「Let's go to look for me」





――北条加蓮の家(夜)――

「――とめてっ!」

悲鳴に近い言葉に、私は動画の再生を止めた。
それから、左からからしがみついて来る少女、喜多見柚をそっと抱きかかえて、右手で頭を撫でる。
髪をかき分け、ぽん、ぽん、とすると、柚は落ち着いてくれるけれど。

「…………」
「…………うぅ」
「みんな楽しそうだね。フリルドスクエアのLIVE」
「言わないで!」
「うん。じゃあ言わない。……でも、柚だって気付いているんでしょ?」

今日の夕方、私の家に柚の担当プロデューサーが来た。柚の様子を気にしているようだったけれど、会わせてくれ、と言うことはなく、代わりに無地のDVDだけを渡して帰った。
会わなくていいの? と尋ねる暇もなかった。
少しばかり薄情だったけれど、彼女にも彼女の事情があったのだろう。
例えば、LIVEが無事に終わった後の高揚感がまだ残っていた、とか。
そんな状態で柚と顔を会わせてしまったらどうなるか、予測できていた、とか。

「知らない! アタシ何にも知らない!」
「嘘」
「嘘じゃない!」
「……じゃあ私は嘘ってことにしとくけど、でも、みんなの想いとはちゃんと向き合いなさい」

柚担当プロデューサーから渡されたビデオには、今日のLIVEの様子が映っていた。
工藤忍、綾瀬穂乃香、桃井あずき。フリルドスクエアから柚を抜いた3人によるLIVE。
あずきちゃんがセンターを務めていた。相変わらずの予測できない動きや、盛大に着崩していながら厭らしさを感じない、けれど色気はたっぷり持ち合わせている格好。一体どこからその発想が出てくるのかというトーク。柚でなくとも、ちょっとばかり嫉妬しまいたくなる。

終始一貫していたことは。
彼女の隣には、不自然に1人分のスペースが空いていたこと。

「…………やだ……!」
「やだ、じゃなくて」
「やだ!」
「……もう」

LIVEの冒頭で、今日は柚が欠席だということを伝えて以来――MCパートでも、敢えて誰も何も言わない。
忍なんかは断片的にでも事情を知っているだろうに。時折、ちらりちらりと"1人分のスペース"を気にかけているだけだった。

「…………やだぁ……」

柚は。
LIVE映像を何度も何度も止めさせて、その度に私にしがみついて。
肩を震わせて、嫌だ、嫌だとばかり繰り返す。

気持ちは、すごく分かる。
私も1度だけ、私の事情でユニットでのLIVEを欠席したことがある。藍子・菜々さんとのではなく、凛・奈緒との方で。
確か、CDが発売されるほとんど直前くらいだったっけ。
あの時も同じように、Pさんから映像を渡してもらって、この部屋で1人で見て……思わず泣いてしまった。
次は絶対に、と拳を握りしめたこと、今でも覚えている。

「柚…………」

頭をぽんぽんと撫でながら……自分が通った道だからこそ、ユニット仲間の想いに応えてほしい、とは思うけれど。
今の柚が嫌だと言うのなら、私は無理強いできない。
無理強いする意味がない。
ロクな結果にならない。
……それでも。

「……柚。ほら、もう1回、見よ? まだ最後まで見てないじゃん」
「……」
「ほら。見る、って決めたんでしょ? 私と一緒なら大丈夫、って言ったでしょ?」
「……うん」

涙に濡れた目を腕で拭きながら、柚はそっと私の隣に並ぶ。
再生ボタンをクリックすると、映像はちょうどあずきちゃんのソロパートに入ったところだった。
――本当はソロパートではなかった、サビの盛り上がり。
カメラがズームされる。でも、あずきちゃんが映像の中央に映ることはない。常に左隣のスペースと一緒だ。ひどく不格好な映像が、今、一番心に来る物だった。

「…………」

柚がじいっと画面を見つめる。体が震えているけれど、なんにも言わない。
あずきちゃんのソロパートが終わり、間奏に入る。3人でのダンスパート。あの時の柚が失敗してしまった踊り。
とくん、と心の跳ねる音がした。

……LIVEが終わるまで、柚は一言も発さなかった。
顔をぐしゃぐしゃにしながら、ちゃんと最後まで見ていた。
届けられた者を、全部、受け止めるように。
やっぱり、この子は強い。
私なんかよりもずっと強い。
壊れかけた心でも、ヒビ割れたままでも、受け止めようとしている。

