「ぬくもりひとつ、むねのなかにひとつ」





――北条加蓮の家(夜)――

<ガラガラガラ

北条加蓮「ただいまー」

取材が長引いてしまって、帰るのが少し遅くなってしまった。
アイドルとしては嬉しいことだけれど……ううん、お母さんにメールは打っておいたから、大丈夫だって分かっているけれど。
小走りで帰って来たから、身体がちょっと火照ってる。

<お帰り加蓮サン!

加蓮「うん、ただいまー」

少し遠い場所から柚の声が聞こえた。私の部屋にいるのだろうか。
……。
…………。
あれ?
来ない。
私が帰ってくるや否や、いつもは鬱陶しいくらい楽しそうな笑顔で飛びついて来るのに。
さては私に飽きたか。
それはいいことだ。私の助けがいらなくなったってことは、それだけ柚が回復してるってことだから。
……寂しいなんて思ってないよ?

加蓮「ってか、今の声……」

思い返してみれば、上じゃなくて、左の方から聞こえたような。


――台所――
加蓮「……何してんの?」
喜多見柚「あっ加蓮サン! えっとね、ママ! の、料理の手伝い!」

すごく嬉しそうに、ママ、と強調する柚は、エプロンをつけていた。

加蓮の母「お帰りなさい加蓮。柚ちゃんがどうしても手伝いたいって言うからね〜。誰かさんも見習ってくれると嬉しいんだけどな?」
加蓮「ただいま。嫌」
柚「アタシ出迎えたかったけど、今、ハンバーグこねこねしてるんだ。加蓮サンに抱きついたら、べちゃ、ってつきそうだったからやめた!」
加蓮「抱きつかなかったらいいでしょ……。っていうかまたハンバーグ? 昨日もそれだったじゃん……」
母「美味しい美味しいって言ってくれるから、毎日だって作りたくなるのよ。今日は柚ちゃんが作りたいって言うから。ね、我慢してあげて?」
加蓮「……はぁい。塩と砂糖を間違えたりしないでよ、柚」
柚「ふっふっふ、加蓮サンは分かってないな〜」チッチッ
加蓮「……」イラッ
柚「ハンバーグに使うのは、塩じゃなくて塩コショウ! だよね、ママっ」
母「ええ、そうね」
加蓮「…………」イライラッ
柚「え、なに加蓮サン」
加蓮「とりゃ」チョップ!
柚「ぎゃっ」イタイ!
加蓮「ごめん。ムカついたから」
柚「すっごくストレートだ!」
加蓮「私、汗かいたからシャワー浴びてくるね」

行ってらっしゃーい! と快活な声が送り出してくれる。
台所を出て、ドアを閉めて。……ちょっとだけ、盗み聞き。

<こねこねこね!
<そうそう、そんな感じでね。……そろそろいいかしら?
<柚もっとこねてたい!
<じゃあ、もう少しお願いしちゃおっと。私……ううん、ママは野菜を切っておくわね
<うん!

家族団欒。
母親と娘の会話。
そう呼べる物が、扉を隔てた向こうにある。
……今でもやっぱり、柚の問題に私が首を突っ込んでいるのは変だと思うし。
冷静に考えてみたら、柚が私のお母さんをママというのはすごくおかしい感じだけれど。
文句は、言いたくなかった。
あんなに楽しそうな声が聞こえるんだから、野暮なことなんて言えないよね。

――数十分後 台所――
加蓮「ふーっ」ホカホカ
柚「お帰り加蓮サン! ハンバーグ、もうすぐできるよ!」
加蓮「みたいだね、いい匂い……ああもうお腹ペコペコ。おかーさーん、先に食べてていい?」
母「あと5分でできるから待ちなさい。それに、髪の毛はちゃんと乾かしなさいよ? 最近は冷えるんだから――」
加蓮「うるさーい。私、先に白ご飯食べてるもんっ」ヨソイヨソイ
柚「アタシ大盛り!」
加蓮「ちゃっかり私にやらせる気か。しょうがないなぁ」ヨソイヨソイ
母「私は中くらいでいいわよ?」
加蓮「アンタは自分でやれ」
母「加蓮ちゃんが冷たいわぁ」
加蓮「実の娘をほっぽり投げて他所様の子を溺愛するバカ親には当然の報いでしょ」
母「そんなこと言って、可愛がったら嫌がるくせに」
柚「くせに〜」
加蓮「両極端なのよ! ……柚もニヤニヤしないの! ハンバーグ焦がしたら柚の口に突っ込むよ!」
柚「わわっ、コゲたのは柚も食べたくない! じーっ……大丈夫コゲてない!」
加蓮「……もうっ」

皿を取り出して、ダイニングテーブルに並べていく。
私の正面に、お母さんの箸。
お父さんは仕事で遅くなるからいらないって言ってた。
それから、私の隣に、オレンジ色のコップ。

