「ヒール・スタンスは胃が痛い」





――事務所の仕事部屋――
安部菜々はかつて、道明寺歌鈴がドジを乗り越え見事なLIVEをやり果たした裏での北条加蓮の尽力を「加蓮だからこそできたこと」と称したことがある。
歌鈴は誰が見ても認めるいわゆる"ドジっ娘"で、事務所のみんなは優しいから彼女をつい甘やかしてしまう――だが加蓮はそんな歌鈴に敢えてキツくあたり、歌鈴の反発心を原動力へと繋げてみせた。
あれは加蓮だからこそできたことだと菜々は思っている。やり方の是非はともかく1つの結果ではあった。

今。
こうして自分がその時の加蓮の立場になってみて、さらに評価し直さなければならないようだ。

これは、想像以上にキツイ。

「…………ぶす〜」
「あ、あの、藍子ちゃん? そろそろ膨れっ面をやめてくださるとナナ助かるんですけどぉ〜……」

ミーティングが終わった後のこと。
ソファに座る藍子は、菜々が差し出したお茶に手をつけようともせず、ずっと頬を膨らませていた。
元来、人に怒ることが苦手な藍子だし、ゆるっとした垂れ目が少し細まったところで別に威圧感も何もないのだが。
胃が痛い。

「ぶす〜」
「ほ、ほら、ナナお手製のウサミン茶ですよ? 実は地元名産のですね、いえ千葉ではなく! ウサミン星の!」
「ぶす〜」
「あ! お菓子、お茶菓子ですね! これはナナとしたことが気が利かなくて! 何が食べたいですかね藍子ちゃん。なんでも言ってくださいっ!」
「ぶす〜」
「…………う、うぅっ……Pさんヘルプ! ヘルプですよ!」

何食わぬ顔で仕事席にてキーボードを叩いていたPは、ん? と顔を上げた。

「まあ加蓮も加蓮でアレだったんだけどな。今回のは菜々の自業自得だ。受け入れろ」
「うわ〜んPさんが冷たい〜! だいたい何も思わないんですかPさんは! 今、まさにPさんが面倒を見ているアイドルユニットが分裂しちゃってるんですけどぉ!」
「え? それで解散したりするお前らじゃないだろ?」
「信頼が胸に痛いっ!」
「…………胸…………」
「こっちでは地雷が炸裂してるぅ〜!」

右から胃痛の種、左から胃痛の種。地球にてヘルプ電波を発するウサミン星人だったが誰も救援には駆けつけてくれなかった。

「……単に加蓮も菜々も意地を張ってるだけなんだろ? 俺が介入してもどうせややこしいことにしかならねえよ」
「随分と察しがいいですねぇ! いつもの加蓮ちゃんや藍子ちゃんに振り回されてるPさんはいずこへ!?」
「だってだいたいの顛末は加蓮から聞いてるし。あと手は出すなって言われた。私達の問題だからってさ。俺は仕事を持ってきてくれるだけでいいって……ちっくしょ、アイドルになったばっかの頃のねーねーPさんって頼りにしてくれる加蓮はどこ行ったんだよ、ちっくしょ」
「あ、これPさん蚊帳の外でイジケてるヤツだ」
「そんな訳で、この件に関して俺はノータッチだ。もちろん相談には乗るしヤバイと思ったら横槍は入れるけど」

手を肩の高さまで持って行き首を振るP。
なんとも複雑な気持ちだった――Pの介入を防ぐということは、加蓮にはそれだけ自力での解決意志があるということで、さらに言えば課題と向き合う覚悟は完了していることでもある。それは菜々にとって嬉しいことではあるのだが、だがそれ以前の問題として。

「じゃあPさん。ナナが胃痛に困っているので助けてください」
「ん? 胃腸薬でも持ってこようか?」
「違うー!」

両手を挙げて喚いていると、藍子がゆっくりと立ち上がった。
どこかへ行くのかと思いきや、少し落ち着かない様子で辺りを見渡した後、すとん、とソファに座り直した。
そしてまた、

