「23時の女子会」
「ナナ、これでもちょっぴり期待していたんですがね」
壊れかけの椅子に座って安部菜々が唇を尖らせる。背もたれの上に腕と顔を置いているようだができればやめてほしい。その椅子は壊れかけなのだ。だから最近は机ではなくちゃぶ台を階下から借りて宿題を済ませているというのに。 「いやあ確かに覚悟していましたよ? 加蓮ちゃんですからね。藍子ちゃんも最近は加蓮ちゃんに影響されてるみたいですし、また学校ネタとかテストがどうとか言われるんだろうなぁって。それでもナナは期待していたんですよ? なのになんですか! せっかくオフを合わせたのに夏休みの宿題を片付けるって!」 北条加蓮は広げたノートから目を離し、溜息を1つついた。かけていた度のないメガネを鬱陶しげにほっぽり投げて、はー、と天井を仰ぐ。 「菜々さんさぁ、構って欲しいからってそういうこと言うのやめようよ。普段がわざとじゃないのかって思うよ?」 「わざと?」 「……あー、ごめんごめん。菜々さんは菜々さんだ」 「なんだか分かりませんが加蓮ちゃんがナナを馬鹿にしていることだけは分かりました」 「馬鹿にはしてないよ」 「藍子ちゃんも何か言ってあげてくださいよ!」 「え、ええっとぉ……」 未だ伊達眼鏡をかけたままの高森藍子が、顔を上げて困り笑顔を見せる。ちらり、ちらり、と視線が動くけれど、加蓮は黙って肩を竦めるに留めた。 「にしても夏休みの宿題って早くありませんか? 最近の学校は夏休みが早く始まるんですかね」 「……菜々さん、自分の年齢と所属を言ってみなさい」 「へ――ハッ! ほ、ほら、ウサミン星の学校と地球の学校では違うのかなって、あは、あはは」 「前に地球の文明を学ぶ為に地球の学校に通ってるとか言ってなかった?」 「言っていましたねっ」 「そ、それは、その、あーっと……き、キャハッ☆」 「…………」 「…………」 「……ああもうこの話やめましょうよ!」 椅子を蹴っ飛ばそうとしたのだろうが、立ち上がったと同時に足を絡めて、ウサミン星人が素っ頓狂な鳴き声をあげていた。 「藍子のところは? 私は先生に言って前倒しでもらったけど」 「私は……アイドル大変だろうって、先に言われちゃいまして」 「えー、なにそれずるい! 私なんて自分から言わないと何も言われなかったんだよ?」 「あはは……でも、変に気遣われるのも嫌じゃないですか?」 「分かるけどさー」 誰か心配くらいしてくださいよー! と菜々が喚く。仕方がないので加蓮は手を差し伸べてやることにした。 引き上げられた菜々はごほんと咳払い。対面同士に座る加蓮と藍子に割り込むように、ちゃぶ台の横にどかっと座り込む。 「加蓮ちゃんこそ気遣われるタイプに見えますけどねぇ」 「私、そういうのやめてって事前に言ってるんだ」 「なるほど」 「病弱だし、体力ないしさ。でもそれで変な目で見られるのもヤダし――中学時代にね、いたの、そういう先生が」 「あー……」 「あ、ヤバっ、今なんかすごい藍子と菜々さんのこと好きって言いたくなった」 「いや、言えばいいじゃないですか」 「なんか悔しいじゃん」 だから嫌いって言ってやるんだ、と口の先を尖らせる。 藍子がもうっと頬を膨らませる。 がしがしと髪を乱される。 振りほどかないくらいに身動ぎしたら今度はほっぺたをつねられた。 なので、つねりかえした。 「いひゃいでふ、いひゃいでふかれんひゃん」 「むー」 「なーにやってるんですかね……」 「なんだろ。じゃれあい?」 藍子が赤くなった頬を軽くさすっていた。それから、うーん、と背を大きく伸ばしていた。 一応ながら弱冷房をきかせている(温度設定が高いのは冷房が苦手な藍子を気遣ってだ)が、それでもこの時期は臭いを誤魔化すことが難しい。僅かに顔をしかめたのが見つかったのか、藍子がちょっぴり申し訳無さそうに後ずさった。