柚「できたーっ! ちょっとつまみぐいっ」パクッ
柚「……あつい!」ギャー
加蓮「ぷぷっ」
柚「むー。笑うなーっ。加蓮サン、お皿!」
加蓮「はいはい」スッ
柚「フライパンからー、よいしょ! あわっちょっと崩れた! ……これは加蓮サンの分にしちゃお」
加蓮「オイコラ。自分で失敗した分は自分で食べなさい」
柚「えー、ケチ!」

私達のやり取りを見て、お母さんが笑っている。
2人の子供を見ている顔で。

柚「よいしょ! やたっ、今度は崩れてない! じゃあこれは、ママの分!」
母「あら、ありがとう柚ちゃん♪」チラッ
母「…………」ドヤァ
加蓮「お母さん。どつきたくなる前にそのドヤ顔をやめて。ホントやめて超ムカつく」
母「ふふっ。日頃の行いね♪」
加蓮「ちくしょー」
柚「ね、ね、加蓮サン。ハンバーグね、1つ1つ、ちょっとだけ味を変えてみたんだ! ……アタシがじゃなくてママがだけど!」
加蓮「ふうん」
柚「だから、あーんっ、ってしたいな!」
加蓮「はいはい。いくらでもしてあげるから」

3人で食卓について、いただきます、と手を合わせる。
柚は食べるのがちょっと荒いから、ご飯粒がほっぺたについてたり、おかすの端っこが私の方に飛んできたりするけれど。
私が拭いてあげる度に、照れくさそうに笑って、ありがと、と言ってくれる。
そうしてお母さんがまた笑うのだ。お父さんがいる時には、お父さんも。
もう、何日も見続けた光景。
まるで、本当に――

柚「あーんっ。わ、これすごくしょっぱい!」
母「柚ちゃんがね、加蓮は辛いのが好きだからって塩コショウをいっぱい振ったのよ。やりすぎちゃったかしらね」
加蓮「もぐもぐ……ううん、私はこれくらいが好きだよ。ふふっ。ありがとね、柚」
柚「やたっ。でもアタシには辛すぎるから、ぜんぶ加蓮サンにあげちゃうっ」
加蓮「ありがと。じゃあ、いっぱい味わわないとね」
母「さて。加蓮ちゃん、私の分も食べる? ほら、あーん♪」
加蓮「……あのね、私も子供じゃないんだからそんなのは、」
柚「ならアタシがもらう! ぱくっ」
加蓮「あ」
柚「ん〜。美味しい! さすがママ!」
母「こねたのは柚ちゃんでしょ?」
加蓮「…………お母さん」
母「なあに?」
加蓮「ひとくち」アーン
母「ふふっ」

――永遠、という言葉を、私は昔から信じることができなかった。
明日が来るかも分からない、明後日を無事に過ごせるか分からない。
でも、アイドルになってから、幸せな時間がずっと続くことを知ったから。
私は。

加蓮「ねえ、お母さん」
母「ん? ハンバーグ、まだ欲しいの? 加蓮はいやしんぼさんだ♪」
加蓮「違うよ。……あのさ、柚、なんだけど…………」
母「うん?」
加蓮「柚さ…………」
柚「……加蓮サン?」

ずっと、ここで。

加蓮「……ごめん、なんでもない。うん、柚が私のお風呂タイムに乱入して来るから、私がお風呂に入っている間は見張ってて欲しいって話」
母「そうなの?」
柚「ええっ、駄目だった!? うぅ……」シュン
母「……落ち込んじゃったけど?」チラッ
加蓮「お風呂くらいゆっくり入らせてよ……。うん、上がった後なら抱きつこうが何も言わないからさ」
柚「ホント!?」
加蓮「……うわーお余計なこと言っちゃったねこれ」
母「ドンマイ、加蓮」

……。
…………駄目だ。
柚には、帰る場所があって。
待っている人達がいるんだから。
それに、柚が今ここにいるのは、あくまで回復手段でしかない。
私がワガママを言う余裕なんてどこにもないんだ。

母「ふふ。ねえ、加蓮ちゃん」
加蓮「……何」
母「今日はもう、お風呂に入ったのに、お風呂に入る時の話を今するの?」
加蓮「…………」

……見透かした笑みが、ムカつく。

加蓮「思いついたから思いついた時に言っただけだよ。……ごちそうさま。ハンバーグ、すごく美味しかった」
柚「ホント!?」
母「良かったわね、柚ちゃん」
柚「うん! 明日も作る! 明後日も!」
加蓮「や、しばらくは勘弁してよ……カロリー計算とかもあるんだし……」

食器を片付けて、残ったお茶を飲み干して。
それと一緒に、言葉もお腹の中に沈めて、溶かしてしまう。
誰に見透かされていようと関係ない。
目的をすり替えちゃ駄目だ。今は、柚の為にやらなきゃ――

母「…………ふむ」


掲載日:2015年9月22日

 

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