「引き裂かれていないところ」





――北条加蓮の家・台所(夜)――
北条加蓮「ただいまー…………」

昨日は事務所に寝泊まりして、今日は1日仕事だった。
でも全く身に入らなかった。
Pさんに何度も心配されるくらいに、ぼうっとしてた。

『加蓮ちゃん。あなたにとって藍子ちゃんがどういう存在なのか――どういう風に思っているのか、よく考えなおしてみてください』

菜々さんの言葉が何度もリフレインする。その度にあの冷えきった目を思い出して、骨から体温がなくなっていく。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、気を抜くと泣きそうになって。
体を糸で操るようにして帰宅したら。

加蓮の母「あら、お帰りなさい加蓮」
喜多見柚「加蓮サンだ! おかえりっ」

柚がいた。
お母さんの隣でフライパンを握っていた。
…………あれ?

加蓮「…………??」
柚「加蓮サン加蓮サン! ……あ、料理してるんだったアタシ」
母「ふふ、いいわよ柚ちゃん。加蓮に言いたいこと、いっぱいあるんでしょ?」
柚「やったっ。ママ優しい! あのねあのね加蓮サン! アタシできたよ、仲直り! ちゃんとごめんなさいって言った!」
柚「ち……ちょっぴり泣いちゃったけど、写真撮ってないよね? ……ね? 撮ってないって言って!」
柚「昨日は忍チャンの部屋でね、ずっとおしゃべりしてたんだ! すごい時間まで起きてて、Pサンに怒られちゃったっ」
柚「それでそれで、次にみんながオフの時におかえりなさいパーティーをしてくれるんだって! 来週の金曜日、学校が終わってから! 加蓮サンも来てっ」
加蓮「……ちょ、ちょっと待って……柚? え、柚?」
柚「? うん。アタシは柚だよ?」
加蓮「アンタ……なんでここにいるの?」

だって柚の問題はもう解決した。ほとんど覗き見みたいな感じだけれど、フリルドスクエアのみんなが「お帰りなさい♪」と言ってくれてるところを私は確かに見た。だからもう、都合の良い世界に閉じこもる必要はどこにも――

柚「えっ」
加蓮「……え?」
柚「……あ、えっと、あはは、加蓮サン厳しいっ。もっとゆるーくなってもいいと思うなっアタシは!」
加蓮「…………」
柚「…………あたし、やっぱり邪魔?」

ことん、と皿が置かれる音がした。こーら、とお母さんが温かいジト目という奇妙な視線を向けてきていた。

母「加蓮ちゃん。嫌なことがあったからって、柚ちゃんに八つ当たりしちゃ駄目でしょ?」
加蓮「そんなんじゃなくて……だって柚、フリルドスクエアのみんなと和解したんだよね……?」
柚「う、うん。みんな許してくれた」
加蓮「じゃあもう、柚の問題は解決してて……ここにいる必要なんてなくて……」
母「もう、全くこの子は」

お母さんがご飯を運んでくる。おでんの匂いがする大鍋と、柚が作ったっぽい野菜炒め。

母「はい、いただきます。加蓮ちゃんも、柚ちゃんも」
加蓮「いただきます……」
柚「い、いただきます」
母「……うんっ、我ながら会心の出来ね♪ さて。柚ちゃん?」
柚「は、はいっ」
母「柚ちゃんはずっとここにいていいんだからね? お父さんも、素直な娘ができたみたいで嬉しいって言っていたわよ?」チラッ
柚「…………」
加蓮「……どーしてそこで私を見る?」
母「さあ、どうしてかしらね。それで加蓮。急にどうしたのよ。柚ちゃんのこと、嫌いになっちゃった?」
柚「!」ビクッ
加蓮「違う、違うって……。ただ、柚がここにいるのって他に居場所がなくて回復しないといけなかったからで、もう居場所も取り戻したんだし回復もしたんだからここにいるのはおかし――」
母「じゃあ加蓮。例えば柚ちゃんがここから出て行くとして、柚ちゃんはどこに帰るのかしら?」
加蓮「え? そりゃ当然、柚の家――」

あ。

母「気付いたかしら? 私は柚ちゃんの……フリルド、スクエア? ってグループのことはよく知らないけれど、みんなが許してくれて、またアイドルができるようになっても、家の問題はぜんぜん解決してないでしょ?」
柚「…………」

