「遅咲きの花を育てる者」






「ねえPさん。はじめて藍子に出会った時のことって覚えてる?」
「ん? いきなりなんだ」

彼の表情は、書類に隠れていた。だから北条加蓮は、声色だけを頼りに、唇の先の形を変えていく。

「ちょっとね、気になって」
「よく分からん……。まあ、覚えてはいるな」
「さすが」

だんだんと暑くなってきた昼下がり。クーラーの使用許可はまだ降りないらしい。
このまま蛍光色の事務員へ愚痴を吐きあって時間を過ごすのもいいけれど、それは今の話が終わってから。

「初めて藍子に会った時か……。加蓮には話したっけな。あの時、企画立ち上げってことで大々的にオーディションをやったんだ。ローカルの」
「聞いたことはあるな。私はスカウト組だからいまいち分からないけど」
「プロデューサーはスカウトとオーディションで一定人数をアイドルにすること、ってノルマみたいなものがあってな」
「え、なにそれー。私は数合わせだってこと?」
「違ぇよ断じて違う」
「……ふふっ。冗談だからそんなに怒らないでよ」
「加蓮の冗談は分かりにくいんだよ……」

少しだけ損をしてしまっているのかもしれない。せっかくの空いた時間に彼と2人きりなのに、他のアイドルの話をしているなんて。
でも、こうして自分の知らない話をすることを、加蓮は好んでいた。
彼のことが知りたいのか、知らないことを知りたいのかは、自覚していないけれど。

「藍子もオーディション組だったんだ」
「まあな。パッと見た時はだいぶん大人しい子が来たなって思ってたんだが」
「だが?」
「第一声からして、あ、この子はパッションだなって決めてた」
「……ってことは、もう合格扱いにしてたってこと?」
「ほとんどな。まー、それじゃ聞きたいことも聞けないだろうから、表向きは普通の採用試験っぽくしたけどな」
「Pさんの演技かぁ。……ぷぷっ」

きっと表情に出ていたのだろう。そして藍子は天然だから気付かなかったのだろう。
結末を知っているミステリー小説の、口論パートみたいな物だ。
面白いに違いない。

「おう、ひどいなお前。ま、アイドルになってからもな、藍子はやっぱパッションだって何度も思った」
「こう言っちゃなんだけどさ。あの子、パッショングループの中でも大人しめじゃん」
「……今でもキュートグループへの移籍が検討されるんだよな。その度に突っぱねてやってるけど」
「藍子さ、表向きはパッションっぽくないじゃん。その辺り、何か思わなかったの?」
「ふむ」
「押しつぶされてしまわないか、とかは?」
「そうだな……実際、思ったことはあった」

キーボードを叩く指の音が止まった。だから加蓮も、目を開けて前を向くことにした。
目を見られたら、目を見るように。
ファイルの束で顔が隠れてしまっていることに変わりはなくても、少しだけ違って見える、机の向こう側。
立ち上がろうかと迷って、中腰になってから、加蓮はそのまますとんとソファに座り直す。
隣に並んだら、たぶん、脈絡もないまま話を変えてしまいそうだから。

「そういう意味じゃ、藍子には無理させちまってるな……」
「藍子ね、今でもたまに悩んでるみたいなんだ」
「……何?」

食いつきが早い。がたっ、と椅子の音もした。
自分に何かあった時の方がオーバーリアクションを見せるのだろうけれど、それでも眉根が少しだけ寄ってしまう。
2度、ゆっくりと瞬きをして、薄っぺらい仮面をイメージして、すぐに落ち着くことはできた。
彼が見破ることができる、それでいて表情を覆いかぶせることができる、ぎりぎりの薄さを貼り付ける。

「こらこら、今すぐに駆けつけるって顔しないでよ」

――顔なんて見えてないけどね。

「お、おう。えーと、それは……その、俺が聞いていい話なのか?」
「うん。ほら、パッショングループってさ、頑張る子が多いじゃん」
「……? どのグループの子もみんな頑張ってるだろ」
「そうじゃなくて……こう、なんて言えばいいのかな。これをやるぞー! あれをやるぞー! って感じに」
「目標意識って奴か。確かにパッショングループはそういうとこがずば抜けてるな」
「それがあるからか、藍子、今でも悩んでるみたい」
「……いや、藍子もな。最初の頃から目的意識は強かったぞ? ファンを幸せにするアイドルになりたいんだ、って。最初の頃からしっかりと言っていた」
「あ、そうじゃなくて……悩んでるのはそこじゃなくてさ」
「え?」
「今でも、」

自分のことを……と言おうとして、心の内側に棘が刺さった。
砂利だと分かっていて口に入れても、飲み込めないのと同じこと。
ただ、思っていたより砂粒が大きかったから、変な引っかかり方をしてしまって、そうしたら机の向こうから怪訝な雰囲気が漂ってくる。
もういっそ目を見て話そうか。
それがいい。
少し横にズレて、彼の顔が目に入る位置に座り直す。
疑問符が顔面で踊っていた。
ぷっ、と加蓮は思わず吹き出した。

「あははっ、変な顔」
「いや変なのはお前だろ……今でもなんだよ、今でも」
「ねえPさん。Pさんって、これだけは許せないって思うことある?」
「しかもいきなりの話題転換かよ……許せないことかぁ?」
「Pさんは優しいから、あんまりないかな」
「いーやあるぞ。うちのアイドルを馬鹿にされた時」
「へえ」
「駆け出しの頃はそれで仕事をいくつも潰したな。社長にフォローしてもらって、毎度毎度、怒鳴られて」

