても、今の原動力は加蓮ちゃんのお陰で生まれた物ですよ!」
加蓮「…………」
菜々「Pさんでもなく、藍子ちゃんでもなく。加蓮ちゃんがいたから、歌鈴ちゃんは今すごくやる気になってるんです! ナナには分かります!」
加蓮「…………私が、ねぇ」
菜々「そこを計算して、加蓮ちゃんは歌鈴ちゃんにつっかかってたんじゃないですか? 藍子ちゃんやPさんを奪ってる立場だってことも自覚して」
加蓮「………………私、うまくできてた?」
菜々「ええ、もうナナから見て最高に」
加蓮「ちょっとは認めてくれた? 私だって、プロデューサーさんっぽいことできるんだよ?」
菜々「なんのことやら。ナナお酒が入った話は忘れるようにしてるので」
加蓮「アンタいくつだ」
菜々「にじゅ……じ、じゅうななさいですね、ええ!」
加蓮「ところで、今日ってまだ時間ある? レッスンいっぱいくらい」
菜々「ありますけど、どうしたんですか?」
加蓮「ちょっと頼みたいことがあって。実はさ――」
菜々「ふんふん……うんん?? ま、まあいいですけど、ああ、復習とかですか?」
加蓮「それでもいいんだけど」
菜々「……?」
加蓮「今回のLIVEで頭を叩き起こしたいのが、もう1人いてね」チラッ

歌鈴「と、とおっ、えいっ! で、できましたっ!」
ベテ「よくやった道明寺。今の感覚を忘れないように!」
歌鈴「はいっ!」



――カフェ――
夕美「――ちゃん、藍子ちゃんっ!」
藍子「はっ。……あ……ごめんなさい、私、ちょっとぼうっとしちゃってて」
夕美「もうっ。藍子ちゃんがのんびり屋さんなのは知ってるけど、今日は真剣に話し合わないといけないんだからねっ」
藍子「…………はい」
夕美「そんな心あらずって顔されても! もうっ!」
藍子「あ、ごめんなさい……その、私、未だに信じられなくて」
夕美「歌鈴ちゃんのこと?」
藍子「最初に、夕美さんから聞いた時は、でも歌鈴ちゃんはきっと受けないと思っていたから……」
夕美「意外な行動でびっくりしちゃった?」
藍子「……だいぶ」アハハ...
夕美「分かるよ。いつも通ってる道に見たことのない花が咲いてたらびっくりするもんね。でもそういうのも、楽しいって思わないかなっ」
藍子「夕美さんほど前向きに考えるのは、難しいです」
藍子「……アイドルをやっているのだから、時には競わないといけないってことがあるのは分かってます。私……アイドルをどれだけ続けてても、それだけは苦手で。競うより、みんなが笑顔になれた方がいいって、ずっと思っているんです」
夕美「藍子ちゃんらしいねっ」
夕美「……でも、ちゃんと歌鈴ちゃんの想いは受け止めてあげよ?」
藍子「え……?」
夕美「加蓮ちゃんが焚き付けたって言ってたけど、歌鈴ちゃんがあんなダイタンなこと言ったのって、きっと、すっごく悩んだ結果だと思うんだ」
藍子「…………」
夕美「でも歌鈴ちゃんは、ああやって絶対に勝つって言ったんだよ。いつも仲良しの藍子ちゃんの前で!」
藍子「……」
夕美「その想いは、汲み取ってあげた方がいいんじゃないかな」
藍子「ですよね。がんばってみます。ちゃんとできるか分からないけど……」
夕美「藍子ちゃんならやれるよ! じゃ、作戦会議、しよっ!」
藍子「は、はい!」
夕美「よいしょっと」ドサッ
藍子「わ……鞄からたくさんの本。これは……?」
夕美「私、LIVEの前はいっつもこうしてるんだ。もう演出もだいたい決まってるけど、他にもないかなって」
夕美「もちろんレッスンも大切だけど、どうしたら今の自分が咲き誇れるかなって考えるのも大切だよ! 花って、魅せ方を変えたらぜんぜん違う印象を与えるんだよ。なんか元気がないなって思った時に置く場所を変えただけで、見違えるようになったりねっ」
夕美「藍子ちゃんは何の花っぽいかな? 前に使ったヒマワリよりは、もっと大人らしい花の方が似合いそう♪」
夕美「ライラックと白いバラなんか、清潔っぽくていいかな?」
藍子「……あれ? 夕美さん、こっちは色の本ですか?」
夕美「うんっ。ほら、花にもたくさんの色があって、それでイメージも花言葉も違うから……バラだって、赤い花なら愛情って意味になるけど、黄色い花だと嫉妬って意味になっちゃうから、しっかりチェックしないと」
藍子「すごい……」
夕美「それで藍子ちゃんなら……ううん、いつもなら白とか橙が似合いそうだけど、たまにはカッコイイ赤色もいいのかな? それとも加蓮ちゃんのライバルって感じで青色で――」
夕美「そういえば、藍子ちゃんにとって加蓮ちゃんってどんな人?」
藍子「え? 加蓮ちゃん……ですか?」
夕美「私はまだ、そんなに仲いい訳じゃないから。せっかくだから聞いておきたいなっ」
藍子「あはっ、前にお話した内容じゃ足りませんか?」
夕美「もっと聞きたーい!」
藍子「はいっ。……加蓮ちゃんは、やっぱり……私なんかじゃどうやっても勝つことのできない、捻くれ者で、でも誰よりも真っ直ぐな人だと思います」
夕美「強敵だね……!」
藍子「私の作戦なんて、お見通しなのかも……」
藍子「何を考えているかなんて、私もきっと、説明できないと思います。……何度、説明しても、どこかで言葉が足りなくなっちゃう」
夕美「判ってる、って感じだよね。私も花にはそんな感じだよ。全部を説明するのは、ちょっと無理かなっ」
夕美「じゃあ、歌鈴ちゃんはどんな子?」
藍子「はい。ずっと、一生懸命なんです。転んでも転んでも、ずっと……私を慕ってくれるのは、ちょっと複雑ですけど」
夕美「藍子ちゃんの方が年下なんだっけ」
藍子「はい……ちょっぴりだけですけど、複雑です。気持ちも、歳も」
藍子「こうしてみると、加蓮ちゃんと向かい合うことも、歌鈴ちゃんと向かい合うことも……思っていたより、難しいことなのかも」
藍子「でも、ちゃんと向かい合わなきゃ……苦手だからって逃げてたら、おふたりに失礼です」
夕美「藍子ちゃんは優しいねっ」
夕美「私は藍子ちゃんにも楽しんでほしいんだ。今度のLIVE」
藍子「私も……?」
夕美「みんなでわいわいってやる方が、私は好きかなっ?」
藍子「そうですね……ふふっ、がんばってみます」



