「私達の関係」
「あ、Pさん。今日も遅くまでお仕事? おつかれさま」 彼女の目をまっすぐに見て、俺はつい「久しぶり」と言いそうになり、慌てて口の端を捻じ曲げたら、ぷすっ、という何かが漏れたような音がした。 慌てて右頬を摘んでみるも、人の表情を窺って生きてきたであろう少女、北条加蓮の目から逃れることはできず、にんまりと、三日月の顔を作らせる。 「Pさん、今なにか変なこと言おうとしたでしょ」 「……気のせいだろ」 「ふふっ。照れなくていいのに」 とすん、と加蓮は勢いよく隣に座る。 見栄っ張りで購入した、それなりの額のソファが軽く弛んだ。 彼女の表情もそれに合わせて、微かに揺れる。くすり、と、笑みが花びらとなって舞うように。 「なんだか久しぶりだね。こうしてPさんの隣に並ぶの」 「現場の送迎の時には助手席からひっついてくるだろうがお前」 「あ、なんてこと言うの。デリカシーがないなー」 「はっ。どうせ俺は鈍感野郎だよ」 出会ったばかりの頃、そう言われ続けたことが染み付いて、今ではシニカルな笑みを浮かべられるようになった。 「パソコン置いてないけど何のお仕事? それとも妄想?」 「その二択ってのはどうなんだ。ちょっと休憩だよ、休憩」 「ふーん」 何か飲む? と尋ねる彼女に、紅茶、と答えてみれば、ぱちくりと瞬きをされた。 無色透明の目に引力が生まれた。そういえばこんな顔を見るのは、今年に入ってから初めてかもしれない。 「紅茶? ……淹れ方、知らないよ?」 「冗談だ。冷蔵庫に缶コーヒーがあったろ」 「はーい。私も飲んでいい?」 「確か下の段にソーダがあった筈だ」 さり気なくアイドルをパシリに使っている、と気付いたのは、深い呼吸をして、加蓮が気配薄めに戻ってきた頃だった。 「はい」 「おう。サンキュ」 「で、どうせ休憩って言っても何か考えてたんでしょ」 「まあ、次の仕事のユニットについて、ちょっとな」 「ふーん。ね、ね、私は? トラプリ? リリィ? メモリーズ? それとも新しいの?」 「あー……久々にソロを任せようと思ったけど、マズイか?」 「ソロか。いいね。たまには私の実力って奴を見せないと」 「いつになくやる気だな、お前」 「煽るだけ煽って何もやらない奴って最低だと思わない? 私はそうはなりたくないかな」 その言葉を聞いた時。 ここのところ心臓の表面あたりに生まれていた疑問が、ぽこり、と泡になった。 「なあ加蓮」 「ん?」 「お前と藍子とウサミンってさ、どういう関係なんだ?」 「んー」 缶に入ったソーダを、おそらくは半分ほど一気飲みした加蓮は、しっとりとした唇に指を当てる。 慌てて、目だけを明後日の方向に向ける羽目となった。 それはそれでからかわれるのだろうが、加蓮は、ふふん、と1つだけ微笑を作っただけ。 「喧嘩できる関係、かな」 「……はあ?」 何を言っているんだ、と続く言葉はさすがに抑えこんだが。 「馬鹿って言える関係」 「はい?」 言い直したところで分かりゃしない。 それで理解できたら、俺はアイドルとのコミュニケーションにそこまで困らない。 高級柏餅をバカ食いする必要もないのだ。 おのれ緑の悪魔め滅びるべし。 「例えばさ」 加蓮はすくっと立ち上がった。手にはいつの間にか空っぽになった缶。 5歩ほど歩いた彼女は、それを―― 俺めがけて、振りかぶる。 「あてっ」 「やたっ」 「馬鹿お前、何するんだ。スーツについたらどうすんだよ」 「って言える関係かな」 「…………はあぁ?」 加蓮は律儀に缶を拾う。違う、ドヤ顔をされても困る。説明しろ。自己完結するな。 「昔の、ホントに大昔のPさんって、私にすごい気を遣ってたよね。ちょっと弱音を吐くだけでレッスンを中止させたり、私が嫌だって言ったら別のスケジュールを用意してくれたり」 「まあ、お前は新人の中でもぶっちぎりに扱いにくい奴だったからな」 「でもそのうちに、Pさんは私に馬鹿って言ってくれた。