「今日をもってうちの子に」





- SIDE Karen -
街中で忍とすれ違った。
私は何も言わなかったし、忍も何も言わなかった。


取り返しのつかないことって実はそんなに多くない。特にアイドルになってからそう思うようになった。
失敗してしまったらまた次に頑張ればいい。大一番でミスしても、いつか挽回する時が来る。
厳密に言えば1度きりのチャンスに2度目なんてないけれど、別の機会でカバーすることはできる。
もちろんそれは、失敗してもいいという甘い考えの為の物じゃない。
取り返しがつくことだからまたやればいいという、心が折れない為の防衛思考と。
それはまだ取り返せるから向かい合え、失敗を失敗のまま終わらせるな、というプレッシャー。

『今日は家に帰ってくるように 母』

日陰でメールを確認して溜息をつく。
棘の道を傍観し目を背ける日々に、終止符を打たれた。
あの日。西日本ツアーでの私と忍の悪評を見てから、不思議と力が抜けていった。それならそれでいいや、という諦観の気持ちが身体に埋め込まれ、気力を削いでいった。
解決するべき出来事に、私はずっと白い目を向けていた。
だっていいじゃないか。私がいて、Pさんがいて、藍子と菜々さんがいる。私はアイドルを続けているし、誰かが追い詰められている訳でもない。
だからいいや、って。
目を背け、ずっと家に帰らないで、藍子や菜々さんの処にお世話になり続けていた。

「…………はー」

空を見上げて息を吐く。腹立たしいほど澄み渡った青空に、一粒だけの雲が漂っていた。無風の空間にふよふよと浮いているだけのそれが僅かに身動ぎし、太陽の隅にかかる。
私はまた歩き出した。家に帰るという行為がまるで裁判所への出廷のように思えてくる。罪を咎められる時が来た、そんな感覚が吐き気を催す。

「ただいまー……」

横開きの扉が、砂利を巻き込んで嫌な音を立てた。
家の中に入った瞬間、ぶわ、と涼しい空気が舞い込んできた。煮物の匂いが鼻先を掠める。藍子や菜々さんの家に入った時とはまったく違う匂いに、寝転がってくつろぎたくなる脱力感を覚える。
どたどたどた、と足音がした。
聞き慣れた音。
家族の音。

「お帰り、加蓮サン!」

ききーっ、と口でブレーキ音を再現しながら立ち止まった柚が、にぱっと笑った。
いつものパーカーにだぼっとしたズボン。見慣れた感じと懐かしい感じがごっちゃになって、瞬きをしてしまった。

「えっと……久しぶり! 元気してた? 藍子サンとか菜々サンの家に行ってたんだよね。アタシ寂しかったぞ〜!」
「…………」
「お詫びとして加蓮サンはアタシにお菓子を買うこと! それから、アタシの話をいっぱい聞く! 明日はオフだよね。アタシもオフなんだ! 喋りたいこといっぱいあるから1日空けててね。そしたら許すっ」
「…………」
「ママも心配してたぞっ。加蓮サンが迷惑かけてないかなって言うから大丈夫だってアタシが励ましてあげてたっ」

柚は、不安を隠すのがすごく上手い。本音を蓋で覆い被せて、そのうちなかったことにさえできる。
もっともそれで本当に消えてしまう訳ではない。それは、あの"爆発"を見た時から知っている。

「…………ただいま、柚」
「うんっ。おかえりなさい加蓮サン!」
「ごめんね、ずっと帰ってこなくて」
「許す!」

家族のやり取りが、すごく自然だった。つい、いやアンタはうちの子じゃないでしょ、って突っ込みたくなるくらい。
……そんな突っ込みを入れたら絶対に泣きそうな顔になるから、冗談でも言えないけど。

「ねね、加蓮サン。実はー、加蓮サンに見せたい物があるの!」

そう言って柚はポケットからくしゃくしゃの紙を取り出した。
受け取ると、意外と分厚いことに気がついた。分厚いというより大きな紙――Pさんが事務仕事によく使う大きさの物を何回も折りたたんでポケットに突っ込んでいたらしい。

「あのね、加蓮サン」

折り目もテキトーな紙を広げる。だいぶよれよれで分かりにくい。
堅苦しい書類だと思った。いくつかの項目があって、ボールペンのコピーで名前や住所が書き込まれている。最初に目に入ったのは、

