「あなたの知る、知らない私」





――街中――
もしも街中で――
高森藍子と出会ったならば、適当な会話もそこそこに、隣に並んで、スケジュール帳の空白がなくなるだろう。
安部菜々と出会ったならば、まずは口先を動かして、不敵な笑みを浮かべるところから始める。
喜多見柚と出会ったならば、自分が行動する前に相手が飛びついてくるから、考えるだけ無駄。
道明寺歌鈴と出会ったなら、ケンカだ。

工藤忍と出会ったなら――

「……ん……? あれ、忍じゃん」
「あ、加蓮……」

本来なら撮影が入っていた筈が先方の都合で延期となってしまった。事務所も出払っているし、意気込んだ手前、すごすごと家に帰るのも格好悪い。
誰に張っているか分からない意地で足だけを動かしていたら、本来ならプライベートで会わない筈の人と出会った。
かなり目深にかぶった帽子の隙間から、癖の強い髪が見える。シンプルな服装と、遠目からでも使い込んでいることが分かるスニーカーが彼女らしい。
ひと通り、外見を観察して。
北条加蓮は、次に何をすればいいのか分からなくなって、立ち止まってしまった。

「……」
「……」
「……えーと、1人?」
「1人……。そういう加蓮も、1人?」
「いつものみんなとは都合が合わないし、Pさんもいないし」
「そうなんだ……」
「……」
「……」

じんわりと浮き出た汗に外に出てから1度も使わなかったハンカチへと手を伸ばせば、拭こうとする直前に忍が右足を出しかけた。
思わず立ち竦む。反応が大きすぎたせいか、忍もまた、ビクッ! と動きを止める。

「あー、えー、っと……」
「…………」

初めて出会った相手にもこんなにぎこちない動きはしないだろう。経験なんてないから想像だけれど、別れた恋人とたまたま電車で隣同士になったらこういうことになるかもしれないと加蓮は思った。
加蓮を助けてくれたのは、他ならぬ忍の持ち物だった。

「あれ? ねえ、それ……その袋ってさ、あそこのブランドの?」
「あ、うん。新作が発表するっていうから、ちょうど時間があったから」
「へえー……見落としてた。忍って結構おしゃれだよね」
「そうかな? 可愛くなる努力、してるんだ」
「可愛くなる努力……」
「アイドルは突っ走るだけじゃ駄目だからって、うちのPさんが言ったから。そろそろ都会のお店にも慣れてきたって自負してるよ♪」
「そう。じゃあ――」

今度、一緒に行く?

そんな軽口の延長線は、手を伸ばしても届きっこない地平線だった。

「あー……」

変な形で開いてしまった加蓮の口に、何かを言おうとして固まる忍。
通りゆく人が不思議そうな目で見ている。最低限とはいえ変装をしているのでアイドルだとバレてはいないようだが、このままでは違う意味で目立ってしまう。ではどうするか、ここから走り去るか。石像状態の忍は? 置いていく? 連れて行く?

「あのさ、加蓮……その、ちょっとそこまで、いい?」

簡単な計算すらできなくなってしまいそうな脳のスイッチを再起動したのは、忍の誘いだった。

「え、あ、ちょっと待ってっ」

返事も待たずすたすたと歩いて行く様に、加蓮も慌てて追いかける。


――公園――
事務所から歩いて5分の公園。あの日、藍子に出会った日から、加蓮にとっても馴染み深い。
目を瞑って写真を撮ることだってできそうだ。
なのに今は、側にいる人が違うだけで、どこか遠くの町の中みたいに思える。腰掛けるベンチの触りが、目的地を見失った砂漠のようで。

「……」
「……」

隣に座る忍は、ぼうっと遠くを見ていた。
彼女も見かけによらずマイペースだ。いや、彼女がマイペースであることを加蓮は前々から知っている。レッスンに付き合って、何度もぶっ倒れさせられたのだから。自覚はあるようだが改善の見込みはまったくない。

「…………今日、ホントはオフじゃないんだよね」

どういうこと? と加蓮は首で尋ねた。

「ホントは、午前中にレッスンがあって……終わったら遊びに行こうって約束してたんだ」
「約束……フリルドスクエアのみんなと?」
「うん。なんだけどさ、アタシと柚ちゃんがケンカしちゃって。あ、でもよくあることなんだよ? アタシと柚ちゃんって」