その時にね、気付いたんだ。あ、私に足りないのはこれだって」 「……罵倒されることが?」 「……真面目な話をしてるんだけどな」 「すまん」 「昔から気を遣う人ばっかりでさー。病院なんて、私がちっちゃいからってちやほやして。ウザい以外の何者でもなかった。そんなのいいから、普通の子供をさせてくれってずっと思ってた」 「……お前さ、今の環境って」 「ん? アイドルは大好きだよ。ああ、そっか、ちょっと勘違いさせちゃったね。やりたいようにやらせろ、って思ってたのかな、私」 「だろうな」 「気を遣わない関係に憧れてたんだ。夫婦みたいな」 「……ほー」 「夫婦みたいな」 「チラチラ見るのやめろ」 そうだな。確かに北条加蓮は16歳だ。けれど、北条加蓮はアイドルだ。 「ちぇ。で、今度は自分がそういう関係を作りたかったってところ」 「その相手が、藍子とか菜々ってことか」 「2人とも私のこと好きすぎるんだって。私、こんなにひん曲がった性格悪い奴なのに」 「本当に性格が悪い奴は、ぜーぜー言いながら夢を叶えようとしねえよ」 「……そういうの、反則」 「加蓮にやられてばっかりじゃ男が廃るからな」 ぽすん、と加蓮はソファに腰を下ろす。俺から握りこぶし2つ分くらい開けて、んー、と背伸びする。 にこやかな笑顔から、今度は目を逸らさなかった。 その姿を見られることが、プロデューサーとしての特権の1つだと思う。 「缶コーヒー、飲まないの?」 「おう、そうだった」 ん、と目で促され、流されるがままにヒゲのおっさんがダンディな缶コーヒーへと手を伸ばした。 ……どうやら仕返しの時間もここまでらしい。 ふふっ、と加蓮はいたずらっぽく唇を曲げる。 「藍子はねー、私が意地悪を何度言っても、ちゃんと目を回してくれるんだ」 「ん……あいつは騙されやすいタイプだからな、ほどほどにしとけよ」 「菜々さんは……なんだろ、背を預けられる戦友?」 「お前って時々すげえ男っぽいよな。今度そういう役でもやってみるか?」 「距離が近いんだろうね。すごく」 「……お前は、それで楽しくやっていけてるか?」 「さー、どうでしょー」 言葉なんて無粋とでも言いたいのか。 アイドルは輝く姿を見せるだけでファンを引き寄せる。 加蓮は口が回るけれど、大きなライブなんかじゃ本当に歌って終わりってことが多い。特にトライアドプリムスのライブの時などは。 ……藍子とか菜々とかがいると、途端におしゃべりになるが。 「Pさんは、私といて楽しくやっていってくれてる?」 「さあ、どうだろうな」 「ふふっ、その顔だけで十分だよ」 俺が飲み終えた缶をひったくり、自分の分も含めてゴミ箱へナイスシュート。よしっ、と小さくガッツポーズをして、加蓮は立ち上がる。 「そんなに心配なら、今度のレッスンでも見に来たらいいじゃん」 「そうだな。たまには、それもいいな」 「最近はほとんどトレーナーさんに任せてるよね、Pさん。わー、怠慢だー」 「おいおい、俺を怠慢って言ったら世の中の人間どいつもこいつも杏になるぞ?」 「うっわ、世界が終わりそうだねそれ」 「一家に一台で十分だろ」 「世界に1人で十分だって」 はい、と加蓮は俺に手を伸ばした。 素直にとってみれば、くすっ、とやけに甘ったるい吐息を印象づけられて、それから一気に引き上げられる。 あまりにも一気すぎたのでよろめいて……両手を広げてカモンとドヤ顔するアホをひっぱたいてから。 「痛っ。可憐な乙女に何するのー」 「はいはい。お前は加蓮だな」 デスクから手帳を引っ張りだす。 さて、3人のレッスンの日付と、俺の空いている時間を、確認しなければ。 |
掲載日:2015年5月20日
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