「月闇を導く三等煌星」





――北条加蓮の自宅――

いっときだけ戻って、着替えたらまた探しに出ようと思っていたけれど、帰宅するなり友達が来ていると告げられた。
その言葉に、北条加蓮は確信に近い直感を得て部屋へと駆け上がって。
扉を開けるなり、布団にこもった喜多見柚にじいっと見つめられた。

「…………」
「…………」
「…………ここにいたんだね、柚」
「…………うん」
「爆発するのはいいけど連絡くらいしなさい。心配するでしょ?」

生返事に力はない。当然だろう。あれだけのことをやった後なら、誰だって顔を合わせにくい。
それに加蓮は、柚が感情を爆発させた相手――そして思いっきり叩いた相手、高森藍子とよく一緒にいるのだから。
きっとここに駆け込んできて、布団に身を埋めてからも、色々なことを思ったのだろう。
……汗をかいたからシャワーでも浴びようと思ったけれど、さすがにこの状態の柚は1人にしておけないと加蓮は判断した。
見た目よりも実用性、通風性の高い私服を選び、着替えるついでにタオルでさっと体を拭く。

「…………加蓮サン」
「何?」
「……アタシ、どうしたらいいんだろ」

ぷはっ、と私服から首を出してから、さあ、とだけ答える。
布団がびくっと震えた。
加蓮の心の隅に、一葉の苛立ちが募った。
やりたいことがあって、けれど自分にはうまくできない時。どこかの心優しい少女はいくつか選択肢を持っているのかもしれないけれど、加蓮はそこまでの心の余裕を持つほど立派な人間ではない。苛立ちばかりが先に立つ。
でもそれは柚に向けられた物ではない。
今回は少しばかり、難題すぎる。

「……柚はどうしたい?」

たっぷり悩んで口から出したのは、自分でも陳腐だと笑ってしまうようなセリフだった。

「わかんない」

そして、その答えも、問いかける前から――問いかけの選択肢を作った時点から、もう予測ができていた。

「そう」
「……アタシって何なんだろう」
「ん?」
「アタシって何なの?」
「さぁ。喜多見柚っていうアイドルじゃない?」
「アタシ、アイドルなのかな」
「じゃなかったら何なのよ」
「鏡ってあるじゃん。自分を映すヤツ」
「あるね」
「今のアタシが鏡を見ても、たぶん何も映ってないよ」

ベッドの端に腰を降ろすと、柚の息遣いが微かに聞こえるようになった。
それだけ感覚が鋭敏になっているのだろうか。加蓮としては可能な限りフランクに答えているつもりだったが、柚にでも影響されたのかもしれない。

――自分はこの件に関して、傍観者でいられる。
第三者でいられる。
その立ち位置だけは、手放したくない、と。
意地を、張りたくなるくらいには。

「あたし、すごいこと言ったよね」
「言ったね」
「藍子さんを叩いちゃった」
「叩いたね」
「……あたし、何も持ってないんだ」
「そうなの?」
「加蓮さんみたいに、アイドルになりたいって思い続けたんじゃないし。藍子さんみたいに、最初からアイドルになりたいっていうのもなかったし」
「うん」
「菜々さんみたいに、齧りつく根性もないし」
「うん」
「忍ちゃんみたいに努力なんてできないし、穂乃香ちゃんみたいになりたい物なんて見えてないし、あずきちゃんみたいにぽんぽん思いついたりできない」
「うん」
「あたし、面白いからってアイドルになっただけなんだ」
「うん」
「何も持ってないんだ」

