「喜多見柚、そして」
――事務所の小会議室――
失敗しても大丈夫だと思えることが、すごく心強かった。 喜多見柚は小会議室に入った。 あの時と同じ、長机を挟んで向こう側にプロデューサー。彼女の隣にフリルドスクエアの仲間である桃井あずきが、少し不安げな表情で立っている。逆隣には綾瀬穂乃香が唇を噛み締めこちらを見据えていた。 机のこちら側には、工藤忍が真剣な表情で佇んでいる。 皆、柚が口を開くのを――柚の言葉を、待っている。 「…………アタシ」 最初からずっと、謝らないといけないと思っていた。 身勝手な都合でみんなに迷惑をかけてしまったのは自分なのだから。 自分のワガママで、逃げてしまっていたのだから。 「アタシね、」 3人のLIVEを映像で見て、少しだけ考えが変わった。 相手に迷惑をかけたから謝らないといけない、ではなくて、自分が戻りたいと思うから謝らりたい、と。 やらなければならない、から、やりたい、へと。 「アタシ――」 柚は震える口を開く。言葉がつっかえて出てこない。いつもなら誰かが急かしてくれるけれど、今日は皆、柚の言葉をひたすら待っている。 ――出入り口の向こうには、北条加蓮が待機していた。 彼女は言った。 逃げたくなったり、叫んでしまったりしたら、いつでも出てきていい、と。 最初から、逃げるつもりはない。 柚は覚悟を決めてここまで来た。 でも。 自分が自分に負けてしまっても――失敗してしまっても大丈夫だと思えることが、柚にはとても心強かった。 ミスっても笑って済ませるアイドル。ミスることが許されるアイドル。それこそが喜多見柚なのだから。 「――ごめんなさい!」 お腹の底から、声を出す。大きく口を開けて、声を出す。 「アタシ……勝手なことして、ワガママ言って、みんなを困らせちゃった。だから、ごめんなさい!」 無意識に涙が出てきそうになって、柚は、ぐっ、と歯を食いしばる。 泣いたら駄目だ。泣いたら、泣いても大丈夫だと思ってしまう。弱くなってしまう。 失敗できることと泣けることは別物なのだ。失敗してもいいと思えば挑戦できるけれど、泣いてもいいと思ってしまえば縮こまってしまう。 前へ、前へ。 柚は一歩を踏み出す。 「それで――それでも! アタシは、またみんなで……フリルドスクエアみんなでアイドルがやりたかったから、LIVEがやりたかったから……だから、お願いします! アタシを……アタシ、なんにもないけど、迷惑ばっかりかけて邪魔虫ばっかりだけど、でも、アタシをここにいさせて!」 目をぎゅっと瞑って叫んだ。誰の目を見ることもできなかった。見るのが怖かった。 自分は仲間たちを信頼している――信頼しているけれど、あらゆる物がひっくり返ったあの瞬間から、柚はずっと被害妄想に取り憑かれていた。 誰も自分を必要としていないんじゃないか。何もできない自分を、厄介者にしてるんじゃないだろうか。 「――柚」 プロデューサーが口を開いた。びくっ、と柚の体が震えた。 あまりに大きな反応だったのだろう。身を引くのが気配で分かる。 あと、誰かが息を呑んだ。わ……と声を漏らしたのも聞こえた。 そろぉ……っと、柚は目を開ける。 穂乃香とあずきが互いを見合っていた。やがて2人はプロデューサーへと視線を移す。プロデューサーは、んー、と困ったように頬を掻いた。 忍が、ハァ、とこれみよがしにため息をついた。それから彼女もプロデューサーの方を見た。 え? 私? とプロデューサーが軽く狼狽える。他の3人が無言で頷いて、仕方がないとばかりに立ち上がる。 「…………っ!!」 いっそう身が固くなった。まるで殴られてしまう寸前の子供のようだった。 叫びたくなった。あの時みたいに、叫んで突き飛ばして、ここを出て行きたかった。 心の導火線を、爆発寸前のところで手掴みにする。掌と心が痛くても、足に根を生やす。 ――大丈夫。 逃げられる場所はあるんだから、まだ、大丈夫! ――せーのっ と、誰かが言った。 え? と柚が顔を上げる。 忍が苦笑していた。穂乃香が安堵の表情を浮かべていた。あずきが無邪気な笑顔を見せていた。 プロデューサーが、微笑んでいた。 そして。 「「「「おかえりなさい、柚ちゃん♪」」」」 声と――想いが、揃う。 「何かあるなら言ってくれればよかったのに……柚ちゃんがいないで、ずっと寂しかったんだよ?」 「柚ちゃんがいないと、ね……私も、もっと頼られるようにならなくちゃ」 「じゃあまずは柚ちゃんおかえりなさい大作戦! 難しいことは、それから考えよっ」 柚は目を見開いた。少しの間、頭がぐちゃっとなって、全ての思考が吹き飛んだ。 