そうだ。お母さんの言う通りだ。
ここに来た時の柚は問題を2つ抱えていた。何もない自分へのコンプレックスというアイドルの問題、そして誰も自分を見てくれないという家族の問題。
おかーさん、とすんなり言えなかった柚に、呼び方を変えてみたら? と言ったのは他ならない私だ。
アイドルの問題は……完全に解決したかは別として、ひとまず前向きになったし、柚はこれからもアイドルを続けていけるだろう。
でも、家族の問題は――

加蓮「あー…………ぅあー………………柚ー」
柚「…………なに?」
加蓮「ごめん、私ちょっと勘違いしてた……。ほんっとごめん。柚はずっとここにいていいよ」
柚「ほんと……?」
加蓮「ホントホント。っていうか……今は……」

むしろ……柚にいてほしい、というか。

柚「?? 分かんないけど……アタシ、ここにいていいの……?」
加蓮「うん。ほんとごめん。私の勘違い……」
柚「一緒にご飯を食べてていいの?」
母「いいのよ。柚ちゃんがいなくなったらママ寂しいわぁ。だって残ってるのはひねくれてばっかりの可愛くない娘だけだし♪」
加蓮「……アンタはいちいち私をディスらないと気が済まないか」
柚「一緒に寝てもいいの?」
加蓮「どっかのお節介が勝手にダブルベッドを買いやがったからね……あれ、明らかに私の部屋には大きすぎるんだけど」
母「あら、それはシングルベッドでぎゅーってしながら寝るのが気持ちよかったってお話?」ニヤニヤ
加蓮「違う!」
柚「…………えと……いいん、だよね?」
加蓮「いいってば……もう。ホントにごめんっ。ってか、うん、私も、柚にはずっとここにいて欲しいな」
母「あれ〜? 加蓮ちゃん、さっきは『なんでここにいるの?』とか言ってたのに〜?」ニヤニヤ
加蓮「お母さんはちょっと黙ってて!」
柚「……じゃあ、ここにいる!」

いただきまーす! と、柚は大きな音が立つくらいに両手を合わせた。
……もう1度だけゴメンと言って、私も箸を持つ。
なんか、自分の中でドロドロと何かが濁っていた。
何やってるんだろう、私。

母「全く、加蓮ちゃんってば。犬猫じゃないんだから、拾ってポイっは酷いでしょ?」
加蓮「はぁい……」モグモグ
柚「どゆこと? 前にも加蓮サンに似たこと言われたけどよく分かんなかったっ」
母「そうねえ。例えば柚ちゃん。ここに大きなクッキーがあるとします。隣の友達が半分かじって、もういらないからあげるって強引に渡されたらどう思うかしら?」
柚「やった! って思うっ。あっ、ちゃんとお礼は言うよ。ありがと、って!」
母「え、あ、そう? そっかー、柚ちゃんは偉いわねー」
柚「へへっ♪」
母「ええと……あ、そうだ。じゃあ、ママが柚ちゃんと料理をしていたとします」
柚「今日みたいに?」
母「そうそう。それで、ママが急に出かけたら柚ちゃん困るでしょう? 食材とか鍋の火とか、ぜんぶ放ったらかしにして」
柚「ううんっ。ママが戻ってくるまでにアタシで頑張るっ。あ、あんまりうまくできないけど、その時は許してね?」
母「…………柚ちゃんはいい子ねー」
柚「へへっ♪」
母「つ、つまりね? 始めたことは最後までやりなさいってことで……」
柚「??」

困ってる困ってる。ほっといてやろ。

母「……分かったかしら? 加蓮」
加蓮「わたしにはおかあさんがなにいってんのかぜんぜんわかんないなー」
母「うわぁ、我が娘ながら……」

それがいつもの私の心情だ。思い知れ。

母「ハァ……。柚ちゃん。おでん、しっかり味が染みこんでる?」
柚「へ? うんっ、すっごく美味しい! でも明日になったら味が変わるんだよね」
母「ええ。もっと美味しくなるわよ」
柚「楽しみだ! ……あ。この変な形のダイコン、アタシが切ったやつだ」
柚「加蓮サン! あーんっ」スッ
加蓮「あーん……」モグモグ
加蓮「……私はいつの間に失敗作処理係になったのよ」
母「だって加蓮ちゃん、失敗しても私がどうにかするっていつも言うから」
柚「加蓮サン、アタシを許してくれるから大好きっ♪」
加蓮「……はいはい。じゃあ鍋から柚がミスったっぽいの探してやろ」
柚「えー!? 照れるっ」

