「アンラッキー・ノット・アンハッピー」
――LIVE会場――
プロデューサーは駆け出しアイドルのファン第一号とよく言う。 その観点においては、アホP(以下「P」)は誰よりも彼女の「ファン」だった。 「いえー! いえー! いえー! いえー! Foooooooooolower――――っ!!」 最前列で橙色と緑色のサイリウムを振り回し人目を憚らず声を張り上げる。彼はプロデューサーでありながらまごうことなきドルヲタだった。 周囲の熱心なファンですら少し引き気味で、舞台のアイドル、相葉夕美などは明らかに頬を引きつらせていた(じっくり見てギリギリ分かる程度に、ではあるが)。 傍らには、数歩引いた少女の姿。 けれど、喪服の如き黒い服の少女が引いているのは、Pの奇行によるものではない。 「ふうっ。……ん? どうしたんだほたるちゃん。ほらほら、もっと前へ前へ!」 「わ、わっ……で、でも、私がこんなところにいたら、何か不幸が起きて……LIVEが……」 「最前列なんてなかなか取れないんだぞー? ファン時代には徹夜に徹夜を重ねスタッフにつまみ出されたこともあったくらい、それくらい熾烈な争いなんだ」 「それは……すごい、ですね……?」 「せっかくなんだ、もっと前で見ようぜ!」 グイグイと押しつつ、夕美の歌が2番に差し掛かるとまた怒涛のコールを入れ始める。とうとう周囲のファンも流されやけっぱちのように絶叫。舞台上の夕美の表情が少し変化した。ハウリングしないギリギリの音量までボーカルのボリュームを引き上げ、結果、まるで怒鳴り合うようなLIVEになる。 冬の大地に生まれた熱が客席の後ろの方まで広がっていき、興奮が伝播して―― そんな中でも、白菊ほたるはずっと困ったように夕美とPとを交互に見ていた。 「いえー! いえー! いえー! いえー!」 もうPはほたるの話を聞いていない。それなのにほたるが後ろに下がろうとすると目敏く気付いて背を押す。 そんなやり取りを繰り返し、ほたるは諦めることにした。嘆息し、せめてLIVEが壊れてしまう出来事が起きませんようにと実体のない何かに祈って、改めて夕美へと注目を向ける。 声のせいで体力が喰われているのか、サビに入ると目に見えて汗が飛び散るようになり始めた。 それが――どうしようもなく―― 「…………♪ …………♪」 「おっ、乗ってきたな! 分かってるじゃないかほたるちゃん。ここはコールを入れるんじゃない、みんなで踊るんだ!」 軽く足踏みをし身体を上下に揺らす程度の、意識せずとも観客が入れられる動作。客席の息が整ってきたのを見て夕美がにっこり微笑み、繊細で綺麗なダンスを魅せ始める。 指先の動きがポイントなんだよ、とは本人の弁。細かな動作でイメージをがらっと変えていた。さっきまでが情熱的な赤色なら、今はシック系の紫色。同じ花でも色が違えば印象を変えるように。 『百花繚乱♪ もしもたった一時(いっとき)でも あなたの夢を見てみたい♪ きっととってもすてきだから!』 そして最後のサビへ。今日はあいにくの空模様なのに、舞台の上には太陽に照らされた大輪が咲き誇っていた。 Pと、その周囲の熱心なファンがもはや怒号と表現するべき声援を響かせる。夕美の笑顔がやや獰猛な物へと変わっていき、気付けばまた、アイドルとファンが張り合うようなLIVEに変化していた。 それは、白菊ほたるがいつか目指し。 そして、行き着くことができなかった領域。 「みんな、ありがと〜〜〜〜〜〜っ!」 歌が終わる。ワアアアアアアアアア――――っ!!! と魂の叫びが、華をさらに綺麗にする。 大きく手を振って応えていた夕美が、ふとほたると目を合わせた。 無自覚のうちに小さく、ぱちぱちぱち……と拍手をしていたほたるに。 夕美はにっこり笑って、よかった、と口だけの動きで口にした。 □ ■ □ ■ □ 「ふうーっ! まったく、夕美ったら疲れさせるぜ。どうせ疲れさせるならもっと別の場所で……例えばそう、もうちょっと遅い時間にー?」 「…………?」 「……オーケー、冗談が通じないのってキツイんだな。