その頃のことは加蓮も薄っすらと覚えている。社長室から怒鳴り声が聞こえる度に、大人って馬鹿だな、と呆れ返っていた。
……加蓮としてもあまり思い出したくない時期の話なので、あくまで薄っすらとした記憶だが。

「あれだけは今でも許せないな。まあ、さすがに仕事を潰したら説教どころじゃ済まないから、頑張って抑えこんではいるが」
「Pさんも大変なんだね」
「おう、大変だ。ちっとは労れ」
「やだ」
「……」
「ふふっ。……私ね、藍子のことで、どうしても許せない言葉があるんだ。そしてそれが、藍子の悩み」
「おう……おう? えっと、加蓮が許せなくて、藍子の悩み?」

顔に怒りマークがついたと思ったら、またクエスチョンマークに苛まれる。
ああもう見ていて面白いな――気付かれない程度の笑みを浮かべて笑う。
こうも素直に表情を見せるなんて。
自分よりいくつも年上の人が本音を隠すこともしないで。
……だからちょっとだけ、眩しい。

「『私はアイドルに向いてない』って奴」
「……ああ」

たまに言うな、と彼が続ける。
真意はまだ、汲み取っていないようで。
教えてやろう、って思ったら。
"やろう"って思ったら。

――心の底から、何かが煮えたぎってきた。

「馬鹿みたい。アイドルって向いているとか向いてないとかじゃないでしょ。そんなこと言うんだったら私なんてどうなるの? 体力ないし捻くれまくってるし歌がそこまでうまい訳でもない、ユニットはどこに入っても足を引っ張る、長期ロケは制約かかる。使い勝手は悪いしこれだっていうところもない。それでも私はアイドルだよ? ふざけないでほしいよね、向き不向きとかで悩むくらいならもっと別の、」

「加蓮!」
「っ」
「言っただろ。アイドルを馬鹿にされた時だけは許せない、って。……誰が言っても、それは同じだ」
「……そうだったね。ごめん」

唾の熱が上がっていく。
目を伏せて、彼もまたバツの悪い顔をして。
会話がなくなって。
時計の音が、かち、かち、と耳の奥を叩いて。
……なんだか懐かしいな、と加蓮は小さく微笑んだ。
こうして怒鳴りあうことなんて、もうずっとやっていない気がする。
こうして本音をぶつけるなんて、久しぶりすぎてやり方を忘れかけていた。
思い出話をしているからかな、と。
思ってみたけれど、でもまだアルバムをめくる年じゃないよね、って。
そこまで思考を巡らせたら。
脳裏に、あのウサミン星人が思い浮かんで、加蓮はつい、くすっ、と破顔してしまった。

「な、なんだよ」
「あははっ。乙女のヒミツっ」
「お、おう……その、悪いな、加蓮。つい」
「こっちこそごめんね……ふふっ。ごめん」
「で、藍子の話だったな」
「うん。藍子はああ見えてネガティブな子だから悩むのはいいよ。自分のこと自覚してるのもいいと思う。でも、言われると嫌だなって」
「あいつは最初の頃からあんな感じだよ」
「そうなの?」
「遅咲きの花だから、じっくり育ててほしい……って言われたことが、すげえ印象深い」
「遅咲きの花、か……。でも、咲こうとはしてるよね」
「ああ」
「私も、見守ってていいかな」
「むしろ俺からお願いしたいよ」
「ふふっ。頼まれちゃったら仕方ないね。私も、肥料の1つくらいはあげよっか。あげられるかな」
「加蓮ならできるよ。俺も出来る限りのことはやるが、やっぱその……難しいことってあるだろ」
「恋バナとか?」
「…………」
「私、藍子とならいいと思うんだ。Pさんと藍子と私」
「それはー、その、だな……お、お前も藍子も今が旬のアイドルだろうが! 変なこと言うんじゃない!」
「ふふっ。はーい」
「ったく。ちょっと気を抜いたらこうだ」
「だって私だもん」

本音の出し方を忘れてしまっても、笑い方は忘れない。
それと、からかいかたも。
あとは……大切なことを、口にする勇気も。
藍子も、こうやってできないことを選んでいるのかもしれない。
自分に悩んでいるのかもしれない。
その結果が、加蓮にとっては許しがたい言葉だけれど。
言葉を口にすることは許せないけど、悩むことは許してあげよう。
……少し上から目線かもしれないけれど、そこに立たないとできないこともあるから。

「ほ、ほら、レッスンでも何でも行ってこい!」
「残念。私、オフだから」
「いっつも自主練してるだろうがっ」
「あ、そうやって体力のない私をこき使うんだ」
「んなこと言ってねえよ!」
「菜々さんとの約束まであと30分かー。何して遊ぼっかな」
「それ絶対、俺で遊ぶ方法って意味だろ……」
「うん」
「せめて否定かなんかしろよ!」
「私、あんまり嘘ってつきたくないんだよね」
「自分のことひねくれ者とか言うならもうちょっとなんとかしろっての……」
「だってPさん、私のことが大切なんでしょ? 馬鹿にされたら許せないくらいに」
「だああ! さっきのはナシだ、ナシ!」
「あははっ」

時計の針は動いていく。誰が悩んでいても悩んでいなくても。
だったらせめて、前を向いていこう。
遅咲きでもいい。先駆けでもいい。
ここに自分が立っているってことを、強く強く意識して、今日もまたやっていこう。




掲載日:2015年6月5日

 

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