「はー、これでやっとフリルドスクエア復活だねー……おねーさん気が抜けちゃった」 「何言ってんのPさん。本番はこれからだよ。柚ちゃんが戻ってきたんだから、早速LIVEやらなきゃ!」 「う゛ぇ……アンタらのスケジュールを誰が調節したと思って……。ああもう分かった分かったにじり寄ってこなくても分かるから!」 それから、3人と1人、みんなが笑ってくれていることを知って。 我慢しなくていい、と分かって……涙が、ぼろぼろと零れ落ちる。 一瞬だけ、そんな自分をカッコ悪いと思ってしまった。腕でぐしぐしと拭ったけれど涙は後から後から溢れてきて、いいや、って思った。 ヘンでもいい。 格好悪くていい。 今、一番言いたいことを言おう。口を大きく開いて、想いをいっぱいに伝えよう。 「――ただいま、みんなっ! 待っててくれてアリガト……っ!!」 ――事務所の廊下―― スマートフォンがメール着信を告げた。左手だけで持って操作し、くすっ、と加蓮は口元だけの微笑を浮かべた。 From 喜多見柚 件名 やった できた! メールの画面をそのままにスマフォをスリープモードにして、加蓮は背を預けていたドアから身を離す。 そのまま立ち去ろうとして――半歩を踏み出す前に、扉の方を振り返る。 小会議室の出入り口は分厚くて、会話の盗み聞きなんてできない。さすがの加蓮でも柚に盗聴器をつけて……とまではしていない。 ただ、喜びのメールという結果だけがあればいいのだ。 あと、ちゃっかり盗み撮りした、柚の泣き顔。 加蓮は結果主義者だから。 どこかの努力バカとは違うから――なんて思い、口の端を引き攣らせるだけの笑みを浮かべて、立ち去る。 事務所の仕事部屋へと一歩進むごとに、肩の力が抜けていくのが分かる。 同時に、足取りが重たくなるのが分かった――気分の問題ではない。身体に疲労が溜まりきっていたのだ。体内から全身へ、じわりじわりと何かが侵食していく感覚。レッスンを終えた後、立ち止まったら疲労が溢れ出てくる現象と似ていた。 けれど加蓮はそれを悪いことだとは思わなかった。 相変わらず自分の身体はポンコツだ、とは笑い飛ばしたけれど。 長く長く続いていた少女の問題が、やっと解決した――この体調不良は、その証拠でもあるのだから。 「よかった……!」 喜多見柚は、ちゃんと帰るべき場所に帰れたのだ。 ――事務所の仕事部屋―― 仕事部屋に戻った加蓮を、あの2人が迎えた。 「…………あ」 高森藍子と、安部菜々。 ひどく久々に見る顔だった。 2人とも、じっ、と真剣な表情でこちらを見ていた。 彼女らはソファのすぐ隣に立っている。7歩進めば抱きしめられる距離。 加蓮の顔に、混じりけのない笑みが浮かぶ。同時に、この20日間ほど何の連絡もしていなかったことを思い出し、頭を抱えたくなる。 ずっと柚のことを見ていなければならなかった。終わった今でも自分の行動を間違っていたとは思わないけれど、若干の後悔はあった。 ――さて、今度は自分が謝る番だ。 藍子なら許してくれるだろうけれど菜々からは何を要求されることか。身体の調子もよくないし、お財布もそれほど潤沢という訳でもないし、軽めの物がいいな、なんて。 思って。 一歩目。 藍子の目元が歪む。 不思議に思いながら二歩目。 菜々が口を開く。 この時。 場の空気は確かに変わった――のだが、身体的疲労と精神的充満があったからか。 加蓮は、予兆を感じ取ることができなかった。 「――――――――加蓮ちゃん」 三歩目を進もうとして、菜々の声が遮った。 「加蓮ちゃんは」 構わず四歩目を進もうとした。けれども。 「今までナナ達……いえ、藍子ちゃんをほったからしにして、何をしていたんですか?」 そこまでだった。 三歩の距離があった。 え? と。 加蓮がようやく異変に気付く。 菜々は真剣な顔でこちらを見ていたのではない――こちらを睨んでいた。 「何、って…………」 「いえ、知ってますよ。柚ちゃんでしょ? その顔を見れば解決したみたいですね。よかったです。柚ちゃんの笑顔がない事務所は魅力半減ですからね――で」 一拍。場の空気が一瞬だけ、完全に死んだ。 「1度目は叩かれ、2度目は突き飛ばされた藍子ちゃんを、フォローもせずほったからしにして何をしていたんですか、と聞いているんです」 いつもの、やや早口で言葉を並べる菜々ではなかった。 一言一言が、重たい。ありきたりな反応すら許してくれない。 次の言葉を待つ加蓮へ、菜々が僅かに目を細めた。 「加蓮ちゃんには加蓮ちゃんの考えと、それに人間関係があるでしょうし、結果論から遡って責め立てても仕方のないことだとは思いますよ? でも……あの時、柚ちゃんが飛び出した時、加蓮ちゃんは即座に追いかけましたよね。