うん俺知ってるよ。うん、似た顔をする子がもう1人いるんだ、うん……」 なぜか1人でテンションを上げテンションを落とすPを、ほたるはぼんやりと見ていた。 ――彼が何を求めているかは分かる。けれど。 楽しいからこそ、自分は……。 「…………」 「どうだほたるちゃん。アイドルやってみようって気持ち、ちょっとくらい生まれたか?」 「……嫌……です。前に、言った通りです。私はもう、誰も不幸にしたくなくて……不幸になる人を見たくなくて……」 「…………」 「私がいたら、また……夕美さんも、あなたも、不幸になってしまうから」 だからいいです、と。 ほたるは頭を振る。 「ううむ。なあほたるちゃん」 「……はい」 「ほたるちゃんには"周りの人が不幸になるから"やりたくないって理由があるよな。でもさ、俺の"やりたい"理由なんてないんだ」 「……やりたい、理由……?」 歓声が少し落ち着き、夕美がマイクを握り直す。 声援を期待するような話をしたと思ったらちょっと笑えてしまう話に、かと思えばアイドル仲間との話を出してジンとさせたりと。 心をコロコロと動かすようなトークが、向こうの世界みたいだった。 「俺なー、昔から好きな物をゴリ推しするのが好きでさ。これいいぞ! あれいいぞ! って。ほらたまにいるだろ? 自分の好きな話ばっかりしてウザがられるヤツ」 「……どうなんでしょうか……?」 「んでプロデューサーとしても同じなの。ほたるちゃんをスカウトしたのも、ほたるちゃんをアイドルとして売り出したいだけ」 「でも、私は――」 「なんだけどな。なんでそんなことをしたいかって聞かれたら、ないんだよ、なんにも」 「……理由が、ないってことですか……?」 「うん、ない。やりたいからやるだけ。でも俺思うんだ。それに何の遠慮がいるのかって」 MCパートに入って1分。その間に客席に4回ものリアクションを取らせた夕美が、こくんと頷く。 手をさっと振って、仕切り直しの合図。じゃあ次の歌に行くね、と雰囲気の指揮を取る。 流されていないのは、Pとほたるだけ。 「それだけだっ」 「……え? あの……それだけ……?」 「おう、それだけだよ。あー、あれなんだよなぁ。ほたるちゃんの"やりたくない理由"には勝てないんだ、俺」 「…………」 「それで遠慮なんてしないけどな。アイドルとして売り出したい、ってのが俺のやりたいことで……夕美のやりたいことがたぶん、アイドルの楽しさを伝えたいってところだな」 「…………」 「どっちも理由なんてねえよ? 夕美さ、想像ついてるかもしれないけど花が大好きで俺にもよく色々教えてくれんだけど、なんで教えてるかって理由なんてたぶんないだろーし。やりたいからやってる、俺も夕美もそれだけだ」 たぶんなー……と小声で付け加えられた様に、ほたるは少し考える。 やりたくない理由ばかり見せている自分と、やりたい理由を探そうともしないP。 何か。何か、言葉にできない物を受け取ったような、そんな感じが―― 「……ん? あれ、っかしーな、次の歌が始まらんぞ?」 少し、考えこんでいたからだろうか。異変に気がつくまで時間がかかった。 はっと顔を上げた時、Pが変な顔をして首を傾げ、周りの客もざわめいていた。 ――あれ、どうしたんだ? ――始まらねえぞ? ――どうしたのー? ――なんだなんだ? ――――――――"またお前のせいか" 「ぁ……あ…………」 「ん? ほたるちゃん?」 「私が……こんなところにいるから……やっぱり、不幸な出来事が……」 「…………」 「やっぱり私……こんなところにいるべきじゃないんです……。もっと隅の、日陰だけで……誰かの不幸を見るくらいなら、それでいいんです……。私…………!」 相葉夕美というアイドルのLIVEが楽しかった。 Pというプロデューサーの考えに心が揺れ動いた。 そんな自分への罰だと思ってしまった。 不幸だと知っていたのに、望んでしまったから。 心の奥底にある始まりの気持ちを、取り出そうとしたから。 「……はは……ははは…………はははは……!」 ――笑っていた。 