「儀礼的な儀式」
いつも思う。もうちょっとやり方はない物かと。もうちょっと上手くできない物かと。
――北条加蓮の部屋(夕方)―― 「ええっと……加蓮サン?」 部屋の中央、ベッドの前に転がっている柚がとても困った顔で私を見上げていた。 私はそれを見下ろして薄っすらと笑っているばかり。 「あ、あのぉ……エト……あ、アタシなんかした?」 柚は細いリボンで後手を、私の上着で足を拘束されていた。 寝袋状態でただひたすらに目を泳がせる柚。ただただ見下ろして(罪悪感から滲み出る)笑顔を浮かべる私。 どう見ても誘拐現場のワンシーンだ。 誰か来たらどう言い訳すればいいだろう。それを考えて自分のあまりの無様さに余計に笑みが濃くなって、ひっ、と柚に悲鳴を上げさせてしまった。 「できれば……あの、できれば、ね? これ、ほどいてほしいなぁ、って……」 相変わらず、後で謝れば許してもらえるだろうという、甘っちょろくて自分勝手な考え方。 私は藍子の1件から何も反省していないのだろうか。 ……1分前の私へ。 話の途中で逃げられたくないからって、また部屋を破壊されるのが嫌だったからって。 もう少し何かやりかたはなかったのでしょうか。 ――回想―― 『柚ー、ちょっとこっちに来て』 『ン? どしたの加蓮サ――わぷっ』 『ぎゅー』 『い、いきなり何!? 不意打ちなんて柚照れちゃっ』 『はい後手で縛ります』 『……あ、アレ?』 『次に足を縛ります』 『…………??』 ――回想終了―― 「えーっと……こ、こんなことしても家族が悲しむだけだぞーっ」 演技力レッスンとでも思ったのだろう。柚が息を吸わずに頑張って声を上げる。白々しいセリフと切羽詰まった声色はまさに名演技だけれど、これたぶん7割くらい本音が入ってるよね? 「あ、アタシも悲しむぞーっ」 「……誘拐した犯人が誘拐された被害者に悲しまれるって、なんか変な感じだよね」 「え、これホントに誘拐なのっ!? 柚をどこに連れて行く気だーっ」 あ、誤解させちゃった。 「いくら加蓮サンでも抵抗するもんっ。ぐぬぬ、ぐぬぬ〜」 「…………あー、柚。あのね、その、なんていうか……ちょっと聞いて欲しいことがあって」 「懺悔タイムだっ」 「違うわよ」 ベッドの淵に座ると、くねりくねりと柚がイモムシみたく動いてこっちを向いた。 「あのね……。別に誘拐とか拉致とかしたくて柚を縛り上げたんじゃなくて、ただ私は、」 「あーっ、ダメだよ加蓮サンっネタバレはダメ! こういうのは最後まで楽しみにとっとかないとっ」 「……前々から思ってたけどアンタ相当アホの子よね」 「な、なにおう。アタシはこう見えてもできる子だっ」 「はいはい。少しだけ真面目な話をさせて」 「うー……うん」 私が柚の立場なら訳が分からないばっかりだろうけれど、柚は少しだけ悩んだ後に静かに頷いてくれた。 言葉を選ぶ。頭の中で。少し、気分が悪くなった。拳銃の引き金を引く人はこんな気持ちなのだろうか。 振り払って、唾を撒き散らす勢いを躊躇わないで。 「アンタの家から電話が来た」 「――――――!?」 顔が、真っ青になった。 え、と空気が漏れる。次の句は告げられない。 ダムの堰を斬っても水の音が聞こえない、そんな不気味さが漂う。 勢いがついた舌を歯でおしとめながら、次弾を装填していく。 「……お母さんがね、アンタのお母さんから電話があったって言ってた」 「やだ」 「うちに柚がいるかって聞かれたから適当にはぐらかして、そしたらガチャ切りされたんだって」 「やだ!」 「それでさ、私、考え――」 「やだ!! やだ、やめて加蓮さん! 言わないで!」 「たんだけど、アンタ」 「やめて」 「さ、正直逃げ続ける」 「黙って」 「のもどうかと思うんだよね、もう」 「黙って!」 