藍子ちゃんには目もくれず。それは……あなたのやる正しい行動だったのでしょうか」 息を呑む音が聞こえて、消える。 「いえ。飛び出したことは、"やったこと"ですから……しょうがないにしても。後から言い訳だってフォローだって、なんだってできた。なのに連絡なしってどういうことですか?」 「…………」 「それに加蓮ちゃん――加蓮ちゃんのことですから、こう思ってはいませんか? 『後で謝れば、藍子ちゃんなら許してくれるだろう』と」 「…………!!」 そうでしょうね、と菜々が言う。 「間違ってはいませんよ。加蓮ちゃんは人の言動を読むのが得意ですからね。藍子ちゃんはずっとあなたのことを待ち続けていました。いつも加蓮ちゃんの分のお茶を淹れて、健気に待ち続けていました。気の毒だと思うくらいに。そこまでやらなくてもって思うくらいに」 「…………」 「結果論じゃ、加蓮ちゃんの分析や判断は正しかったんですよ」 「…………」 はは、と笑い声。 一拍の間があって。 ――菜々が、怒鳴る。 「…………加蓮ちゃん。アンタ……藍子ちゃんのことを何だと思っているんですか!? 藍子ちゃんはアンタの……加蓮ちゃんの都合のいい存在じゃあないんですよ!!!」 「…………っ!!」 「ナナは2人の近くにいるから分かりますよ! ナナが加蓮ちゃんを好きな気持ちより、藍子ちゃんが加蓮ちゃんを好きな気持ちの方が遥かに遥かに大きいって! でもね!! それは都合のいい存在ってことじゃないんですよ!! 何しても許してくれるからほっといていいってことじゃない!!!」 見てください、と、菜々が藍子をぐっと引き寄せた。 「藍子ちゃん泣いてたんですよ。ちょうど加蓮ちゃんが忍ちゃんと会った時ですかね! いつ帰ってくるのか、って!」 「…………!!」 「あ、あの、菜々さん、私は大丈夫ですから、あんまり加蓮ちゃんを――」 「いいえ言わせてください! 正直ちょっと前からずっと気になってたんですよ加蓮ちゃんのその態度!!! ええ、確かに加蓮ちゃんはすごいアイドルですしワガママを言う権利だってありますナナだってできることがあれば協力したいですよ! それに加蓮ちゃんがいたから柚ちゃんは回復したんでしょうね! いつかの歌鈴ちゃんだってそう! 加蓮ちゃんのやり方があったからこその結果なんでしょうよ! でも!!」 「…………っ」 「でもね、だからってそれは、加蓮ちゃんが好き勝手やっていいことじゃなくて!!! 加蓮ちゃんを好いてくれる子を放っておいていいってことじゃありませんよね!?」 慟哭に。 加蓮は、無意識のうちに、後ずさっていた。 怖かった。 菜々の迫力が、ではなく。 的確に突いてくる言葉の刃が、でもなく。 ずっとひた隠しにしていた場所を、絹を裂くように暴かれることが。 菜々が、荒い息を吐いた。それで少し頭がクールダウンしたのだろう――加蓮ちゃん、と何度か呼んで、続く言葉はなかった。 誰も何も言うことができない空間。謝ればいいのか逆に言い返せばいいのかも分からない。 当事者でありながら渦の外にいる藍子が口を開こうとした――直前。 菜々が――息荒く藍子の肩を借りながらも終始こちらを睨め続ける菜々が、極めて事務的に言った。 「……藍子ちゃんはこれから撮影のお仕事です。Pさんが忙しくて同伴できないのでナナがついていきます。別に藍子ちゃん1人でもいいでしょうが、いろいろと心配なので」 「…………」 「加蓮ちゃんはついてこないでください。撮影には時間がかかるようなので待たないで帰ってください。……じゃ、行って来ますね」 加蓮ちゃんはついてこないでください。 撮影には時間がかかるようなので待たないで帰ってください―― とてもとても冷たい言葉に目を見開いている間に、菜々は藍子を引きずるようにして事務所の出入り口へと歩く。藍子が何か言おうとしているけれど菜々がそれを封じ込めてドアのノブへと手を開いた。そこでようやく脳へと酸素が届いた。 「菜々さん――!」 でも、続く言葉はない。 菜々が、一度だけこちらを見た。 大衆が罪人を見るかのような目だった。 「加蓮ちゃん。あなたにとって藍子ちゃんがどういう存在なのか――どういう風に思っているのか、よく考えなおしてみてください」 バタン! とドアが閉まる。 仕事部屋に加蓮が1人で取り残される。 ――そしてまた、少女が独りになる。 |
掲載日:2015年9月25日
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