――レッスンスタジオ――
ベテ「――そこまで」
歌鈴「はーっ! お疲れ様ですっ」
加蓮「ぜーっ、ぜーっ、ふ、ふふっ、もう終わり? もう2時間くらいやらなくていいの? 歌鈴、まだ不安定じゃない?」
ベテ「今の北条が言うな」
菜々「スポドリの差し入れですよ! ゆっくり飲んでくださいね!」
歌鈴「ありがとうございばっ! ……ま、ます!」ゴクゴク
加蓮「ありがと……ち、ちょっと横にならせて」ゴロン
菜々「相変わらず限界を超えてますねぇ加蓮ちゃんは」
ベテ「だいぶいい具合に仕上がっていたな。北条も道明寺も、並んでいても遜色ない動きだ。これなら舞台に出ても大丈夫だろう」
歌鈴「ほんとですかっ!?」
ベテ「ああ……まあ、あとは本番でやらかさないか、だな」
歌鈴「……あぅ」
加蓮「ふふっ……」ゲホゴホ
加蓮「歌鈴、先に、戻ってていいよ……私、ちょっとしたら戻るから、Pさんへの報告もしといてー」
歌鈴「分かりましたっ。……あ、あんまり倒れてたら、そのことまでPさんに報告しちゃいますからっ!」タタタッ

<ビターン はわっ!?