「十分に回復したし、前を向く強さも得た。だから」 「黙れ!」 「そろそろ自分の問題と向い合いなさい!!」 「――――っ!!」 猛獣の目が、見開かれる。動物園の檻の前にいる気分だった。 相手が噛み付いてこないと知っているからいくらでも挑発できる場所。でも、檻は老朽化していて、猛獣が一気に噛み破れる状態だった。 「柚――柚、前に私に言ったよね。私に進む方向を教えてくれって。進むべき道を決めてくれって」 それでも言葉を重ねていた私は、馬鹿みたいだったかもしれない。 「最初からずっと、それだけはしないって決めてた。私はただ、柚が道を見つけられたらいいなって思ってただけだから」 でも逆に考えてみよう。例えば檻が破壊されたとする。そうしたら、猛獣は外に出ることができる。 「もしね。柚が何も見つけたくない、ずっと止まっていたいって言うなら……想像するだけでゾッとするけど、私は賛成してた」 もしかしたら猛獣は人と仲良くなりたいって思っているかもしれない。檻を噛み破った次に、私に噛みつくんじゃなくて私にじゃれついてくるかもしれない。それを私が知っていたら、恐怖を振り払ってでもやりたいと私は思う。 「でもアンタは見つけたいって言った。何もないなら何かを見つければいい、って私の提案に思いっきり頷いた」 ――なんて、そんなものはただの建前だ。 「逃げてばっかでいてほしくないな、柚。たまには逃げてもいい。たまには休んでもいい。でもいつか、向かい合う物とは向かい合わなきゃ」 本当はただ、こうして勇気を奮い立たせられればなんだってよかった。 私の想いが柚に届けば、なんだってよかった。 いつも思う。もっと上手にやることはできないのかと。後で死ぬほど悔やむ以外の方法は取れない物かと。 「…………やだ……」 「柚」 「やだっ! あんなとこ……やだ。あたしやだ。帰らないよ。会うのもやだ。あたしの家族なんて誰もあたしなんて見てないんだ。目がこっち向いてないんだ。加蓮さんならあたしを見てくれる。ママだってそうだ。みんなだってそうだ。あんなとこに帰りたくなんてない!」 「…………」 「いいじゃん……。楽しいことだけでいいじゃん。悲しいことなんて辛いことなんて苦しいことなんてなんにもなくていいじゃん!」 「…………」 「あたしの家はここなんだよ。あたしずっと怖かったんだ加蓮さんに出てけって言われることが。でも加蓮さんずっとあたしに優しくしてくれた。それじゃだめなの!?」 「…………」 「それじゃ……だめ、なの……?」 いつか柚が私に言ったことがある。 アイドルをやる時に、嫌な過去をぜんぶ使わなければならないのか、と。 私は別にどうとも思わない。 私は使うけれど、柚は使わない。私はアイドルで、柚もアイドルだ。 だから柚の言うことが正しい。楽しいことだけでいい、それで結構。 でも。 「じゃあなおさらだ。アンタいつまでビクビクして過ごしてるのよ。もう終わらせようよ」 「……どういうこと?」 「柚。正直、私もずっと気になってたんだ。いつ柚が克服してしまうかって」 「克服……?」 「アンタの家族のこと。見られてないなら見られるまで頑張ろう、なんて、」 ――まるで、昔の私みたいに 「言い出したら、ここから出てっちゃうでしょ? それが怖かった」 「…………」 「今だってちょっと怖いよ。柚、強いもんね。いつも前を向いてていつも明るくて……だからさ、スパっと片付けちゃおうよ」 「……分かんない。あたし、加蓮さんが何言ってるか」 「前の家に戻りたくないならお別れしてきなさい。さようなら、って」 「…………!」 柚の顔色がまた別の物に変わった。何もないなら何かを見つければいい、と私が提案した時に似た反応だった。 「今の柚は私の、私達の家の"お客さん"だ。ホテルに宿泊している人みたいにね。