お風呂入る? と加蓮は尋ねた。キリのいいところまでやったらお邪魔しますね、と藍子は微笑んで、問題集へと視線を落とす。 「…………」 「なんですか? ナナの顔に何かついてます?」 「ご飯粒はついてるけど」 「え!? わ、分かってたなら言ってくださいよ!」 「ふふっ。いつ気付くかなって。そうじゃなくてさ。菜々さんが私の服を着たらどうなるかなーって想像してた」 「加蓮ちゃんの服ですか。いかにも若者って感じでナナ着こなせるかちょっとふあ――ナナも若者ですが!」 「菜々さんなら大丈夫だよ」 1度でも意識に入れてしまったからか、今度は自分の腋や腿の汗が気になってしょうがなかった。 お風呂入ってくる、と立ち上がると、お供しますよ! と菜々が後に続く。藍子を見遣ると、お先にどうぞ、と笑顔で返された。 タンスから適当に着替えを引っ張りだし、階下へ。2人分の足音になんとも言えない気持ち悪さを味わいつつ両親の姿を探してみたが、どうも見つからない。リビングに手紙が置かれていた。この時間から親戚の家に行くらしい。 「お風呂は沸いてるんだって」 「ラッキーですねぇ」 風呂場へ向かう。もうその頃には全身の汗が耐え切れない程になっていて、ドアを閉めるのもそこそこに加蓮はさっさと服を脱ぎ捨ててしまった。 わーお大胆、と感心するのやら呆れるのやらといった声など耳に貸すこともなく、浴室への扉を開く。 途端、自分の汗を意識の外へと追いやるほどの熱気が襲いかかってきて、加蓮は思わず顔をしかめた。 どうやら浴槽の蓋が開けっ放しだったらしい。 「……シャワーだけにしちゃおっか」 「えー、ナナはゆっくり入りたいんですが」 「美肌の為に?」 「肌を気遣うのはアイドルのたしなみですからね!」 「引っかからなかったか」 お湯に手を突っ込むと中途半端にぬるかった。美肌云々ではないが、どうせ入るなら思いっきり熱いお風呂に入りたい。そして部屋に戻ったらクーラーを全開にしてしまおう。追い焚きのボタンを押し機械の起動音がし始めた頃、ようやく菜々が一糸纏わぬ姿を晒していた。 「菜々さんって意外と胸が大きいよね」 「……!?」 「……いや、どっちも女の子なんだから隠さなくても」 シャワーで全身の汗を洗い流す。先に髪を洗ってしまうことにした。シャンプーを取り出したところでナナが洗いますよと言ってきたので任せることにした。 「藍子ちゃんの話を聞いていると、どうも加蓮ちゃんにはそっちのケがあるように思えてしまうんですよね」 「なにそれ……。別に、藍子のことが好きだってだけだよ」 「今度はあっさり言うんですか」 「あ。……藍子なんて大っ嫌いだし」 「誰に意地を張ってることやら」 座って待つことに飽きないくらい早く、菜々は加蓮の髪を洗い終わる。 お返しに菜々の髪を綺麗にしてあげることにした。こちらも毛先で遊ぶのに飽きないくらいの時間で終わった。 人の髪を洗うのが簡単なのか、菜々の髪が素直なのか。 「体はどうします?」 「洗うよ。……自分で洗うよ?」 「残念。ナナ、洗いっこやりたかったのに」 熱気に包まれるとわかりづらいが、やはりこの時期は汗が酷い。それに外での活動が多いせいか身体がねちょねちょで気持ち悪い。いつもよりかなり入念に汚れを落とし、お湯へと浸かる。ちょうど同じタイミングで菜々も洗い終わったのか隣に腰掛けていて、あ゛あ゛〜、という20代を通り越して40代のおっさんみたいな声をあげていた。想像だが。 「菜々さんさぁ」 「?」 「前にも言ったけど、なんで2X歳ってことを隠すの?」 「ナナは17歳ですよ?」 「いやそういうんじゃなくてマジな――」 「ナナは17歳ですよ?」 「……あっそ」 ほぅ、と漏らした息が、自分の物ながらなんとなく色っぽく聞こえた。