加蓮「今は報告せずに済ませてくれるんだって。やさしー」
菜々「なんなんですかねその前向き思考!?」
加蓮「録画、しててくれた?」
菜々「バッチリですよ! はい、これカメラです。にしても見直す時間なんてあるんですか? もう明後日ですよね、LIVE」
加蓮「大丈夫大丈夫。さて……と。体力もよしっ。ちょっと私も出てくるね」
菜々「次は何の悪巧みですかねえ」
加蓮「うわ、信頼ないなぁ」
菜々「その状態でこっそりレッスンなんてやったら、ナナドクターストップかけますよ!」
加蓮「違うってば」



――カフェ――
夕美「……やっぱり藍子ちゃん、難しい顔してる……あ、そうだっ、いいこと思いついた!」ポン
藍子「いいこと、ですか?」
夕美「うんっ。加蓮ちゃんが何をするか、気持ちを想像してみたら何か閃くんじゃないかな?」
藍子「気持ち……」
夕美「そうしたら、藍子ちゃんももっとピンと来ると思うんだ。私も花を育てる時、花の気持ちを考えたりするんだ。この花はどこに飾られたいかな? って! そんな風に相手の気持ちを考えたら、何か思いつくんじゃない?」
藍子「そうですね……やってみますっ」

夕美「加蓮ちゃんに似合いそうなお花はっ……ブルースターとかイベリスとか、あとはやっぱりアオイかなっ。他には……」ウーン
藍子「(加蓮ちゃんのこと……加蓮ちゃんが、やりたがってること……)……そういえば、確か、あの時、歌鈴ちゃんと話した時に――」
夕美「ねえねえ藍子ちゃんっ。この花とこの花、どっちが加蓮ちゃんに似合うと思うっ?」バッ
藍子「え? あの、今はそういう話じゃ……」
夕美「あ。……あ、あはは、そうだよね、ついうっかり」アセ
藍子「お花の話は、また今度、加蓮ちゃんにしてあげてください」
夕美「そうするね!」
藍子「それで……加蓮ちゃんのことで、1つ思いつきました」
夕美「何かなっ?」
藍子「もしかしたら、今回の加蓮ちゃん、あんまり前に出てこないかも、って」
夕美「?」
藍子「いつもはキラキラ輝いている加蓮ちゃんですけど……今回は、歌鈴ちゃんもいるから、きっと加蓮ちゃんなら、歌鈴ちゃんを引き立てる為に何かしてくると思いますっ。自分の衣装を控え目にしたり、歌鈴ちゃんのパートを増やしたり」
夕美「ふんふんっ」
藍子「前に、菜々さんが言ってました。加蓮ちゃんの態度はわざとじゃないかって……おふたり、えっと、加蓮ちゃんと歌鈴ちゃん、よく喧嘩をしちゃってるから」
夕美「加蓮ちゃんならやりそうだね! すごく負けず嫌いだって言ってたから♪」
藍子「私も、菜々さんの言う通りだと思うんです。わざとやってるんじゃないかって。きっとそうしたら、歌鈴ちゃんがもっとやる気になるから」
夕美「うーん……なんだかありえそうだね」
藍子「きっとそれは、私にはできないことなんだと思います」
夕美「藍子ちゃんにできないこと?」
藍子「私、歌鈴ちゃんを見ていると、いっつも守ってあげなきゃって思うんです。加蓮ちゃんみたいに、厳しくはできなくて……加蓮ちゃんもそれを知ってたなら、加蓮ちゃんも加蓮ちゃんなりに、歌鈴ちゃんの成長を望んでたんじゃないかな、って」
藍子「…………うーん……」
夕美「ぴ、ピンとは来てない?」
藍子「……何か思いついたような、でもよく分からないんです……ごめんなさい夕美さん。もうちょっと、考えてみますね?」
夕美「頑張ろっ♪ それに今のは、きっと藍子ちゃんじゃないと思いつかなかったことだよ!」
夕美「じゃ、もっと考えてみようよっ! 加蓮ちゃんに似合いそうな花……じゃなくて、ええと、まずは私たちがLIVEに勝つ方法!」
藍子「はいっ」



――藍子の家――
結局、これといった作戦は思いつかなかった。途中からはほとんど雑談になりつつ夕美と別れ、帰宅してからも、藍子はずっと気にしていた。夜も更けて、布団に入ったけれど、寝付くことができない。藍子は、家の中をふらふらと歩いてみることにした。

――こうして、川岸の向こうに立って、北条加蓮という人間のことを考えたことなんてなかったから、なかなかうまくいかない。雑貨屋で何をお土産にするか悩む時とは全く違う、苛立ちすら生まれる思考の迷路、藍子はたびたび深呼吸を挟みつつ、できるだけ加蓮の顔を思い描く。
できるだけ音を立てないようにリビングの電気をつけた時、ダイニングテーブルの上に梱包材が丸まっているのが見えた。側には手書きで、高森藍子様、と書かれた、小さなダンボールがある。届け物があったとは聞いていない。帰ってきたのも遅い時間だったし、両親が忘れていたのだろうか。