忍は立ち上がる。片手を広げて、どこかイタズラっぽい笑みを見せる。

「アタシと柚ちゃんだよ? 似合わない組み合わせだって思わない?」
「まあ……正直に言えばね」
「ありがと。ま、きっと明日になればいつも通り。アタシも柚ちゃんも、長引くのは好きじゃないから。でも今日のケンカは、ちょっといつもと違ったんだ」
「そうなの?」
「うん。柚ちゃんの言うことに違うおかしいって繰り返してたら、柚ちゃんがキレた。アタシのことなんて知らないって」
「ほっといていいんだ」
「あずきちゃんが行ってるから。アタシは……よくあるもん、こういうこと」

飲み物、買ってくるね。
そう言って入口横の自販機へと向かう姿を、加蓮は漫画を読む気分で見送った。
ポケットから小銭入れを出して、1度ボタンを押してからも考えこんでいる。そんなに悩む必要なんてないのに。
ぐりん、と左肩を回しながら、いつの間にか潜まっていた眉を意識して元に戻した。
……どうにもこうにも、慣れない。
自分が喋っているというよりは、喋らされている印象が強い。
前に藍子や菜々に語ったことがある。忍が相手だと真面目になってしまう。調子が狂う。
今は、それとも少し違う感じだった。

「はい。コーヒーでよかった? ……加蓮?」

反応がかなり遅れてしまった。体ごとそっちを向いた時、忍が少し不審そうな顔をしていた程に。

「あ、うん、ありがと」
「加蓮もアタシと同じで、辛いのとか苦いのとかが好きだって聞いたから」
「うん……誰から聞いたの?」
「柚ちゃん」
「そっか」
「甘いラテを差し入れて後悔したって言ってたんだ。加蓮は辛党だから覚えないとってメモを見てた」

簡単に想像できる。きっとそれでも、次の機会に柚は自分の持ってきたい物を持ってくるのだろう。そう考えた方が、楽しみに待つことができる。

「柚ちゃんが、何回も言うんだ」
「私のこと?」
「加蓮はイジワルだ、だって。変だよね。アタシの中で加蓮って、すっごく真面目で、アタシにいろんなアイドルを教えてくれる人」
「勝手だ」
「うん、すごく勝手だ。柚ちゃんの言う加蓮とぜんぜん合わなくて、何度も違う違うって言ってたらケンカになってた。でも」
「……」
「……正しかったの、柚ちゃんの方だった」

つい先日の出来事だ。レッスンの待機をしていた柚と忍の元に自分が向かって、柚といつものようにじゃれて。
その様子を忍が見ていた、という出来事が発生したのは。

「……私だって忍のことなんてぜんぜん知らないよ? 私をよくぶっ倒れさせる人ってくらいしか」
「う゛。反省してます……」
「もー。あの後、Pさんにも藍子にも怒られたんだからね? 無茶すんな、また病院行きになったらどうするんだ、って」
「うぐ……」
「確かに体力はないけど、もう大丈夫なのにさ。私のことなんてなんにも知らないで、好き勝手に押し付けてくる」

それが好きなんだけどね、と続けようとして、"そ"までを言いかけたところで口を噤んだ。

「ねえ、加蓮」
「ん?」
「アタシの知ってる加蓮と、柚ちゃんの知ってる加蓮は違うよね」
「うん、きっと違うね」
「どっちが本当の加蓮なの?」
「……さあ」

空を見上げた。夏の匂いがした。梅雨がギリギリのところで踏みとどまっているせいか、肌を撫でる風にはほんのちょっとの涼しさが含まれている。
目だけを忍の方に向けてみたが、彼女はさっきよりも帽子を目深にかぶっていて、どんな目をしているのか見ることができない。
知らないよ、と返そうと思った。
本当の自分んなんて知らないよ。
意地悪が半分、本音が半分の答え。
言葉の代わりに、息を吐いた。
それも、何か違うのだし。
自分のややこしさを説明する言葉を探すのも、一筋縄ではいかない。

「そうだねー……」

説明の言葉を探そうとした時だった。



「あーっ! かれんちゃんだー!」



甲高い声。
え? と加蓮はそちらの方を向く。意識が、現実世界へと帰ってくる。
とてとて、と走ってくる影があった。
あはっ、と加蓮の笑みの種類が変わった。
意識して作った表情ではない。
忍の言葉を借りるならば、「本当の自分」と胸を張って言える笑顔だった。

「ごめん、ちょっと待ってて」

え? と疑問の声が返されるも、構わず加蓮は立ち上がる。声がした方――この公園でよく見る幼稚園くらいの子ども達4人の方へと駆けていく。
わーい! と手をぶんぶん振る子ども達が、ぐいぐいと腕を引っ張りだす。
うち1人が、じゃーん! と加蓮にある物を見せつけた。
おもちゃのロボットだった。
それを見た瞬間、あはっ、と加蓮は笑っていた。ともすれば涙を浮かべてしまいそうだった。
いつかのクリスマスの時、サンタガールとなった加蓮が渡したプレゼントだった。