Pが、気付かれない程度に、けれどはっきりと笑っていた。 「あ、あの……!?」 「はは、俺をナメるなよ。パターン68まで考えなきゃ改善策が思いつかなくったってな、それまでのが無駄になる訳じゃないんだ」 「……??」 よく分からないことを言った後に彼は、指で数字の「3」を作る。何かのジェスチャー。でも何の……? 疑問は顔を上げた瞬間に解決した。夕美が、うん、と唇をぎゅっと結んで頷いていた。 遅れてほたるは気付いた。明らかに何かトラブルが起きているのに、夕美は全く動揺していない。 ――あれだけのLIVEをする人だから、多少のことでは……? 「……てすてす……こちらPです。はい、事前に渡しておいた予備の音源に切り替えてください。こっちで繋ぎます。音響が直ったら連絡お願いします。直る見込みが無い時も――はい」 Pが懐から何かを取り出し何かを言っていた。無骨な黒い塊。無線機だった。 指示を飛ばした彼はさっきまで誰にも気付かれない高笑いをしていたとは思えない真剣な表情で、夕美をじっと見る。 つい、眼へと目がいった。 あれほど自信満々だった彼が。 "できないこと"にすら胸を張っていた彼が、初めて瞳の奥で感情を揺らしていた。 口が小刻みに動いている。大丈夫大丈夫夕美なら大丈夫だ大丈夫―― 「……あー、ごほんっ♪」 その気持ちに応えるように夕美が動き出す。客席の戸惑いが不満へと変わる寸前に、可愛らしい咳払いを1つして。 うーん、と悩む仕草。 外野から、声援が飛んだ。「がんばれー!」「大丈夫だー!」「がんばれー!」「ファイトー!」。応援の波が広がっていく。夕美が、ありがとっ、と返した。歌の時と同じ、アイドルとファンのユニゾンが、緊張を和らげていく。 やがて夕美が口を開いた。アカペラで奏でられるのは、どこかで聞いたような歌。 ――あさのひかりに ゆれている…… ――エルムのこずえ 風の歌…… 「『ぼくらの胸に 鳴りひびく……♪』……ふふっ。『市民の歌』、相葉夕美verでした。ずっとこの土地にいるみなさんみたいに上手くは歌えないかもしれないけど、恩返しの気持ちをこめてっ♪」 イタズラ完了。そんな顔の夕美へと、しめやかな拍手が送られる。 「次に歌う歌ね、私がアイドルになって初めて歌った歌なんだ。それと、ここで初めてLIVEした時のことを思い出して……つい歌っちゃった。いい歌だねっ。 まだ準備はできないかな? じゃあ、次はここにいるみなさんと一緒にっ――あれ? あ、あははっ、準備できちゃったみたい! じゃあ、次のLIVEの最初では、みんなで合唱しませんか? ……ふふっ、拍手ありがとっ! 次のお楽しみができたね。私も、またここに来ることが楽しみになっちゃったよっ♪ でも今日は、私の歌を聞いてください。私の初めての歌を――」 観客と、おそらく必死になってトラブルを解決しようとしていたスタッフへと、夕美が一礼する。 「…………すごい……」 「はーっ、よかっ――な! アイドルってすごいだろ? なっ!」 「……プロデューサーさんの方が、ほっとしてます」 「うっせいやい。それはそれとしてさ。見ろよ。誰も"不幸"にはならなかったぜ」 「…………え?」 物静かなピアノ調が流れ出す。夕美が息を吸い歌い始めるその寸前。不幸、という使い慣れた言葉が、まるで今初めて聞いたかのようで。 言葉を噛み締め、ほたるは目を伏せた。 「……でも……音響のトラブルが……。きっと、私が――」 「違う違う。ほたるちゃん。それは"不運"だ」 「……不運……?」 「不運。不幸じゃない。生きていれば不運もアンラッキーもトラブルもハプニングも起きるかもしれない。起きやすいかもしれない。でも、それは不幸じゃないんだよ」 「…………」 「ほたるちゃんが前にプロダクションに所属していたって聞いてさ。勝手で悪いけど調べさせてもらった」 「!」 Pが少しだけ声を落とす。左耳を済ませて聞こうとする間に、右耳から夕美の歌声が流れ込んできた。 文字の1つ1つがはっきりと思い描ける、丁寧な声。綺麗な抑揚だとほたるは思った。