覚えのある字を横目に、藍子は慎重に梱包材を解いていった。そこから現れたのは、見慣れたカメラだった。事務所に置いてある、誰でも使用可能な物。とはいえこうして持ち出すことは、確か禁止されていた筈だが――
箱の中に、封筒を見つけた。便箋が入っていた。
中身を読んだ時、藍子は思わず上唇から妙な息を吐いていた。カメラを取り出している間にも頭の隅で思い描いていた人物の名前が、そこにあった。

――明日、事務所に帰してね 加蓮

カメラを手に取る。何かが録画されてある。
音量設定に注意して、動画を再生して。

――今度こそ、藍子は「あっ!」と声を上げた。

道明寺歌鈴が映っていた。それと、北条加蓮の姿も。
見慣れたスタジオにて彼女らはレッスンを受けていた。たまにトレーナーの声が響く。
「ええっ……!?」
加蓮と歌鈴の合同レッスン。それはつまり、次のLIVEに――自分と夕美とバトルするLIVEに向けた物だろう。それは分かる。それは分かるのだが。
なぜ、それを録画した物が、ここにあるのだろう。
なぜ、手の内を見せるかのように。
画面の中では、例によって歌鈴が転んでしまっていた。
『キャッ。……だ、大丈夫です! まだまだやれます!』
ドジを悔やむような顔をしつつ、すぐに立ち上がろうとする姿。
『うん。もっかいやろっか』
加蓮が、手を差し伸べる姿。
『う、うぅ……まだまだですっ! か、加蓮ちゃんには、負けたくありませんしっ! ……あ、藍子ちゃんにもっ!』
鋭い視線が、すぐに熱気へと変わる。いつもの――ドジな自分には負けない、ではなくて、周りの誰にも負けない、という想いが、画面越しにも伝わってくる。

――無意識のうちに、手足が動く。
声が出る。
自分と彼女たちが対峙している姿が、思い描かれる。
歓声が脳内に響き渡る。

今、初めて、藍子は。
心の底から、歌鈴と加蓮に勝ちたいと思った。

そして――頭がクールダウンするまでに30分ほどかかってから、ようやく藍子は理解した。加蓮が歌鈴を焚き付けて背を押したように、今の自分もまた、加蓮によってスイッチを入れられたのではないかと。
勝負事が苦手だということは、加蓮だって知っているのだから。
くすり、と藍子は微笑んだ。






加蓮に踊らされていることを、それほど嫌だとは思わない。それだけ自分のことを分かってくれているのだから。同時に、自分はどれくらい加蓮を理解しているだろう、と思った。少しだけ恥ずかしくなって、また頑張ろう、と小さな決意をする。

ただ、1つ分からないことがある。
さっきの作戦会議で、今回の加蓮は控え目になるだろうと、歌鈴を目立たさせるだろうと予想をした。
でも、映像の中の加蓮は、歌鈴と横並びに踊っている。
――やっぱり、まだまだ、分かってあげられてないのかな?
寂しげに笑みを、1つ。



――翌日 レッスンスタジオ――
ベテ「ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー」
加蓮「よっ、っと」
歌鈴「ほっ、ほっ、えいっ!」

工藤忍「はー……やっぱりすごいね、加蓮のレッスンって」(見学中)

ベテ「そこまで。問題なしだ。これなら明日のLIVEも大丈夫だな!」
加蓮「ふーっ……つっかれた」
歌鈴「わ、私、うまくいってましたかっ!?」
ベテ「ああ。これからPも、安心して見ていられるだろう」
歌鈴「はいっ!」
ベテ「工藤は? どうだ、何かアドバイスはあるか」
忍「ううん……今は思いつかない。やっぱりすごいなぁって。加蓮も、歌鈴ちゃんも! アタシも混ぜてほしいくらいだよ!」
加蓮「だって、歌鈴」
歌鈴「ふぇっ」
ベテ「工藤のPにも言ってみるといいさ」

