「まずはその色に慣れること」





――事務所までの道――
見慣れない景色に顔を上げたら、すぐに疲れてしまうから。
目を伏せて歩いていると、いつも通りの自分だと思えて、少し落ち着く。
でも、それじゃ駄目だと言われてしまった。

「おはよーっ、ほたるちゃん♪ 今日はすっごく寒いね〜!」

女子寮を出るが否や、明るい声に迎え入れられる。今日初めて、白菊ほたるは目線を上げた。
激しい車通の道を背景に、相葉夕美が大きく手を振っている。
ほたるが歩いて行くと、ぎゅ、と手を握られた。行こっか、と促され、ほたるは小さく頷く。

「昨日から急に寒くなったね。ほたるちゃん、風邪とか大丈夫かなっ。慣れるまで大変かもしれないけど体は大事にしないといけないよ? なんたって、アイドルだもんねっ」
「…………」
「あ、でもほたるちゃんは北海道に住んでたんだよね。ならこれくらいの寒さは平気なのかな?」
「…………」
「ねえねえ、どう? やっぱり北海道の方が寒い?」
「……あの……こっちも、少し寒いです」
「そっかー。こう寒いとお布団から出るのが大変だよね。ほたるちゃんはそんなことない?」
「私は……慣れていますから」
「うらやましいなーっ。花たちも寒そうにしてるし、今度のオフにいろいろ買って来なきゃいけないかも。ほたるちゃん、一緒に行かないっ?」

話を聞いているのは、ちょっと心地よい。勢いがありすぎて、ついていくのがやっとだけれど。

「私は……やめておきます」
「えーっ。行こうよーっ」
「……私が一緒にいたら、夕美さんに……」
「変なことなんて起きないよ。もし起きたらどうにかするっ。ね――うわっと!」

声をかぶせられるように、わんわん! と犬の鳴き声が響く。
すれ違った40代くらいの女性が、あらごめんなさいと申し訳無さそうに身を縮こまらせていた。
――そこまでは、ほたるのよく知る風景。
でも。
夕美が、いえいえ大丈夫ですっ、と笑う。かわいいわんちゃんですね〜、と(なおも吠えられてはいるが)しゃがみこんで犬と目を合わせると、いやいやうるさいばっかりですよ、と女性も朗らかに笑う。

「いえいえ〜♪ あははっ、びっくりしちゃった。あの人いつもここを散歩してるんだって。ほたるちゃんを迎えに行ったら、また会えるかな?」
「……す、すみません。私がいたから――」
「違うの、ほたるちゃん。ほたるちゃんがいたから、新しい楽しみが生まれたの。次にここを歩いたらまた会えるかな、って!」
「夕美さん……」
「さ、行こ? 早く行かないとPさんが心配しちゃうよっ。……まだ時間まで30分くらいあるけど、Pさんいろいろとうるさいから……」

また、目を伏せながら歩いて行く。
やがて夕美が「あちゃぁ」と困ったように言い、駆け出そうとした――けれどすぐに、ピタリと立ち止まる。
何が起きたのかよく分からなくて、ほたるはこわごわと顔を上げた。
あらゆる商売を一点に凝縮したような背景に、夕美の子どもっぽい笑顔が浮き上がる。

「横断歩道の信号が点滅しちゃったんだ。走ったら間に合うかなーって思ったけど、そんなに急いでないもんね。だから待つことにしちゃったっ」
「そう……だったんですか」
「うんっ。あ、もしかして急いでる? それならもうちょっと早く歩くけど……」
「……あまり急いだら、転んでしまうかもしれませんから……」
「そうだよねっ。じゃあ、ゆっくり待とう!」

夕美が近くのガードレールに軽く腰掛ける。それを待っていたかのように、交差点が東京の光景を演じ始める。
ぼんやりと目が背景へ移った。目が回りそうで思わず地面へと向けると、こらっ、と夕美に咎められてしまった。

「ほたるちゃん。そんな下ばっか向いてても面白くないよっ。せっかく東京に来たんだから色んな物を見ようよ!」
「……あの……でも、私には少し、賑やかすぎるみたいです。見ているだけで疲れてしまって……それに、何が起こるか分からなくて、恐いんです……!」
「うーん。それなら無理にとは言わないけど……じゃあ、1つずつだけでも! あのね、私もほたるちゃんを迎えに行くようになって初めて知ったんだけど、この道っていろんなお店があるんだ。例えばほら、あっちっ」

きっと夕美は何かの店を指差したのだろう。でも俯いているほたるにはそれが何なのか分からなかった。
やがて、む〜、と業を煮やしたように呻く声が聞こえ。
ぐい、と両頬に手を伸ばされ、前を向かされた。