じっと聞いていたいけれど、でも、今は。 Pとの話。 「前にLIVEやってないか調べてみたらいくつか見つかったからさ。どういうトラブルがあるか確認してみたんだ」 「…………」 「いやあ、あん時はやっと光明が見えたって感じだったな! なにせ考えても考えてもキリが無かったんだし――」 ――回想 数日前の事務所―― 『いいか夕美。ほたるちゃんの言う"不幸"は思い込みでもオーバーな言い方でもない。これが最前提だ』 『どういうこと?』 『初対面でいきなり人を氷漬けにする奴が思い込みであってたまるか!』 『あ、あはは、感情篭ってるね……』 『ほたるちゃんの"不幸"は本物かもしれない。間違いがあるとすれば、そして修正できる場所があるとすれば、それは不幸であって不幸ではないということだ』 『何のライトノベルを読んだのかな?』 『夕美さん夕美さん、人の思考パターンを読むのやめよ? ……といってもこれこそ誇張表現じゃないんだよ。ほたるちゃんの言う"不幸"は、"不幸"ではなく"不運"だ』 『不運……不幸とは何が違うの?』 『アンラッキーとアンハッピーの違いだ。例えばだ。初対面の時、俺はほたるちゃんと出会うことで氷漬けになった。たまたま俺の真上から水が降ってきた為だ。これは不運だ。だがその後、俺は華麗に復活した。ほたるちゃんは、自分の不幸に遭ってこんな笑っている人なんていないと言っていた。少なくとも、その瞬間のほたるちゃんは不幸ではなかったし、俺も不幸ではなかった』 『うーん、いまいちピンと来ないけど……要は、運が悪いからといって不幸せとは限らないってこと?』 『さすが夕美! 俺の、』 『真面目なお話なんだから真面目にお話してね?』 『ごめんなさい。えー、ほら、ピンチはチャンスって言うだろ? まーあれも月並みな言葉でしかねえけど一番近いのがそれだ。そうと分かれば対策ができる』 『そっか、ほたるちゃんの不運を不幸じゃなくせばいいんだねっ』 『ああ……だけどな、これが難しいんだ。どうシミュレーションしてもなんか俺が土の下に埋まったり天の彼方へ飛ばされたりする』 『それはPさんの妄想のせいなんじゃ……?』 『シミュレーションをいくら重ねても無駄だったんだが、さっき夕美のお陰で閃いたんだよ。ほたるちゃんは前に事務所に所属していた。ということは、当時の記録か記憶が残っているかもしれない!』 『ってことは?』 『ほたるちゃんの"不運"はある程度まで想定できる。あとは、それに対応した対策を練ることができれば――』 ――回想終了―― 「新生シミュレーションその3。"LIVE中ないしMCパート後に急に音響が死ぬ"。対策・予備の音源を用意しそれすらも殺されたならどうにかアカペラで歌う歌を演出込みで魅せる。……夕美にはかなり無茶させたが、お陰でうまくいったよ」 「……私の不幸を……想定して……!?」 「っと、ちょっと話しすぎたな。後のことは後でやろう。今はほら、夕美の歌を聞こうぜ」 あ、この歌はコールなしな、とPは言い残し、3秒後には頬を紅潮させ目を細め別の世界へと旅立っていった。 サビの高温域をブレずに、それでいてしっとりと歌い上げる夕美をじいっと見ていることから、担当アイドルに夢中になっているのだろう。 プロデューサーでありながら、誰よりもファン。 誰よりも、やりたいことをやっている人。 「…………」 ほたるも、舞台上の夕美を見た。 歌がすごく上手い……だけではない。歌を、物にしている。 音響トラブルがあった時もそう。彼女は唐突に『市民の歌』を歌い上げ、次のお楽しみができたと言っていた――あれは、演技のようにも台本のようにも見えなかった。 きっと彼女も、やりたいようにやっているのだ。 「……すごい…………」 「ああ……さすが俺の嫁だ」 「……え……!?」 「あ、すまん、ついいつものクセで。さすが俺のアイドルだって言いたかったんだ、うん」 「……本当、ですね……」 やがて、迷いと理由から解放された3分間が終わる。 「――ありがとうございましたっ。また次のLIVEでお会いしましょう!」 