「あの、その――こ、これからも、よろしくお願いしますっ!」

"北条柚"の文字――

普通養子縁組の手続書類。うちの住所とお母さんの名前、一度だけ柚から教えてもらった住所、「北条」と「喜多見」の判子。
それから、私と同じ苗字の、柚の名前。
思わず顔を上げた。柚が、いつものオレンジ色にちょっとだけ艶っぽい色を混ぜた笑顔で、私をじーっと見ていた。

「あ、あれっ? ……もしかして加蓮サン分かってない!? で、でも直接言うのは照れちゃうな〜。うーんっと、そのー……さ、察して! 加蓮サンならできるよ!」
「…………」
「あー! 分かってるでしょ! 加蓮サンその顔絶対どういうことか分かってるでしょ! なんで何も言わないの!?」

少しずつ、思考の流れが戻ってくる。手続き書類、苗字の違う柚、ってことはこれって――

「あら、お帰りなさい加蓮」

わー! わー! と騒ぎ立てる柚の後ろから、お母さんが現れた。
髪を結いエプロンをかけ、お玉片手にニコッと笑う姿が、少しだけ他人行儀っぽく見えて。
つい、仕事場でやるような会釈をした。

「あらあら、そんな人様の家の親に会った時みたいな格好をして」

お母さんの笑みが、ちょっとだけ濃くなる。

「加蓮ちゃんが不良ごっこをやっていた件は、あとでいっぱい問い詰めるとして。ふふ、加蓮ちゃん。今日を持ちまして、柚ちゃんはうちの子になりました♪」
「な、なりましたっ」

復唱する柚の顔に桃色が増す。柄にもなく緊張している姿に、口の中だけで笑いが漏れ落ちる。

「……そっか。養子の手続き、上手くいったんだ」
「そりゃもう大事な娘に頼まれたことですもの。張り切らない親がどこにいるのよ」
「お母さん……」
「その娘は柚ちゃんをほっぽり投げて遊び歩いてたみたいだけどねー?」
「…………ごめんなさい」
「ふふっ。後で事情は聞くけど、今は……ね? 柚ちゃんを迎えられたこと、お祝いしましょっ」
「加蓮サン加蓮サン! あのね、今日パーティーをしてくれるって!」
「パーティー……かぁ。そっか。じゃあ、いっぱいお祝いしなきゃ」
「うんっ!」
「……大変じゃなかった? お母さん。あのクソみたいな……あー、えっと、ややこしそうな家に行って手続きを協力してもらうって……」
「だから、大事な娘に頼まれたことなのよ? 大変なことの100個や200個くらい」
「そんなにはないだろーが……」
「普通養子縁組だから、柚ちゃんが向こうの家族に籍を入れたままなんだけどね。とりあえず、もう関わってくるなと約束はさせたわよ」
「……すごっ」
「加蓮ちゃんに褒められちゃったっ♪」
「やったねママ! それよりほらほら、加蓮サン加蓮サン。行こ!」

ぐいぐいと柚が引っ張ってくる。靴をほとんど脱ぎ散らかしながらリビングへと連れていかれる。そこでは既にライトグリーンのテーブルマットにお皿とコップが並べられていた。
ふきこぼれそうになっている鍋に、ぐぅ、とお腹が鳴った。

「あははっ!」

柚に笑われたので蹴っ飛ばしておいた。
なんだかここが、懐かしい感じ。
長旅から帰って来たような、そんな気持ちが。

「あの、加蓮サン」

跳ね起きた柚が、くいくい、と服の裾をつまんでくる。

「アタシ……その、これからもいっぱい迷惑かけちゃうけど、あのねっ……その、よ、よろしくね!」
「……」
「……ねっ?」
「……ううん。こっちこそ。私は柚が考えている以上に面倒くさいよ〜?」
「ホントホント、我が娘ながら面倒極まりないわね♪」
「そこはちょっとは否定するところでしょお母さん」
「ほら、もう面倒くさい♪」
「…………もー……」
「あははっ、でも、加蓮サン優しいから大丈夫! アタシにもいっぱい相談とかしてね。一緒に考えてあげるっ。めんどくさくてもいいよ! それでも加蓮サンは加蓮サンだ♪」
「柚……うん、ありがと」

よかったわね、と1つ笑いを見せて、お母さんが煮物をよそっていく。
柚の分は大盛り。私の分には、私の好きなお肉をいっぱいに。
ふわっとした湯気を見ていたら、急にお腹がすいてきた。
ダイニングテーブルの私の席に座る。今日もパパいないんだってーと柚がちょっぴり唇を膨らませていた。ママがいるから楽しいけど! と続けて言う。
ママ、パパ。そのアクセントがちょっと変わっている。それもまた、うちの子になったって証拠なのだろう。