……色々とアレだけど、まあ……いっか。
この時間が続いてほしいって思ったのは事実なんだし。
嬉しいって思う私がいるんだし。
……今はちょっと、ドロドロの方が大きいけどさー……。

柚「ごちそーさま! アタシ加蓮サンの部屋にいるね! 忍チャンにメッセージ返さなきゃ!」
柚「あとで一緒にお風呂入ろうね、加蓮サン!」
加蓮「はいはい。あんまり汚さないでよ?」
柚「だいじょーぶ! ママ、今日も美味しかったっ」タタッ
母「ふふ、どういたしまして」

お皿を流しに片付けて、柚は私の部屋へと駆けていった。
残ったのは、不敵な笑顔の母親と、ひねくれ者の娘。

母「あらあら。柚ちゃんも一緒に作ったのにね」
加蓮「……だね」
母「柚ちゃんは元気になったかもしれないけれど、あんまり傷つけること言っちゃ駄目よ?」
加蓮「私が悪かったってば……」
母「ふふ」

さてと、とお母さんは箸を置いた。
まだそんなに食べていないのに――と思っていたら、身を乗り出してきて。
笑みを、引っ込めて。

母「加蓮」
加蓮「んー?」
母「何かあったの?」
加蓮「…………んー」
母「どうして分かるのかって、誰だって分かるわよ。仕事ってだけメールして1日帰ってこなかった挙句、あんな顔で台所に入ってくるんだもの。ほらほら、ママ――じゃなくて、お母さんに話してすっきりしちゃいなさい?」
加蓮「…………」
母「そんな顔じゃ、考えられる物も考えられないわよ?」
加蓮「……ちょっとね」

藍子と菜々さんのことを話した。
元々、2人がここに遊びに、あるいは泊まりに来たこともある。
名前を出したらすぐに、ああ、あの2人ね、とピンと来た顔をしてくれた。
私がずっと藍子のことを放ったらかしにしていて、菜々さんに叱られたこと。
拒絶されたこと。
話し終えた時、お母さんは「ふふっ」と笑った。

加蓮「…………え?」
母「あはは、ごめんね加蓮。加蓮は昔からずっとそうだなって」
加蓮「私、そんなに人に冷たく――」
母「そうじゃなくて。1つのことに集中したら他のことなーんにも見えなくなっちゃうとこ。いつもは変なことばっかり気付く癖に」
加蓮「うっさいな……」
母「そっかー。大喧嘩しちゃったか。まるで柚ちゃんみたいね」
加蓮「柚?」
柚「アタシがどうかした?」ヒョコッ
母「あら」

いつの間にか柚が戻ってきていた。私が話している間には、いなかった筈だけど。

柚「忍チャンとお話してたらね、加蓮サンに一言だけって言うから来ちゃった! それでそれで、アタシの話?」
母「どうかしらね。加蓮ちゃんが、柚ちゃんに似てるってお話」
柚「ホントっ!? それ加蓮サンもよく言う!」
加蓮「……」
柚「あれ? 加蓮サン、どよーんってしてる。帰って来た時より暗いよ? 何かあったの?」
母「……ね? 柚ちゃんだって気付いてる」
加蓮「…………」
柚「……あーっ! い、いくらママでも加蓮サンをいじめちゃダメ!」
母「えー?」
加蓮「で、柚……忍がどうしたって?」
柚「そうそう! はいこれ。忍チャンからのメッセージですっ」

スマホを私に手渡して、ママーお皿洗うーとキッチンの方へ行ってしまう柚。
まだ言いたいことはいくつかあったけれど、ひとまず私は忍から来たらしいメッセージを読むことにした。

工藤忍『藍子ちゃんと菜々さんとのこと聞いたよ。加蓮、大丈夫?』

……。
…………。

加蓮『大丈夫……って言いたいけど、大丈夫じゃないかも』

……。

忍『これ加蓮?』
忍『何があったかよく分かんないけど、何かあったら相談してね。今度は加蓮の番だよ』
加蓮『ありがと。今はちょっと1人で考えさせて』
忍『いいけど、柚ちゃんがすごい心配してたから1人にはなれないんじゃないかな』