なるほど、お風呂に入って声をあげたくなる気持ちは、10代も20代も変わらないのかもしれない――いや、菜々も17歳か。17歳だと本人が言っているのだから。 「あふ……」 「おっと。ナナに肩を預けるなんて、そんなにお疲れですか?」 「別に……。あくまでそれを貫くんだね」 「ええ。ナナは17歳ですから」 「そっか。じゃあ私は最大限に気遣ってあげる。ウザいって思う程に」 「加蓮ちゃんには……助けてもらってるのかどうか微妙なところですねぇ。いっつもいっつもからかわれている気が」 「私だしぃ」 「まあでも加蓮ちゃんにはいつも感謝してますよ! 助けられてますし、加蓮ちゃんを見ているだけでナナも元気になりますからね」 「そっか」 天井に貼り付いた水滴が妙に気になる。手を伸ばしてみる。もちろん、届かないけれど。 菜々がくすっと笑って、真似して左手を天へと伸ばしていた。 たぶん菜々は加蓮と違って何かを掴んでいるのだろう。肩に預ける体重を増した。 「菜々さんのこと、菜々って呼んでやろ」 「急にどうしたんですか?」 「私がちゃん付けするのって、あんまり親しくない相手にだからさ。この方が距離が近いって感じがする」 「ナナは嬉しいですけど、加蓮ちゃんからナナって呼ばれるとむず痒いですね」 「嘘をついてる罰だよ。私は菜々さんへの気遣い100%だもん」 「それは厄介ですねぇ。しょうがない、頑張って慣れましょうか」 「頑張れ〜」 菜々、と呼んでみた。身動ぎで肌がこすれあう。 「そろそろ上がるね。暑くて暑くて」 「ナナはもう少しのんびりしてますから、お先に上がってていいですよ? 藍子ちゃんも寂しいでしょうし」 「そだね。じゃ、お先に。のぼせたりしないでね?」 「がってんしょうちですよ」 名前を出されて始めて意識した。水しぶきが菜々にかかるのも構わず、身体についた水滴を拭くのももどかしい。 パジャマと髪を湿らせたまま加蓮は自室へと戻った。ドアを開けた途端に弱冷房の歓迎を受け、そして藍子から笑顔をもらった。 「おかえりなさい、加蓮ちゃん」 「ただいま。意外と涼しいね、28度なのに」 「設定温度、下げますか? 加蓮ちゃん、お風呂あがりだから……」 「大丈夫大丈夫。それより藍子、お風呂に入って来なよ。ほっといたら菜々さんがのぼせるよ」 「そうですね……キリもいいので、お風呂、使わせてもらいますね♪」 「行ってらっしゃい」 ノートを閉じる手つきがすごく丁寧だ。荷物から取り出した着替えも綺麗に畳まれている。ここに住んでみない? と冗談交じりに言ってみた。それもいいですね、と本気成分がだいぶ込められた声が帰ってきた。菜々が同級生だったらどうなっていただろうという想像じゃないけれど、藍子がもし自分の幼なじみとか姉妹だったらどうなっていただろう、と加蓮はどうあっても叶わない願望を小さく抱いた。 「藍子」 「はいっ」 「……お風呂に入ったら、菜々さんのこと、菜々って呼んであげてみて」 「突然どうしたんですか?」 「イタズラ」 「もうっ。分かりました。じゃ、行ってきます♪」 んー、と手を振って見送った。 バタン、と控え目な音と共に、客人を失った部屋に1人で佇んで、10秒も経たないうちに身体が小刻みに震えだした。15秒ほど経過した頃にドアを勢いよく開けどたどたと階段を降りる。お風呂場に向かおうとしていた藍子が不思議そうにこちらを見ていた。 やっぱりもっかいお風呂入る! と叫んだら、にっこり笑って、はい♪ と頷かれた。 ちょっぴりムカついたので、後ろから思いっきり抱きしめた。藍子の汗がまとわりついてきて、これでお風呂に入る口実ができたかな、と加蓮は意地悪く笑った。 |
掲載日:2015年7月15日
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