『みんなーっ! 次のLIVE、また来てくれるかなーっ!』

LIVEが終わる間際、あずきちゃんの呼びかけに、ファンは。

『『『『『おおおおおおおおおーーーーー!!!』』』』』

声援を轟かせた。
約束作戦大成功っ、という声が聞こえないほどの音量だった。
次への期待。
つまり、ファンが望んでいる物とは――

「…………」

思わず柚を見る。涙が、ぽたり、ぽたり、と垂れ落ちるのも構わず、ずっと画面を見続けている。
LIVE映像が、ぷつり、と切れてからも、ずっと。
どうだった? と聞いてみた。
わかんない、とくぐもった声が聞こえた。

「わかんない……わかんないよ。あたし……わかんない。すごく、アイドルがやりたくて……でも、アイドル、やりたくなくて……」
「…………みんなのLIVEを、見ちゃったから?」
「わかんない…………。待っててくれるのに、みんな、待っててくれるのに……あたし、どこに行けばいいんだろ……。ねえ加蓮さん、教えてよ。あたし、どこに行けばいいの……?」
「それを決めるのは、柚だよ」

私は道を示す案内人というだけで、先導者でもないし、道を用意する役でもない。

「だって、あたし、分かんないもん……。加蓮さんが決めてよ…………。あたし、どうしたらいいの。どこへ行ったらいいの……?」

ずっと四方八方を霧に覆われていた少女が、悲鳴を上げ続ける。
最初は、私を見て、私を見つけて、と。
次に、私を連れてって、私に道を教えて、と。
手を取って、霧の外へと走って連れ出してあげたい。
あなたはここを歩いて行けばいいんだよ、と言ってあげたい。
……でも、それは。
絶対に、私の役割ではない。

「柚」

反応はなかった。

「柚」

2度呼ぶと、のろり、と顔を上げた。

「…………辛いよね。どこに行ったらいいのか分かんないのは、嫌だよね」
「……うん」
「縋りたくなるよね。人に任せちゃったら楽だもん」
「…………うん」
「でも。最初の一歩は、柚が決めなさい」
「…………なんで」
「だって、あなたは喜多見柚っていう人間だ。私に似ているけど、私じゃない。私が決められるのは、北条加蓮っていう人間の道だけだよ」
「あたし……加蓮さんみたいに、強くなれないよ。そんなにびしばしって決められない!」
「じゃ、もうちょっと悩めばいい。待ってくれてること、分かったでしょ? ……進みたい道が決まるまで、この映像は封印」

映像ファイルを閉じて、DVDをケースにしまう。

「でもね、柚。あはは、私が言うのもおかしな話だけど……自分に、素直になってあげて」
「…………素直に……?」
「うん。素直に。柚が、自分は何も持ってないからこうしないといけない、とか、迷惑をかけるからこうしないと、とか……そういうんじゃなくて。そうじゃなくて、自分は何がしたいかって。その想いに従ってあげて」
「……あたしに、従う」
「LIVEを見た時、どう思った? どう感じた? その想いに、素直に応えてあげようよ」

本当に、どの口が言うんだか――でも、今伝えるべきは、これしかないと思うから。

「それと、思ったことをそのまま口にしてみて。じゃないと、また誰からも見つけられないままになっちゃうかもしれないよ」
「…………加蓮さん」
「うん」
「あたし」
「うん」
「…………あたし」
「うん」
「……そのまま、言っていいの? 柚なんかが、って思わないの?」
「もちろん」
「…………あたしさ」
「柚は?」

息を吸った音がした。
それから、何かが、かちり、と開かれた音。
溢れる涙を擦るように拭いながら。
柚は、膝の上に両手を置いて、私を睨みつけるようにして――向かい合う。

「……あそこに立ちたい……! みんな、待ってくれるって言ってる! 立って、いっぱい笑って、いっぱい踊って、いっぱい歌うんだ……! すっごく楽しいんだ。みんなでLIVEすること、すっごく楽しいから!」