……。
……!
そうだ。忍からのメッセージを柚が私に手渡したってことは、柚は当然、そのメッセージを読んでるってことに――

柚「あわあわだ! 洗剤ちょっと出し過ぎちゃった!? うぅ……ごめんなさいママ」
母「いいのよ。泡がいっぱいなんて、まるで子供の時のお風呂みたい♪」
柚「こんなお風呂あるの?」
母「ふふ、今度、探してみましょうか」
柚「うんっ」

柚は私に何も言わなかった。忍からのメッセージとしか言わなかった。
……もしかして、柚なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
頭の中に詰め込まれて、整理できないままでいた何かを、ちょっとずつ取り除けていけている気がした。

加蓮『柚、もうしばらくうちで預かるけどいい?』
忍『加蓮も大変だね。柚ちゃん、うるさいでしょ?』
忍『昨日も加蓮サンが加蓮サンがってうるさくて。ちょっと妬けちゃうよ』
加蓮『ごめん』
忍『いいよ。じゃ、また事務所で』

スマホを返そうとして、洗い物しているところに渡すのもどうかと思ったので、そのままポケットに突っ込んでおいた。
リビングのソファに深く座って、テレビもつけないでぼーっと天井を見上げる。
……こうして自分の立場になると、私はホントに柚を"見てあげていただけ"だったと気付かされる。
だって、何をすればいいのかさっぱり分からないから――

柚「えーいっ!」

柚が飛びかかってきた。とりあえず蹴飛ばした。

柚「ぎゃいん!」
加蓮「……皿洗いは終わったの?」
柚「終わった! 加蓮サン、ぼーっとしてたけど、どしたの? 大丈夫?」
加蓮「大丈夫。……ちょっとね」
柚「そっか。ねね、加蓮サン。大丈夫じゃない時は、大丈夫じゃない、って言った方が楽だよ! だってアタシがそうだったもん!」
加蓮「……あはは。説得力ヤバイなぁ」
柚「やばい?」
加蓮「ヤバイ」
柚「じゃあ、アタシがむぎゅーってしてあげる! 加蓮サンがやってくれたみたいに!」

むぎゅー! と、間髪入れず柚が抱きついてくる。一生懸命すぎるけど、痛くない。

柚「加蓮サン」
加蓮「ん」
柚「あのね。……ごめんね。加蓮サンが喧嘩しちゃったの、アタシのせいなんでしょ」
加蓮「……別に、柚は悪くないよ。私が勝手なことしたってだけで、悪いのは私」
柚「ううんっ。エト、今度はアタシが加蓮サンを助けてあげるね!」
柚「あ、あんまりうまくできないけど……加蓮サンみたいに、アタシに任せろーっ、って言えないケド」
柚「えと、あの、ゆ、柚も頑張るから、加蓮サンも頑張ろ!」

つっかえながら、たどたどしくなりながら、柚はそう言ってくれた。

加蓮「…………あははっ」

とても、嬉しかった。
体温を預けて、目を瞑って。

加蓮「ありがと、柚。それだけでもう十分だよ……」

うん、と頷いてくれた。
――私のやってきたことが、なんて悩むとか、馬鹿みたい。
こうして、抱きしめてくれて、私の為に、って言ってくれるだけで、もうだいぶ心が軽くなるのだから。
大丈夫だって思えるのだから。

柚「加蓮サンはどうやってたっけ。えと、まずは、アタシが宿題やってて、加蓮サンに静かにしろーって注意して……」
柚「って、加蓮サン静かだ! アタシみたいにうるさくない! 注意できないよ!?」
加蓮「……ふふっ、最初に思い出すのがそれなんだ」
柚「あっ、その前に、加蓮サンにCD買ってあげなきゃっ。CD……CD……か、加蓮サン。一緒に行こ?」
加蓮「ぷっ。……ぷぷっ、くくくっ……あははははははっっっ…………!!」
柚「えー!? なんで笑うのっ、なんで笑うのっ!」ペシペシ
加蓮「あははははははっっ…………! げほっ! もー……んーん。いいよ。一緒に行こっか」
柚「行こう行こう! じゃあアタシ支度してくる――」
加蓮「こら。今日はもう遅いんだから、明日でいいでしょ?」柚「そだった! うぅ、やっぱり加蓮サンみたいにうまくできない……」
加蓮「私は柚らしい柚を見たいな……。……ふふっ」

気を抜いたら、気が重たくなる。
とりあえず今日は、強がりでも虚飾でもいいから、笑って、寝よう。
何か考えるのは、明日から。
ちょっとでも……身体を温めて、それから、また明日から。


掲載日:2015年9月26日

 

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