加蓮「………………」
忍「……加蓮? どうかしたの?」
加蓮「あ、うん……なんかさ、なんていうんだろ。すごい違和感っていうか、これじゃ何かマズイ気がする……」
歌鈴「……私、今日は1度も転んでませんよ?」
加蓮「そうじゃなくて……」
ベテ「私の目から見ても素晴らしい出来だったが――」
加蓮「いや、完成度とかじゃなくて……そうだ。Pさんだ。Pさんならどう考えるだろ」
ベテ「Pが? 今回のレッスンは全面的に委託されているが」
加蓮「Pさん……"プロデューサーさん"なら…………あ!」
忍「何か思いついたの?」
加蓮「ね、ねえ! これって夕美のCDデビュー記念LIVEで、あと歌鈴のボイスグループ記念LIVEだよね!?」
ベテ「そう聞いてはいるが……」
加蓮「じゃあ"プロデューサーさん"なら、こう考えない!?」

加蓮「私より、歌鈴が目立つ舞台にしようって!」

歌鈴「わ、私っ!?」
加蓮「今のままじゃ、私と歌鈴に同じくらいライトが当たるけど――」
忍「……確かに、歌鈴ちゃんの記念の舞台なら、歌鈴ちゃんに多くライトを当てるべきだよね」
ベテ「待ってくれ。それはつまり?」
加蓮「うん。全部じゃなくていい……サビの前とか一番盛り上がるところとか! ポイントだけでいいの。ちょっとだけ振り付け……ううん、立ち位置、変えられない!?」
歌鈴「まま待ってくださいっ! 無理、無理ですよそんなのっ! LIVEって明日なんですよ!?」
加蓮「トレーナーさん!」
ベテ「……変えられないことはない。ただ、見栄えとバランスを考えると、他の箇所にも修正は入るぞ?」
歌鈴「そっ、……そんなこと、急に言われても……私、今でも転ばないでって、せいいっぱいなのに……!」
忍「って言ってるけど?」
加蓮「せっかくのLIVEだよ。ね、歌鈴。やれるだけやってみない?」
ベテ「そうだな。道明寺、少しだけやってはみないだろうか。どうしても無理なようなら元に戻してもいい」
歌鈴「……は、はいっ。挑戦してみます! その……私だって、どうせやるなら、もっともっといいところを見せたいですからっ!」
加蓮「よし。じゃあ、やってみよっか!」

……。

…………。

ベテ「ワンツースリーフォー、ワン――」
ごんっ
加蓮「きゃっ」歌鈴「いたっ!」
加蓮「〜〜〜っ……ハァ、ハァ、な、なかなかうまくいかないもんだね」
歌鈴「や、やっぱり無理なんじゃないでしょうか……さっきからぶつかってばっかりですよ」
ベテ「もう1度、頭から!」
ベテ「ワンツースリーフォー、北条、下がるならもっと思いっきり下がれ! 道明寺は前へ――」
加蓮「ぜぇ、はぁ、はぁ、ぜぇ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ……」バタッ
ベテ「北条!?」タッ
歌鈴「加蓮ちゃんっ!」
加蓮「げほっ、ごめ、そろ、げんか――」
加蓮「――!」チラッ
忍「…………」
加蓮「……すぅ……うん。大丈夫。まだまだいけるよ!」
歌鈴「加蓮ちゃん! 元に戻しましょうっ……これ以上やったら加蓮ちゃんが倒れちゃいます!」
加蓮「倒れるもんかっ! ……せっかくの歌鈴のデビュー記念なんだ……!」
歌鈴「……!!」
ベテ「……大丈夫か? 北条」
加蓮「まだ意識あるっ……さんざん煽っといて、私だけぶっ倒れてたまるか!」
歌鈴「加蓮ちゃん……!」
ベテ「……2番の頭から」

忍(……加蓮のあんな顔、また初めて見た)
忍(どうやったら体力をつけられるか……アタシに聞かなくても、答え、知ってるじゃん♪)

ベテ「そこまで! 形にはなっているがまだまだだ! やるんだったらもっと完成させろ!」
加蓮「うんっ……げほっ、歌鈴、まだまだいけるよね!?」
歌鈴「加蓮ちゃんこそ!」
忍「――加蓮。今度はアタシにアドバイスさせてよ」
加蓮「ふ、ふっ……今度は、忍が、プロデューサーさんになる側、かな?」
忍「加蓮を見てたら、それも悪くないなって」
加蓮「……やっぱ、アンタ、私に似てる」
忍「絶対ゴメンだよ。努力が嫌いな人なんて」
加蓮「私も」
加蓮「努力を楽しんでる暇なんてあったら、その分、ちょっとでも考えたいからね。どうやったらこの舞台が、もっと歌鈴を輝かせられるか。――もう1回! できるまでやらせてよ、トレーナーさん!」
歌鈴「わっ、私も! お願いしますっ!」
ベテ「よし!」