だからもし、柚がずっとここにいたいって言うんだったら……前の家に、別れを言ってこようよ」 「別れを……」 「うん。もやもやを抱えてもストレスになるばっかりだしさ。今回は電話で終わったけど次は何を言われるか分かんない。柚は正直――」 アイドルはお金になる。金のなる木になる。手元に確保しておいて損はない。だから柚の実親が柚を取り返しに来る可能性は十分にある。 ……なんて考えは、思いついた先からゴミ箱に捨てていった。 人間価値が分かるからこそ、人間価値を物差しにはしたくない。 「とにかくさ。だから私は、アンタの問題と向き合って欲しい。道を見つけて欲しいっていうなら私からの答えはこれだよ」 「…………」 「もちろん嫌ならいい。仮にほったらかしにして柚の実親が直接乗り込んで来てもなんとかしてみせる。私1人じゃなくて、頼れる物ぜんぶを頼ってね」 「…………」 「でもさ、モヤモヤのまま放置しておくの、好きじゃなくってさ……」 っと。ここでストップだ。ここから先は、私のワガママになってしまう。 しばし項垂れていた柚は、何かをぶつぶつとつぶやいていた。たまに顔を上げて私を見て、たまに顔を上げて窓の外を見る。 酷い頭痛に苦しむような顔が痛々しかった。今すぐに抱きしめてこれまでの話をすべてなかったことにしたいと思った。 ……そうだ。柚をうちに迎え入れるならお母さんに頼んで養子の手続きをしてもらうだけでいい。何も前の家族とどうこうする必要はない。手続きで何か引っかかるなら私達でぜんぶやってあげればいい。柚を苦しめる必要がどこにある? これまでずっと心を痛め続けていた子を蹴るようなマネをしてどうなる? 「分かった」 ぐるぐると、血液が固まってあらぬ方向へ超高速で流れるような気持ち悪さの中、芯の通った声が響いた。 「分かった。アタシ、やってみる」 柚が起き上がっていた。縛り上げたままだったのに、器用に身体を動かし私をまっすぐ見ていた。 私を。 あの力強い目で、大丈夫だと確信している目で。 「ほったらかし、よくないよね。Pサンが言ってた。ケンカはいいけど、ケンカしたら謝りなさいって。それって、ほったらかしにしてたらダメだってことだよね」 「……うん」 「それに、逃げてばっかじゃ加蓮サンに笑われちゃいそうっ」 「いや笑いはしないけど……」 「ううん。加蓮サンに笑われそうだってアタシが思って、それをアタシが嘲笑うんだ。でも大丈夫。アタシを見てくれる人がいたら、アタシはなんだってできる!」 言い切った柚の唇は、まだ少しだけ震えている。 心配性が芽を出して、話をご破産にしたくなったけれど……ううん、何を言っているんだ私。傷ついてもやらなければならないことがあるって決めたの、私だ。 だいたい、柚がこうして決断しているのに私が横槍を入れていたら、それこそ柚に笑われてしまう。 立ち上がって、手足の拘束を解いてあげた――途端に飛びかかられた。 「わっ」 ベッドの上に押し倒されて、柚の爛々とした笑顔が眼前に迫る。 「あー……もしかして私、ヤバイ感じ?」 「ふっふっふー」 「……お、お手柔らかに」 「えいっ」 柚が覆いかぶさる。私の肩上のところに顔を埋めて、両手を私の後ろ首に回して、それから。 「…………やってみるっ」 たった一言だった。 抱きしめられたことで、体温が低下していることが分かった。唇どころか全身が小刻みにガクガクいる。 でも柚の声は、すうっと私の耳へと入っていった。太い芯が通っている。顔を見なくても、大丈夫だって分かる。 「うん。やってみよう」 大丈夫だと言う人の背は、心配するんじゃなくて、押してあげたいから。 |
掲載日:2015年10月20日
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