柚が、布団の奥でもぞもぞと動く。
できることならまくって顔を見てやりたいと思ったくらいだ。もちろん、手を伸ばすこともしなかったが。

「何も持ってなくて、何も見えなくて、なんであたし、アイドルをやってるんだろうって」
「うん」
「みんな、目標とか、なりたいものを持ってて、でもあたしだけなんにもなくて。あたしが嫌になって」
「うん」
「そしたら、あたし、藍子さんにひどいことしてた」
「ふうん」
「加蓮さんも怒ってるよね」
「さあ」
「…………」
「ああそうだ。柚、あのさ、私、1つだけ嘘ついてたことがあるんだ」
「…………なに?」
「変な人生を送ってるからそう簡単に怒らないってヤツ。ずっと前に言ったと思うけど……ああ、それ自体は嘘じゃないんだけどね。そう簡単にブチ切れる人生は送ってないんだけど……ない筈なんだけど、柚があれを言った5分後くらいに、柚に2度、本気でイラッとした」
「アタシに……?」
「何も持ってないから、私に教えられることなんてないって言った時。それから、私みたいに美人だったらいろいろ試せるのにって言った時」
「…………ホントのことだもん」
「藍子もよく言うんだよね。アイドルに向いてないだの、才能がないだの」
「ホントのことだもん!」
「でも、私はイライラするんだ。そういうのを聞いて」
「だって!」

がばっ、と布団が跳ね除けられた。ようやく見ることができた顔は、加蓮が想像していたよりも少しばかり酷かった。目元はぐしゃぐしゃで鼻水が垂れているのも気にせず、口元は鋭く引き締まっている。下唇は荒れ放題で、よく見ればベッドシーツに血色の滴が見えた。
色々な表情こそ見れど、基本的に柚と言えば笑顔というイメージが強いだけに、加蓮は一瞬だけ喉仏のあたりで言葉を失いかけて――バレないようにシーツを握りしめてから、意識的に大きく息を吸った。
それから、口元をまた違う形に変えていく――本当は、抱きしめてあげたい時かもしれないけれど、今の自分の役割は、きっと違うから。
抱きしめる役割は、別の人が持っているから。

「私の事情だよ。私が、勝手にイライラしてるだけ」
「なにそれ! それなら、あたしだってあたしの事情があるんだよ!」
「知ってるよ。私は私の、柚には柚の事情があるんだよね」
「……なにそれっ……」
「私が勝手にイライラしてるだけだよ」

どこまでの言葉が許容されるか分からないし、加蓮は藍子のようにうまく相手の話を聞くことだってできない。
加蓮には、加蓮のできることしかできない。
3秒くらいして部屋の適当なところへ視線を移し、しばらくしてまた柚を見る――そんな繰り返しを続けていた。
じっと見られたら、彼女はまた自分を見失う――そういえば、いつも彼女は凝視されることを嫌っていた。
おちゃらけた様子、ではあったけれど、そこだけは頑なに譲ったことがなかった。
きっと恐かったのだと思う。じっくり見られて、何も持っていないことに気づかれるのが。

「柚」
「なに!」
「柚は、自分の答えを見つけてる?」
「ぜんぜんわかんない! わかってたら、こんなことしてない!」
「そう」

こんなことを確認しないといけない自分も自分だ、なんて、鼻で笑う。
だけれども、まあ、しょうがない。
加蓮と柚は、その程度の人間関係でやってきたのだから。
ちょっと深刻そうな気配が見えたら。柚がそれを誤魔化したら。踏み込むことなんて、全くしない。
薄っぺらい人間関係でやってきたのだから。

「やりたいことが見つからない、自分に何ができるかも分からない。そんな状態で無理してアイドルを続ける必要って、どこにあるの?」
「そんなのっ…………えっ……?」

勢いで言い返そうとした柚がつまる。もし言葉を叩き込む余地があるなら今しかない、と加蓮は大きく息を吐いた。

「あのね。知ってると思うけど、私、小さい頃から入院してたんだ。ベッドの上で、退屈しのぎにテレビを見てて……それで、アイドルが輝いてるのを見たの。すごいなって、自分もああなりたいって」
「ききたくない」
「Pさんにスカウトされてからは、ぶっ倒れるまでレッスン続けてた。私にとって、アイドルは人生のすべてなんだ」
「ききたくない!」
「でも私は、人生のすべてがアイドルだとは思わないよ」
「アイドルやめろっていうの!? Pさんが……だって、Pさんの為に、あたし、目立たない子だけど、アイドル向いてないけど、でもやるって決めてるのに!」
「それはアンタのプロデューサーの勝手な都合だよ」
「そんな言い方しないで!」