忍「――だから、ここで歌鈴ちゃんがもっと動いたらいいんじゃないかな? 加蓮は逆に動きを抑えるくらいで」
加蓮「やっぱ、げほっ、そうだよね……」アセフキフキ
歌鈴「こ、こんな感じですか!」
忍「うん、カッコイイよ」
加蓮「歌鈴はもっと大げさにやっていいよ」

ベテ「――道明寺、もっと上を向け。工藤よりももっと上をだ。その方が、ファンからは良く見える」
歌鈴「は、はい!」
忍「加蓮は真っ直ぐ前を向いたらいいんじゃないかな、いっぱいファンを見るのはMCの時くらいにして」
加蓮「分かった」

ベテ「そこまで! …………よし!」
歌鈴「……! うまくできてましたかっ!?」
ベテ「2時間での修正とは思えない程だ。北条、道明寺、本当によくやった!」
加蓮「…………ぇ……ぇ……」エヘヘ
ベテ「体を元に戻しておけ」
忍「……大丈夫?」
加蓮「……!」コクコク
歌鈴「か、加蓮ちゃんなら大丈夫でしゅ……す! です! ……よね!」
加蓮「……!」コクコク
忍「あ、アタシには大丈夫に見えない……」
ベテ「医務室に運ぼう。私も手伝う」
忍「じゃあ、アタシは足を持ちます。歌鈴ちゃんは――」
歌鈴「わ、私は身体を――ひゃあああっ!」ズルッ
忍「……休んでていいんじゃないかな」
歌鈴「な、なら、せめて応援だけでも!」
ベテ「北条。私も賛成はしたが、最初に大口を叩いたのは北条だ。明日までに、きっちり回復できるだろうな?」
加蓮「……とう、ぜん、っ」ニコッ
ベテ「そうか。道明寺も、今日のレッスンはここまでとする。後は明日の本番だ」
歌鈴「は、はい!」
ベテ「先輩相手に、しっかりぶつけてこい!」



――同時刻 別のレッスンスタジオ――
トレーナー「はい、1、2、3、4! ……そこまで!」
藍子「うまくできたっ」
夕美「うん! 急にフォーメーション変えたいって言われてびっくりしたけど、さすが藍子ちゃん。すぐできたねっ」
藍子「夕美さんのお陰ですよ……♪」
トレ「でもどうして急に?」
藍子「あはは……加蓮ちゃんに、ふっかけられちゃって」
夕美「加蓮ちゃんから?」
藍子「ビデオが届いたんです。加蓮ちゃんと歌鈴ちゃんの、レッスンのビデオ」
夕美「……ええっ!? 私たちライバルだよね!? なんで!?」
藍子「きっと加蓮ちゃんなりの、がんばれってメッセージだったと……見ていて私、加蓮ちゃんに対抗したくなっちゃいましたっ」
トレ「それで、相葉さんのサポート役に回ることに?」
藍子「はい。加蓮ちゃんなら、きっとそうするから」
藍子「そうしたら、ほらっ。夕美さんと歌鈴ちゃん、私と加蓮ちゃんって感じになってっ。……ビデオに映っているレッスン風景は想像とちょっと違ったけれど、それは加蓮ちゃんの意地悪ってことにしておきます♪」
藍子「トレーナーさん。もう1度、いいですか? もっと自信をつけたいんですっ。明日、おふたりに出会った時、勝負だ、って言えるように」
夕美「わぁ……こんな藍子ちゃん、初めて見るよ!」
トレ「どこまでも付き合いますよ! じゃあもう1度、いきましょう!」

藍子「わん、つー、さん、しっ」
夕美「ここで私が出て、ターンっ!」
トレ「もっと派手にやってもいいかもしれませんよ!」
夕美「はーいっ♪ ……えいっ!」
藍子「ひゃっ!? あ、あはは、もう少し後ろに下がってますね?」
トレ「1、2、3、4! ……高森さん、いくらなんでも控え目すぎですよ!」
藍子「は、はいっ」
夕美「えいっ♪」
トレ「相葉さんは派手すぎますっ!」
夕美「つい楽しくなっちゃって! 〜〜〜♪♪」