ぺこり、と頭を下げた夕美に、ぺこり、とほたるは反射的に同じ動作を取っていた。 そして、2人とも全く同じタイミングで顔を上げ、目が合って―― 夕美が笑った。 ほたるがどんな顔をしていたのかは本人にも定かではない。ただ少なくとも、笑っていなかったことはないと思う。 □ ■ □ ■ □ 「おし片付け終わり! 夕美、お疲れ様! ほたるちゃんもありがとな!」 「ふう〜っ。つっかれたぁ! Pさんこそお疲れ様。ほっぺた大丈夫? 血は……止まってるみたいだけど」 「こんなん唾かけときゃすぐに――唾! 夕美、」 「…………」スッ 「ごめんなさいそのグーをパーに戻してくださいほら見ろほたるちゃんがあわあわしてるぞ急なお前の豹変にあわあわしてるぞ」 「もうっ。だったらちょっとは大人しくしてくださいっ」 既に日は暮れていた。三々五々と散っていくスタッフの足取りも少し重たい。けれど、笑顔でない者は1人もいなかった。 「ごめんなさい……私の不幸のせいで、いろいろなトラブルが――」 「だからな、ほたるちゃん。これは不幸じゃなくて不運だ。新生シミュ5、会場のテントが急に崩れだす・対策は変な音を立てているテントは早急に片付けどうしようもない時はその場に屈んで負傷を避ける。新生シミュ14、スタッフが病気もしくは用事で急に消える・対策は俺が百人力になる」 「いろんなことがあったよね。でも誰も不幸じゃなかったよ。みんな楽しそうだった。ねっ、ほたるちゃんっ」 「…………はい……そう、みたいです」 でも、とほたるは指をこすり合わせる。 「でも……私がいたから、みなさんに苦労を……」 「アイドルに苦労させられてこそプロデューサーだろ!」 「うんうんっ。大丈夫、それと同じくらいこっちも苦労させられるからっ!」 「……夕美? 笑顔でそういうこと言うなよ。俺がいつ夕美に苦労させたって言うんだまったく」 「ちょっと昨日と一昨日と3日前と4日前と5日前の会話を思い出してみよっかPさん」 「…………」 ――堪えない。 何があっても何度謝っても、彼らはずっと笑っていた。 まるで――理由を探している自分が、間抜けのように見えるくらいに。 「さて、寒くなってきたしホテルに戻るか! ……なあなあ夕美、今の響きちょっとエr」 「Pさん?」ニコッ 「すみませんでした」 「はーっ。放っとくとすぐこうなんだから。ごめんねほたるちゃん。そういえば客席でずっと一緒にいたんだよね。変なことされなかった? 言われなかった?」 「い、いえっ……あの、勇気づけられることとか、いっぱい聞かせてもらいました」 「そ、そうなんだ……あのさPさん。前にも言ったと思うけど私に対する扱い酷すぎない? 泰葉ちゃんにもけっこう優しいよねPさんって」 「いやそれはあれだ、その、夕美だからだ」 「……喜んでいいのかなぁ、これ」 ごーん、と鐘の音がなる。それが引き金だったかのように、そうだ、とPが手を叩いた。 「忘れるところだったぞ。俺はほたるちゃんをスカウトしにここまで来たんだ!」 「忘れてたの!?」 「いやぁまあいろいろあったからね? 夕美だってお前、舞台に上がってからはスカウトのこと忘れてただろ」 「うーん……スカウトのことは最初から考えてなかったよ。私はただ、ほたるちゃんに楽しんでもらいたいって気持ちだけだったから!」 「私に……」 「あ、もちろん他のファンのみんなにもだよ。でもね……先週のLIVEでほたるちゃんに伝えられなかったこと、私だって悔しかったもん。Pさんほどじゃないけど、私もほたるちゃんがアイドル仲間になったらいいなぁって思ってるし」 「……アイドル仲間……」 「ほたるちゃん」 Pが、そして夕美が、真っ直ぐほたるを見る。 「前に行ったよな。周りの人を不幸にさせるからアイドルはできない、やりたくない、って。さあ俺は証明したぞ。例え何があっても誰も不幸になんてならない」 「…………」 「客として楽しむだけでいいって言ったけど、あれは本当か? 今なら誰かに遠慮することなんてない。不幸だから邪魔なんて言う奴はここにはいない」 「ほたるちゃんっ。