ずっとずっと奥の方に秘めていた、想いと。

「みんなとのLIVEはすっごく楽しいんだ! 自分が嫌になっちゃうよりもずっと! 楽しくて! また次もみんなでやろうねって! ファンの皆も、おー、って応援してくれて! あたしそれがすっごく楽しかった!」
「うん」
「でも……あたし、みんなと違ってなんにもできない普通の子だから、いっつもいっつも自分が嫌になって……! 見られたいけど、見られたくなくなっちゃって!」
「うん」
「それでも、アイドルがやりたいよ……! 次のLIVEに出たい。みんなで歌いたい。にぱって笑ってみんなではしゃぎたい!」
「うん」
「アイドル、やりたいよ……! でも、だめ。体がぜんぜん動かない。すっごく冷たいの……っ! また、なんにもできないだけのあたしを見られるって、そんなこと想像しちゃって!」

ずるり、と崩れ落ちて泣きじゃくるだけになってしまった柚を見て。
よかった、と思ってしまう私がいた。
よかった……ちゃんと、アイドルをやりたいって思っていたんだ。
道は霧で見えなくても、ゴール地点はちゃんとあったんだ。

「じゃあ、柚。自分を認めてあげようよ」
「あたしを……?」
「柚はもしかしたら何も持っていないのかもしれない。普通の女の子ってだけかもしれない。それでいいじゃん。だいたい、生まれてる時からなんでもかんでも持ってる奴なんて私でも嫌だよ」
「でもっ……あたしの回り、みんなすごい人ばっかり……」
「じゃあ今からすごくなろう。何も持っていないんだから、今から探してみよう」
「…………今から……」
「もし本当に柚が何も持っていないなら、それを探すのが柚の目的だ。アイドルやりながらさ。誰に遠慮する必要があるの? それって柚の人生だよ。やりたいこと探しなんて面白そうじゃない?」
「…………」
「なら、まずは何もない自分を認めなきゃ。それでも私は私だ、って」

それに――穂乃香ちゃんとあずきちゃん、そして忍は、おそらく柚の言う「何かを持っているすごい人」じゃない。
少なくとも忍は間違いなくそうだ。何も持っていないから必死に探しまわって、やっと見つけたのが今の姿だ。
でも、それは今、伝えるべきではない。その説明は今、柚の心に届けることができない。
まず柚が認めるべきなのは、仲間たちのことじゃなくて、自分自身のこと――

「……あたし…………何もないなら探せばいい、なんて思ったことなかった」
「うん」
「ずっと、何もないあたしが嫌だってばっかり思ってて……それでいい、なんて思ったこともなくて……どうしてあたしには何もないんだろうって思って、藍子さんにもぶつかっちゃって」
「言ってたね。私と一緒にいたら何かを見つけられたかもしれないって。ね、もしそうなら、今からじゃ遅いのかな。今から私と一緒にいれば、じゃ遅い?」
「そんなことないっ……! でも、ずっと……ずっと、いいのかなって。あたし、なんにも持ってないけど、加蓮さんと一緒にいていいのかな、って」
「私が駄目なんてこと1度でも言ったことある?」
「ないけどっ……笑ってるうちはよかったんだ。でも、いっつも後になって、よかったのかな、って」
「むしろ自分は何もかも持っていて相手より格上だって思い込むような奴の方が鬱陶しいよ」
「……いいのかな…………あたしのやりたいこと、やっても」
「ふふっ。なにが?」
「なら――探してみたい! なにかないかな、って! あのっ、やりたいこととか、持ちたい物とか!」

やっと……立ち上がった。
涙と鼻水にまみれ、目を真っ赤にし、頬を紅潮させ、何度も唇を噛んだ跡が痛々しく残っているけれど、でも、柚は、立ち上がった。
……よかった。
繊細な糸を繋いだ先に扉が見えた。霧は晴れなくとも、霧の先の光は見えた。

「うん……いっぱい探そう、柚。この世界にはまだまだなんでもあるよ。柚の道を探してみようよ!」
「うんっ!」

私の言葉に、柚は力強く頷いてくれた。
胸が、暖かくなっていくのが分かる。足元からじんわりと熱が這い上がってきて、同時に、どっ、と全身に疲れが噴き出てきた。
思わず尻もちをつく格好となってしまった私を、ダイジョブ!? と柚が慌てた様子で覗きこんでくる。
……そういえば私、疲労困憊なんだっけ。Pさんがパッと見ても分かるくらいに。
何か張り詰めていたものが千切れたから、身体が解放されたのかな……。
ううん、これからだ。
前に進むという意志を折らせてはいけない。まだまだ、案内人の役割は終わらない。

迷子の子を、仲間の元へ届けてあげなきゃ。



掲載日:2015年9月15日

 

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