「大切にしててくれてたんだ」
「たいせつにしてたら、かれんちゃんがらいねんもプレゼントをくれるっていうから!」
「あ、ずるい! わたしにもプレゼント! ねえねえ!」
「ごめんねー、今は持ってないんだ。そうだ、かわりにお歌を歌ってあげよう」
「やったー!」
「うたのおねえさんのうたー!」

加蓮は歌い出す。ちいさなちいさなファン達の為に、ゆっくりと、自分の歌を自分の物にして。
アイドルらしいアイドルの歌『お願い! シンデレラ』だって、加蓮の手にかかれば子ども向けの動揺になる。

「おーねがいっ、しんでれら〜♪ ゆめはゆ〜めでお〜われ〜ないっ♪」
「わああ……!」
「かな〜えるよ、ほ〜し〜に〜ね〜が〜いを、かけたなら〜♪」
「うまーい!」

誰にでもできるくらいの簡単な振り付けに、大げさなくらいのウィンクを挟み込んで。
1番のサビを歌い終わった"みんなのお姉さん"は、ぱちぱちぱち! と、心温まる拍手に包まれる。

「すごーい!」
「おねーちゃんおねーちゃん、わたし、おおきくなったらおねーちゃんになる!」
「えー? 私に? じゃあライバルだね」
「らいばる!」
「ねーねー、どうしたらおうたがうまくなるのー?」
「ふふっ、こうやってね、口を大きく開けて――」

右腕を引っ張られて、腰をかがめて笑顔を見せたら、今度は左腕が引っ張られる。
1人の頭を撫でれば、わたしもわたしも! とせがまれる。

「じゃあねー!」
「またねー!」
「うん、ばいばい。気をつけて帰るんだよ?」

10分ほど服の裾を伸ばされ続けて、加蓮はやっと解放された。
――クリスマスの時、子供たちにプレゼントを配りたいとせがんだのは自分だが、まさかその願いが叶うとは思わなかった。子供たちに向けた仕事なんてやったことがなかったし、クリスマスシーズンと言えばかきいれ時だ。
それでもプロデューサーは加蓮の願いを叶えてくれた。ギチギチだったスケジュールにいくらか余裕を持たせて、既に入っていた仕事に別のアイドルを割り当て、その度に加蓮はこれまで話したことのない相手に何度もお礼を言った。明らかに何徹か繰り返してでも、プロデューサーは今の加蓮を作ってくれた。
本当に良かったと思う。こうして公園で歌を披露するなんて、昔の自分では絶対に考えられなかったから――

子どもたちが見えなくなるまで手を振り続け、さて戻ろう、となった時――

「…………あ」

ようやく加蓮は思い出した。
慌てて、小走りでベンチまで戻る。そこにはぱちくり瞬きをするアイドル仲間の姿が。

「…………お、おかえり」
「た、ただいま?」

たぶん何らかツッコむべき場面だったのだろうが、加蓮は最初に忍と会った時のようにぎこちないロボットと化していた。
さっきまで子どもたち相手に笑顔を振りまいていたお姉さん系アイドルはどこへやら、まるで初めてオーディションに挑む新人アイドルのようなガチガチっぷり。忍もまた、そんな加蓮を呆けた目で見上げる。瞬きの速度がいつもより早い。
さっきのお返しに飲み物を……と逃げようとポケットから小銭入れを取り出そうとしたら、ファスナーが空いたままだった為に小銭がぶちまけられた。ちゃりんちゃりん、と音だけが虚しく響く。どっちも手を伸ばそうともしない。
それから――少なくとも時計の長針が数字を2つほど刻んだ時。
くすっ、と忍が噴き出した。

「へ?」
「ううん、ごめんごめん。そっか、加蓮ってこういう顔もあるんだ」
「……どーせ似合わないとか思ってるでしょ」
「そんなことないよ? ホントに驚いてる。あと、アタシって馬鹿だなって思った」
「はあ?」
「あ、写真を撮っておけばよかった。柚ちゃんに自慢できたのに」
「写真……ちょ、待って! やめろ! 柚に見せたら何言われるか分かったものじゃないし!」

少し前に、同じような姿を藍子に見られ、あまつさえカメラ越しに記録に残ったことを思い出して、加蓮は思わず叫んだ。
聞けばあの時、その場に菜々もいたらしい。何も言及してこないのは彼女なりの優しさなのかもしれないが逆に腹立たしい。
帰ったら17歳ネタでいっぱいいじってやる、と八つ当たり気味に思ったところで、忍が「まあまあ」と手を横に振った。