私はアイドルになって、みんなに楽しんでもらいたいんだ。Pさんは、好きになった人をアイドルにしたいって思ってる。――ほたるちゃんのやりたいことを言ってみて?」 「私の、やりたいこと……」 「…………」 「…………」 「私は――」 最初の頃。 まだ、自分に絶望していなかった頃。 何を思っていただろう。 何を、願っていただろう―― 「私……誰も、不幸にしたくなくて……」 「うんっ」 「……いえ……違います。私は……みんなを、幸せにしたいんです。最初にアイドルをやっていた頃だって……きっと、そう思っていた……」 「うんうんっ」 「私は、不幸せを知っているから……不幸せなことがどれほど悲しいことか、知っているから……誰にも不幸になってほしくない、幸せであってほしいんです。もし、アイドルでそれができるなら――」 「できるさ!」 「あの……実は、それだけではなくて……」 「お、まだあるのか。俺のやりたいこと一覧と数勝負したらどっちが勝つかな」 「そ、そんなすごいものじゃないんですけれど……その、レッスンがやりたいです。頑張ることが、好きなんです。……それだけです」 「分かる分かる! レッスンって楽しいよね。自分が上手くなるのが楽しいって気持ち、私もあるなっ」 「それと――」 「「それと?」」 「と……トップアイドルに、なりたいです! 不幸に負けない自分になって、いっぱいの人を幸せに、してっ……!」 こぼれだした想いは、手元から離れていく。留めておかないと、という抑制から離れて、ひとりでに動いていく。 それこそが本音なのだと、ほたるは涙を流しながら気付いた。 ぽん、と頭の上に2つの手が重ねられた。ゴツゴツとした頑丈な手と、温かく愛でる気持ちの篭った手。 「そっかっ……ずっと閉じ込めてたんだね、その気持ち」 「いいじゃないか。そんだけあればすぐにアイドルになれるさ!」 「……私でも、アイドルになれるのでしょうか。こんな不幸な私でも……」 「なれるかなれないかじゃない、俺がしたいんだ。俺がほたるちゃん――ほたるを、プロデュースしたいんだ!」 「Pさん最後に台無しだよっ! ……でもっ、実は私も! ほたるちゃんと一緒にアイドル活動をしてみたいんだ。ねえPさん、ユニットとかどう? ふふっ、すごくワクワクしてきちゃった!」 「夕美こそ自分がやりたいだけじゃねえか!」 「Pさんには言われたくないよ♪」 「…………」 「まーそのあれだ。俺らいっつもこうやって自分がやりたいことばっかなんだ。ほたるちゃ……ほたるも、アイドルがやりたいならアイドルをやればいい。不幸はぜんぶ俺が不運止まりに変えてみせるから! あ、ついでに夕美もやってくれるってさ」 「え、ちょっと私も巻き込むの!?」 「何を言うか。今日だって夕美の素晴らしいアドリブがなければ不運が不幸となって終わっていたかもしれないじゃないか」 「そんなこと言われてもっ……っていうかいきなり褒められたらびっくりしちゃうよ!? どういう魂胆!?」 「ばっかお前――そうだなー、では頬に擦り傷を負ってしまったので、」 「そろそろぶってもいいかなぁ!? ほたるちゃんにも慣れてもらわないと困るし!」 「待て待て俺が夕美にゲンコツを食らったりビンタを食らったりするのがまるで当たり前みたいに言うのやめろよ。ほたるが誤解するだろ?」 「え? 違うの?」 「違いません! ご褒美です!」 「次言ったらホントにぶつよ!?」 ――笑い声がした。 お、とPが止まる。あ♪ と夕美が弾んだ声を出す。 誰が笑ったのか、最初、気付かなかった。 ワンテンポして、自分が無意識のうちに頬を緩めていたと気付いて―― 「――あの、プロデューサーさん、夕美さん」 流れ出た本音が、ほたるの元へと戻っていく。 もう誰も抑止されない。手の中で大切に包まれて、心の外側へと流れこんで。 「私、頑張りますので……その、頑張りますので!!」 言葉になる。自分へと、応える。 ――11月15日。プロダクションに「白菊ほたる」が加入 |
掲載日:2015年11月15日