「ぶす〜〜〜……」

と、菜々を睨む。
怖くない、むしろ可愛いけれど、帰りたい。ウサミン星に帰りたい。

「あああぅぅぅ……あ、藍子ちゃん、そんな目でナナを見ないでくださいよ〜……。ええ分かってます、分かってますとも。ナナもちょおっと言い過ぎたっていうか、その、藍子ちゃんの大好きな加蓮ちゃんを傷つけた自覚はありますけどぉ〜」
「…………私、そこまで言わなくていいって言いました」
「うぐ」
「なのに菜々さん、それを全力で振り払いました」
「うぐぐ」
「加蓮ちゃん、ショックを受けてたから……ほっといていい訳ないのに、菜々さん、私をズルズルと外に連れてっちゃいました」
「ぐぐっ」
「……菜々さんのばか」
「うあああああもおおおお〜〜〜〜!!! 加蓮ちゃんこれにどうやって耐えたって言うんですか〜! かむばーっく加蓮ちゃーん!」
「いや菜々、加蓮に1人で考えろって言ったのお前、」
「分かっとるわー!」

ぐしゃぐしゃぐしゃー! と頭を掻き毟る。どうにもならないのでそのままどかっとソファに座った。少しずれて埃が舞ったが知ったことではない。

「加蓮と菜々じゃ少し立場が違うと思うぞ? 加蓮はほら、相手が歌鈴――ユニットの仲間でも何でもなかったからその気になれば距離を置けたけど、菜々は……ほら、な?」
「そういう問題じゃないんですよぉ……」

ソファに思いっきり体重を預ける。
正直なところ、この板挟みな状況は菜々には耐え難かった――宵越しの喧嘩、ではないが、後腐れする言い合いほど嫌いな物はない。菜々は永遠の17歳なのだ。大人のごとくドロドロとした世界とは無縁でいたいのだ。
スパっと言うところは言う。例え引っかき傷を負ってでも1日で終わらせる。
そうありたかったのにご覧の有様だ。ストレスでどうにかなってしまいそうだった。

「は〜…………でもね、藍子ちゃん」
「?」
「ナナは……そのぉ、確かにやり過ぎちゃいましたよ? 怒鳴ったことは、まあ、ちょおーっとばかり大人気なかったっていうか……その、ね?」
「…………ぶす〜」
「最後まで聞いてくださいよぅ……。それでも、あれはぜんぶナナの本心なんです。加蓮ちゃんはきっと」

あの年頃の子は難しいからですねぇ、と、他人事と身内事を混ぜたような言葉を挟んで。

「やっぱり、誰かに叱られるべきだったんですよ。加蓮ちゃんの行いがってことじゃなくて……他が目に入らなくなる一生懸命さは、長所にも短所にもなりえますからね。身内で済む方がまだマシと言いますか……。Pさんは加蓮ちゃんに甘いばっかりで役に立ちませんし」
「お、俺だって言う時には言うぞ? 最初の頃なんてナメた態度ばっかりだからこうビシっと言ってやってだな」
「最初の頃のことなんてナナ知りませんしー。……Pさんが頼りにならなかったら、周りにいる大人って後はナナだけじゃないですか」

永遠の17歳。
加蓮も藍子も、真相の数字を知っている。
けれど菜々は彼女らの前ですら17歳を演じていた。1度転がり落ちると、底の底まで甘えてしまいそうで。
17歳を名乗っている理由も、忘れてしまいそうだから。
ある意味では不器用な菜々だけれど、けれど大人として立ち振る舞うことくらいなら、やってできないことはない。

「はぁ〜〜〜〜っ…………うまくいきませんねぇ、こういうの」
「……菜々」
「はぁい、なんですかPさん?」
「いや。……加蓮が叱られるべきだったかどうかは俺には分からない。ただ、加蓮と接してるとどうしても甘くなってしまうってのは自覚してる」
「ほぉほぉ」
「こういうことはあっていいと思うんだ。ずっと前に加蓮が言ってたよ。藍子と菜々のこと。喧嘩できる関係だって」

いたずらっぽく笑いながらな、とPが付け加える。

「俺、さっき介入しないって言ったじゃん。加蓮に頼まれたからってのもあるけど……別にいいと思うんだ。思いっきり喧嘩して、意見をぶつかり合わせて。そういうことができるくらいの方が風通しもいいって言うし……あー、だからな、つまり……」
「……つまり?」
「あんまりため息つくなよウサミン。お前は間違っちゃいない。幸せとウサミン星人が逃げちまうぞ?」
「…………」

はは、と菜々は笑った。
思いつめていたつもりはないけれど、言われてみれば確かに、腹の中の息を吐いてばかりだったかもしれない。

「……ありがとうございますPさん! さっすがPさんですね! いつでもナナの最高のパートナーですよ!」
「お、おう? いきなり言われると照れるなオイ。なんだ? ヨイショしても弄るのはやめないぞ?」
「それはやめてくれると大助かりなんですがねえ! ……ヨシッ!」