――レッスンが終わって――
夕美「お疲れーっ。もう完璧だね! 私、明日が楽しみだなっ♪」
藍子「はぁ、はぁ、わ、私もです、えへっ……」
夕美「今日は早く寝ないとね」
藍子「私、明日のことが楽しみで、眠れないかも……♪」

藍子「……あの、夕美さん。私、加蓮ちゃんや歌鈴ちゃんとバトルするんですよね」
夕美「えーっ。ここまで来てやめるっていうのはナシだよ!?」
藍子「ち、違います違いますっ。その、こんなこと初めてだから、いろいろと思っちゃって……気づかないことに気づけたみたい」
藍子「私、今でも、自分はアイドルに向いていないって思うんです」
夕美「?」
藍子「あはは……だってほら、体型も、性格も、向いていないなって。最近ではこれを言う度に、加蓮ちゃんにどつかれちゃうんですけどね」アハハ
夕美「ち、ちょっと加蓮ちゃんの気持ち分かるかも」
藍子「だけど、歌鈴ちゃんは私を理想だって言ってくれて……ずっと、変な気持ちでした。こんな私に、なんて。……今はでも、初めて、自分はアイドルだって、アイドルとして歌鈴ちゃんと向かい合うんだって、その気持ちでいっぱいなんです」
藍子「それに、加蓮ちゃんも――」
夕美「加蓮ちゃんも?」
藍子「……私が加蓮ちゃんのメイドさんみたいだって、加蓮ちゃんや菜々さんが言うんです。それでもいいかな、って思ってたけど、やっぱり私、アイドルなんですよね。アイドルとして、向かい合っているんですよね」
夕美「藍子ちゃんはアイドルだよ! 仲間想いの立派なアイドル!」
藍子「え、えへへ……」
夕美「きっと加蓮ちゃんも歌鈴ちゃんも分かってくれると思うな♪ もしかしたら加蓮ちゃん、すっごく喜んだりしないかな?」
藍子「だったら、私も嬉しいです」
夕美「ね、ね、もうちょっとだけ自主レッスンしていかない?」
藍子「ええっ。トレーナーさん、もう帰っちゃいましたよ?」
夕美「だから自主レッスン! 今の話を聞いてるともう居ても立ってもいられなくてっ……ねっ♪」
藍子「……はいっ!」



――藍子の家――
それは突然の電話だった。

「やっほ、藍子。私の激励は受け取ってくれた?」

挨拶も抜きに投げかけられた本題に、藍子はクスリと笑った。

「カメラ? もうっ、加蓮ちゃん。いつもいつも急なんだから」
「ちょっとはやる気になってくれるかなって。どう? 明日の私は、本調子の藍子と戦えるのかな……なんて、明日に聞けばいいんだけどね。つい我慢できなくて」
「加蓮ちゃんはせっかちですねー」
「しょうがないでしょ。ここんとこ、藍子とまともに話もしてなかったんだから」
「ライバル同士なのにですか?」
「飲み物を自分で取りに行くのが死ぬほどメンドイ」
「あはっ」
「藍子の膝で寝たい」
「もう、加蓮ちゃんったら」

本当に――北条加蓮という人間は、どこまで北条加蓮なのだろうか。
夕美に話したことではないが、きっとどれだけの言葉を重ねても、説明なんてできそうもない相手。

「……でね、藍子。ごめん。1つ、謝らないといけないんだ」
「私にですか?」
「うん。嘘はつかないって決めてたけど、藍子に嘘をついたってことになるみたい。ほら、カメラの映像あるじゃん。あの後、歌鈴とかトレーナーさんと話し合って立ち位置とか思いっきり変更したんだよね。だからもし……あれを参考にしてたら、私は藍子が許してくれるまで謝る」
「どう変更したか……あはっ、聞いちゃ駄目ですよね」
「いいよいいよ。このLIVEって歌鈴のボイスグループデビュー記念でもあるじゃん。だから、歌鈴にもっと目立ってほしいなって思って」
「…………」
「私、少し後ろに下がることにした。歌鈴の晴れ舞台だもんね」