……うちの子か。
これで柚は、うちの子だ。うちの子になったんだ。
ってことは、妹……なんだ。血は繋がってないけど、妹。
……すごく変な感じだ。
でも、ちょっと嬉しかった。
関係は書類上の物だけかもしれないけれど、これで柚はもう他人じゃない。私と違う場所に立っているからって、遠慮なんてする必要も、もう――

「…………」
「……加蓮サン?」

別のコンロに火が点いた。完成間近で止めていた野菜炒めが、空腹へと強烈なダメージを与えてくる。

「ね、加蓮サン。あのねっ……その……えとっ! Pサンと、あと忍チャンが言ってたんだ。加蓮サンが……アタシ達のこと、避けてるって」
「…………」
「言われて、あーそっかーそうかも! って気付いたんだ。加蓮サンとは一緒に住んでて事務所も同じだけど、忍チャン達とはぜんぜん違うところにいる気がして。だからなのかなー、って」
「…………」


「あのね。その……うぁー! やっぱりアタシ、上手く言うのは無理!」

柚が勢いよく席を立つ。私の茶碗をひったくって、白ご飯を大盛りによそって帰ってくる。
はい、加蓮サンの分! そういって叩きつけて、勢いのまま続ける。

「でもね! アタシも忍チャンも絶対、加蓮サンのこと邪魔なんて思ってないから!」

視界の左端から、お母さんの視線を感じる。ちゃんとしなさい、と叱責されているような視線を。

「そんで、遠慮なんていらないよっ。アタシ達のとこに加蓮サンいてもぜんぜんヘンじゃないしっ……ほら! 加蓮サンと藍子サンと菜々サンとこにアタシがいることだってあるんだし! そういう時だって、加蓮サン、邪魔なんてとんでもないって言ってくれた!」

私の中にできていた何かが、すうっと消えていく。

「だからねっ。加蓮サン、もっとアタシに近づいてほしいな。……ううんっ! 加蓮サンが離れちゃうならアタシから近づいてやるっ。加蓮サンからこっち来るの照れちゃうなら、アタシから行くね!」

膝の上に乗せていた握りこぶしが、ゆっくりと握られた。私の力が抜けるまで、よしよし、と撫でられる。

「えと、だから、つまり……明日は一緒だけど、明後日からはちゃんと帰ってくることーっ。2階の部屋はアタシと加蓮サンの部屋だもん、アタシ1人で使ってても面白くないから! ……ねっ!」
「…………柚」
「ふふ。お母さんの言いたいこと、ぜんぶ柚が言っちゃったっ♪」
「お母さんまで……。……うん、分かった。明後日からは、ちゃんと帰ってくるね」
「うんっ」

例え。
私の側に柚や忍がいなくても、私はアイドルを続けていられる。
繰り返しの日々はいつも通りに続いていた。
向かい合わなくてもいい。合理的に考えるのが賢いなんて盲信して、ずっと目を背けていた。

「柚。……ごめんね」
「謝らなくていいのっ。でも、ちょっぴり近づいてほしくて……ううん、アタシの方から迎えに行く! それだけでいいんだからっ」
「そっか……ううん、私のことだ。私から近づかなきゃ!」
「へへっ、それでこそ加蓮サンだよ! でも頑張るのは明日からにして今日はお祝いパーティー! 加蓮サンも喜んでくれるといいな♪」
「うんっ。せっかくだし、思いっきりはしゃいじゃおっか! お母さん、ご飯まだー!? あ、そうだ、どうせならジュースも出しちゃお!」
「いいねいいね。今日はいいでしょー、ね、ママっ」
「しょうがないわねー。今日だけよ? ふふっ」

うるさいくらいに騒いで、疲れるくらいに笑おう。蓋をするよりは、その方が楽しいに決まっている。

「ジュースジュース♪ 加蓮サンは何がいい? オレンジ? グレープ?」
「じゃあ……私はグレープでっ」

そう言うと柚はどっちのジュースも取り出して食卓に置いた。
アタシも飲む! って、満面の笑みで言ってくれた。
じゃ、一緒に飲もっか。
そう返すと、柚はすごく嬉しそうに、うんっ! って頷いた。


掲載日:2015年10月20日

 

第188話「  と女子の関係」へ 第190話「まずは無事にここに来ること」へ

二次創作ページトップへ戻る

サイトトップに戻る

inserted by FC2 system