「撮ってない撮ってない。ほら」

差し出された携帯電話にひどく複雑な目を向けつつ、さすがにそれを手に取ることはしなかった。
しばし黙っていたら、すっ、と忍が手を引いた。すっかり緊張がほぐされ、そっかー、と語尾に音符マークをつけるような弾んだ声で、ひとりでにうんうんと頷いている。

「そっかそっか。そっかー」
「……何に納得してるのよ」
「ごめんね加蓮。疑って。アタシのレッスンの時もあれだけ真面目にやってくれる加蓮だもん、嘘なんてついてる訳ないよね!」
「それは前も言って、いやそうじゃなくて……」
「あ、これ小銭。飲み物を買ってくれるの? でも加蓮だったら炭酸を振って渡して来そうだなー」
「そんなセコいことなんてしないよ」
「えー? 柚ちゃんの話そのままならやりそうだけど。まあ、アタシ見たことないから知らないけどね♪」
「アンタは……ハァ」

なんとなく、言いたいことを察して――こういう時に早く察してしまうことが少し悔しく感じる――、加蓮は溜息を吐いた。
どす、と忍の隣に腰掛けて、もう1度、大きく溜息。
ぽんぽん、と背中を叩かれ、恨みがましい目で見たら太陽みたいな笑みで帰された。
ああ駄目だこれ、邪気が抜けていくのが自覚できる――ばーか、と無意識のうちに言葉を吐き出していた。反論すらなかった。

「あ、そうだ加蓮。アタシ加蓮の連絡先を聞いてないんだった」

忍が再び携帯電話を取り出した。端々に傷が入っている。カメラなんて汚れを拭いても濁った写真しか撮れそうにない。
なんとなく手に取ってみたら、そうじゃないよと苦笑された。自分自身でも苦笑した。何をやっているのだろう。
加蓮もスマフォを取り出す。アドレス帳を開くのに苦労していたら忍が「へー、加蓮のスマフォってこんなんなんだ」と画面を覗きこんできて、「赤外線通信でいいんじゃないかな……?」と指摘してきた。いよいよ加蓮はこの場から逃げ出したくなった。代わりに忍の額を軽く小突いて、あたっ、となぜか嬉しそうに言っている彼女をひと睨みして、ようやく赤外線送信の欄を開く。
無事に連絡先を交換したところで、加蓮は立ち上がった。

「……連絡しないよ。別に用事もないし」
「うん、アタシも」

じゃあなんで、と言いかけた時には忍も立ち上がっていて。がさり、と服入りの袋が音を立てて。

「戻ったら柚ちゃんと仲直りしよ。今度は柚ちゃんの話をちゃんと聞くんだ。アタシの知らない加蓮のこと、いっぱい知ってそうだから」
「ないこと言ってたらちゃんとシメといてね」
「はーい。あ、そうだ加蓮。次のレッスンには来てくれる?」
「いつだっけ」
「明日」
「うわ、そうだった。はいはい、行く行く。どーせ忍といたら真面目な加蓮ちゃんになっちゃうんだし」
「なにそれ? よく分かんないけど、また明日もお願いします♪」
「はーい」

ぺこり、と忍が頭を下げた。
すっ、と加蓮も頭を下げる。
……たぶん、悩みや迷いは解消されたのだろう。同じことを言われた昨日よりは、ずっと声が綺麗だから。
やがて顔を上げたら、そこには同じように顔を上げたばかりの忍がいた。

「……ぷっ。忍、おかしな顔」
「加蓮だって変な顔してるよ」
「あー、気まずいよね、こーいうの」
「うんうん、気まずいよね。やっぱアタシは立ち止まったらダメみたい」
「忍らしいね。そろそろパッショングループに鞍替えしたら?」
「やだよ、アタシ可愛くなりたいもん。ずっと努力もしてるんだから」
「知ってる」
「ね、加蓮。せーので一緒に帰らない? そうだ、事務所まで競争しよう!」
「え? あ、ちょっと待って競争とかそういうの」
「負けないぞっ! よーい、どんっ!」
「待ちなさいっての――ああもう!」

がむしゃらに走る忍を、馬鹿みたいな顔で追いかけていく。
走れば5分もかからない場所につくまで、すっかり息があがってしまって、先に到着していた忍に「えー、体力なさすぎでしょ」と呆れの言葉を頂いた――それが加蓮が忍から聞いた、最初の毒舌だった。
息も絶え絶えになりながら、額の汗をぬぐいながら、それでも加蓮は笑う。
自分だって、忍のことなんてぜんぜん知らないし、知る必要もないと思っていたけれど。
今日、どうやら何かが変わったみたいだ。
馬鹿みたいな意地を張っていた自分を笑い飛ばすことができるような、何かが。


掲載日:2015年7月5日

 

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