――それは。
その言動は、カメラが送られる前に、自分が想像したこと。
掌の上で、掌の主のことを考えて……映像を見て、見当外れだったから、ちょっぴり寂しくなった。
けれど、加蓮は。

「ってことで、嘘になってごめんね。……藍子? あれ、藍子?」
「あはっ、なんでもないです。ちょっとだけ、嬉しくて」
「……?? 何が? あれ、藍子、泣いてる? 今からそっち行こっか?」
「大丈夫ですよ、もうっ。過保護っ」
「藍子には言われたくないなぁ」

ぐしぐしと、目元を拭う。
今はライバル関係だというたった1つだけの、それもひどく不慣れな事実だけで、藍子は何度も何度も腕を濡らす。
その間、加蓮は待ってくれた。電話越しなのに、まるでじいっと見てくれているようで、藍子は微かにあたたかみを感じた。

「……あ、もう、日付が変わりそう。ねえ藍子。私、藍子にお礼が言いたいんだ」
「お礼?」
「うん。知ってるとは思うけど……歌鈴を焚き付けて喧嘩を売らせたのは私だけどさ」
「やっぱり加蓮ちゃんだったんですねっ」
「でも、それが歌鈴の本心なのは間違いないから。受け止めてありがと」
「いえいえ♪」
「あと、私の想いを受け止めてくれてありがと。顔を見なくても分かるもん。私と戦ってくれるって声をしてる」
「……私は、加蓮ちゃんの顔、見たいな。今、どんな顔をしてるんですか?」
「笑ってる」
「あはっ、やっぱりですか」
「知ってるんだ」
「でも、見たいんですっ」

「それとね」
「はいっ」



「藍子。生まれてきてくれて、ありがとう」



「え? ……あ、日付が……」
「誰よりも先に言いたくて。だからこんな時間に電話してみたんだ。……あ、あはは、その、たまには私も、えと」
「ありがとうございます、加蓮ちゃんっ♪」
「……そ、そんな声、出してもっ、明日のLIVE、手加減しないからね!」
「はい♪」
「あははっ、加蓮ちゃんってやっぱり変です。ありがとう、って言うのは、私の方ですよ?」
「だって……ほ、ほら、誕生日にさ、最初に何か言いたくて……何がいいかなって思ったら、なんか藍子にお礼が言いたくなったんだ」
「くすっ。やっぱり、変」
「……う、うっさい」

星の瞬く音がする。
耳元の息遣いに抱きしめられて、カーテンを開く。

「……空、綺麗ですよ、加蓮ちゃん」
「見ながら電話してる」
「たまにはこうして、一緒にいるのもいいですね」
「……藍子じゃないけど、顔を見てる方が落ち着くかも、私も」
「なんだ。加蓮ちゃんも、同じこと考えてるじゃないですか」
「電話じゃ抱きしめてくれないし、抱きしめられないもん」
「……明日が終わったら、私はずっと、加蓮ちゃんの隣にいますから」
「うん、そうして。また、正面に立つかもしれないけど」
「その時は、その時です」

耳元に小さな振動が生まれた。メールの着信だと画面を見る前に、加蓮がきっと誕生日のメッセージだよと教えてくれた。嬉しさのあまり笑みを漏らしてみれば、私が最初だからね、と加蓮が子供っぽく言う。ああ、今からでも来てって言ってしまおうか、なんて。

「加蓮ちゃん」
「ん」
「私、加蓮ちゃんと歌鈴ちゃんのことを考えて、まだまだ知らないことがいっぱいあるって気づきました。だから――」
「うん」
「これが終わったら、いっぱいお話しましょう」
「うん」
「でも、まずは」

来て。隣にいて。抱きしめて。
……そう思っても、それよりも前に。
高森藍子は、アイドルなのだ。

「明日……ううん、今日。いっぱい、想いを受け止めます。だから加蓮ちゃんも、私の気持ち、抱きしめてくださいね!」
「……うんっ」
「ありがとね、藍子」
「ありがとう、加蓮ちゃん」
「また明日」
「おやすみなさい」

声を耳から話すよりも早く、通話終了の無機質な音が鳴り響く。
幻想の世界から帰ってきた気分で、藍子はしばし呆けていた。
やがて、布団の中へと潜り込む。
今日はもう、7月25日。

――さあ、受け止めにいこう。
たいせつな人の、あたたかな心を。



掲載日:2015年7月24日〜25日

 

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