「わ、わっ……」
「ほら、これで見える?」
「……夕美さんはいつも……強引すぎます。私、いつも何か起きないか不安になってるのに」
「何か起きたらどうにかするってば〜! それに、こうしないとほたるちゃん、ずーっと下を向いたままだもん。そのままじゃちょっとしか見えないよっ。アイドルになったら、たくさんのファンを見なきゃいけないんだよ?」
「…………」
「おっと。見なきゃいけないって言ったら悪く聞こえちゃうねっ。……って、でも大丈夫! 見なきゃいけないって思ってても、ステージに上がったら見るなって言われても見ちゃうくらいになるから!」
「…………」
「だから、今から練習っ。ほら、ほたるちゃん。何が見えるかな?」

信号が青に変わった。それでも、ほたるも夕美も歩こうとしない。
両頬に手を伸ばされたままのほたるに、行き交う人達が少し怪訝な目を向ける。
好奇の目を自覚した上で、それでもほたるは、一生懸命、見える物を――見せてくれている物を、頭の中で受け入れる。

「えっと……本屋、ですか?」
「うんっ。一昨日ほたるちゃんを迎えに行った時ね、少し早く着きそうだからつい寄っちゃったんだ。そしたら花の本がいっぱいあったの! 見たこともない図鑑みたいなものもあって、つい立ち読みしちゃって。気付いたら約束の時間になっちゃってたんだ! あの時はホントにびっくりしたよっ」
「…………」
「ほたるちゃんは何が好き? そうだ、今日の帰りに一緒に行こうよ! 私、ほたるちゃんが何を好きなのか気になるなぁ。教えてよっ。お返しに、花のことを教えてあげるから♪」
「……私は――」

何が嫌い、ならすぐに答えられる。自分自身だ。こんな自分なんて――どうして自分はこうなのか、いつも悩み続けてた。
何が好きなのかは――考えたことが、あまりない。
咄嗟に答えることができなかった。だから、「夕美さんの好きな物のお話を」と茶を濁そうとした。
その直前に。

「じゃあ探してみる? あのね、あの本屋、花の本以外にもいっぱいあるの。色の本とかアイドルの雑誌とか! 探してみたら何か見つかるんじゃないかな。ううんっ、探してみないと何にも見つからないよね」
「……探してみないと、なんにも……ですか?」
「うんうん! そうだ。本と言えば泰葉ちゃん! よくいろんな勉強してるし、誘ってみよっかな? 面白い本とか教えてもらえるかも。そして今日こそ花の本を渡して……ふふ、ふふふふふ……♪」
「ゆ、夕美さん?」
「あっ、ごめん。って信号もう変わっちゃってるじゃん! もーっ……この交差点、すぐ信号が変わるからいーけどー」

さっきまで笑っていたと思ったら、ぶすっと膨れだした。かと思えば今度は、如何にして岡崎泰葉にフラレているかをワガママな子どもっぽく語り出す(どうやら話を聞いてもらっているだけで興味を持たれていないらしい)。
耳を傾けているうちに信号が変わった。今度こそ行くよっ、と夕美がほたるの手を引っ張る。
つられるように歩き出した。
その間――ほたるはずっと、見慣れた白と灰ではなく、見たことのない風景を視界に入れていた。

「そんなに気になっちゃった? Pさんにはナイショで、ちょっと寄っちゃおっか♪」
「え……」
「ふふ、たまにはワガママ言ってもいいよね? ……って開いてないじゃん! なんで!?」
「…………」
「そっか、まだ8時かー。やっぱり帰りに寄ろうよ。ねっ?」
「…………」

横断歩道を渡り終えた辺りで、脳が疲労を訴えだした。
東京は冷たい街だとよくテレビで見ていたけれど、そんなことは全くない。ほたるにとっては彩度が強すぎるところばかりで、すぐに見慣れたアスファルトが恋しくなる。
まして隣で手を握ってくれる彼女のことなんて、色も光も眩しすぎて。
今のままでは、じっと見ることも難しそう。

それでも、ほたるは。

「……は、はいっ」

夕美の誘いに、かなり躊躇いながらも頷いた。

「おっ♪ じゃあ今日のレッスンが終わったら! 私の方がちょっと遅くなっちゃうかもしれないけど、大丈夫なら事務所で待っててね! たぶんPさんが……ぁー、Pさんがいるのかー……」
「…………?」
「どうしよ。泰葉ちゃん……に任せるのもいいけど、うーん……いっそあっちの誰かに頼んじゃおっかな、ってそれは絶対だめーっ。ううん、でも……」
「ゆ、夕美さん? プロデューサーさんなら……大丈夫ですよ」
「へっ?」
「私が1人でいるよりは……プロデューサーさんがいた方が、安心できますし……」
「そ、そなの?」
「あの人なら……私が不幸を起こしても、大丈夫かなって思えてしまって。……すみません」
「そっか。……うんっ、大丈夫大丈夫! じゃあ事務所で待っててね。私、終わったらすぐに行くから!」
「……はい」

小さな約束を結んで、事務所への道を歩いていく。
カラフルカラーの街はまだ慣れない。30秒も見ていたら、すぐに色褪せた世界に縋りたくなってしまう。
その度に夕美に膨れられてしまうけれど。
しまうから――叱られるのは嫌だから、ちょっとずつ。

前を向いて、歩いていきたいと思う。


掲載日:2015年11月25日

 

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