思いっきり立ち上がった。藍子が少し驚いていた。
大きく息を吸って、大きく飛び上がる。つけていないウサミミが揺れたようなイメージが広がった。
体の中に溜まっていたわだかまりが飛び散って、代わりに燃え滾るようなエネルギーが湧いて上がってくる。
……それでも、フルパワーにはちょっと足りないけど。

「そうですね! 何も今生の別れじゃないですし、加蓮ちゃんだってきっと分かってくれる筈です!」
「加蓮は敏いヤツだから、菜々の考えだって汲みとってくれるさ」
「ですよね! ですよね! 加蓮ちゃんずる賢いですもんね!」
「あの、そこはせめて賢いって言ってあげてください……」
「おっと。ここは大人として加蓮ちゃんのお手本とならなければ!」
「おいウサミン星人。敢えてツッコミ入れなかったがそろそろ自分の年齢を自覚しような?」
「チッチッチ。甘いですよPさん! ナナはこの件に関しては、加蓮ちゃんが戻ってくるまでずっと2X歳として立ち振る舞うことを決めてますからね! さながらユニットの保護者ですよ!」
「お、おう……」

軽く引いている担当プロデューサーは視界に入れないようにし(願わくば解決後にネタで弄られませんようにと祈りつつ)、ぐい、と手を天井へと伸ばす。
全身の凝りが引いていくような快感に、頬が緩んだ。

「――藍子ちゃん。事が解決したら死ぬほど謝ります。ただ今は……もし藍子ちゃんが本当に加蓮ちゃんのことを好きでいるなら、今は黙って見守ってあげてください」
「…………」
「よく藍子ちゃんは、加蓮ちゃんがお疲れなことを心配してるようですが……若いうちは苦しむことも必要だと思います。なーに、加蓮ちゃんならナナが用意したハードルの1つや2つくらい簡単に飛び越えてきますよ!」
「…………」
「……それに。ナナは不器用なんです。藍子ちゃんの望むような方法を取れなかったことは、本当にごめんなさい。だから……その、できれば前みたいに温かい笑顔を向けてくれると……高望みですねハイ! せめてその胃がキリキリする顔だけはやめていただけると〜〜〜!」
「…………ふぅ」

無言を貫いていた藍子が、小さく息を吐いた。それから、微かな笑みを見せる。

「菜々さん」
「は、はいっ! なんでしょう!」
「私、怒ってるんですからね」
「わかっています! わかっていますとも!」
「怒るの苦手ですけれど、今回はホントに怒ってるんですから」
「疑ってなんてないですよ!? むしろ身を持って体感してますっ!」
「……怒ってるんですから」

藍子ちゃあああん! と情けない悲鳴が響いた。
取り付く島もないとはまさにこのことだった。

でも。

「……後で、私にじゃなくて加蓮ちゃんに謝ってください。それで終わりにしちゃいましょう」
「え――」
「そうしたらまた、私たち、楽しくアイドルをやれますよね。ううんっ、アイドルだけじゃなくて……遊んだり、食べたり……いろんなところに行ったり」
「藍子ちゃん……!」
「私、加蓮ちゃんが戻ってきたら、また加蓮ちゃんの家に行きたいです。みんなで写真を見て、喧嘩する前のことを思い出して……そうしたら、またいっぱい幸せな気持ちになれると思うから……」
「ううっ……!!」
「あっ、でも、これじゃ成長してないことになるのかな……? ふふっ、その時は、また新しい写真を撮ればいいですよね! Pさんも、一緒に映ってください。そうしたらきっと加蓮ちゃんも喜びますっ」
「ああ」

微かな笑みが、いつもの笑顔へと変わっていく。
ちょっと前までの目と表情を思い出し菜々は思わず泣きそうになった。
そうだ。これが高森藍子という少女なのだ――
思わず……藍子がそんな女の子だから放ったらかしにしていた加蓮にブチ切れたことを思い出し、また良からぬ感情が浮かびそうになったけれど、そこはぐっと我慢する。
菜々だって伊達に年は重ねていない。感情的に怒鳴るなんて、後にも先にもあの時限りでいい。

「ふいーっ。ナナ、これで心置きなく加蓮ちゃんを待つことができそうですよ」
「…………ぶす〜」
「あ、あれ!? 藍子ちゃん!? またですか!?」
「菜々さん。ホントに反省していますか?」
「してますしてます! やり過ぎたことはホントに反省してますから〜〜〜!」

……もう少し、大人として苦労してしまいそうだけれど。
16歳の女の子との接し方に。


掲載日:2015年10月5日

 

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