どっ、と押し倒された。のしかかられた。今にも凶器を突き立てようとする凄絶な表情が、涙の奥にはっきりと浮かぶ。
少し遅かった――なんて、気持ち悪いくらいに客観的に見ている自分がいた。
もっと早いうちから、ぶん殴られるかと思ったのに。

「Pさんはあたしを拾ってくれた人なんだから。すごい人なんだから! 面白いことあるよって、あたしに、アイドルやって欲しいって言うから……あたしは、続けられたんだよ! いつもあたしの為に一生懸命やってくれて、それなのにあたしの勝手な都合でっ」
「プロデューサーもアンタも勝手な都合を掲げてんでしょうが!」
「っ……!」
「アンタもプロデューサーも同じだ。アイドルがプロデューサーに助けられてるのと、プロデューサーがアイドルに助けられてるのは同じだ。勝手な都合を掲げてるってのも同じだ。あと私が今のアンタにイライラしてるのも私の勝手だ。人間なんてね、どいつもこいつも身勝手なんだよ。だからアンタが1人で縮こまる必要がどこにあんの! それでろくでもないことになったんでしょうが!」
「う……ああああああああああっ!!」

振り上げられた拳。
振り下ろされない。
……多少の覚悟は決めていても、その時になればぎゅっと目を瞑ってしまう。
つい嘲笑を浮かべてしまって、そうしたら柚の神経に触れたのか、また拳を振り上げた。
寸止めで終わったけれど。
殴ればいいのに、と加蓮は思う。
それで少しでも気が晴れて、少しでも冷静になれるなら、ちょっと痛いくらいはいいのに、と。

「……加蓮さん」
「ん」
「あたし、どうしたらいいの」

柚を跳ね除ける。加蓮の非力な両腕でも、押し返せるくらいには弱まっていた。
……感情を発散させる先も見つからないまま、柚は大人しくなっていた。
見えない霧に立ち向かうのではなくて、そのまま蹲っているように。
そうやっていつも我慢し続けていたんだろうか。それなら、この子はいったい、どこにいて、誰が見ているのだろうか。

「アンタのやりたいようにやれば?」
「わかんないよ……あたしのやりたいことなんて……」
「じゃあ、見つかるまで立ち止まればいい」

いつか思ったことがある。藍子は自分の道具ではない。自分が対峙しているのは1人の人間なのだと。
だから、加蓮は言葉を変えることにした。

「そんなの、Pさんに迷惑かけちゃうよ……フリルドスクエアのみんなにも……」
「みんなと交渉すればいいんだね? 大人を手玉に取るのは得意なんだ」
「また柚がって言われちゃうよ」
「じゃあ代わりにまた加蓮かって言わせてみせる」
「……おうち、帰りたくない」
「ここにいれば?」
「…………」
「まだ何かある?」
「……………………いいの?」
「道に迷ってるんでしょ。じゃあ私が案内人になってあげる」

役割、と。
たぶん、加蓮はそういう役割なのだ。

「だから、ちゃんと道を見つけなさい」

隣に立って支えるのでもなく、後ろから抱きしめてあげるのでもなく、前に立って目標になるのでもない。
四方八方へ繋がる道から、正解を探してあげて、導いてあげる。
その先まで歩いて、霧が晴れた日には――
そこから先は、加蓮の役割ではない。
もっと近い人が――近いが故に手を差し伸べられない人が、いっぱいいるだろうから。

「ああ、そうだ。藍子と菜々さんのことなら気にしないで。喧嘩もできないようなヌルい関係じゃないから」
「……アタシと同じだ、加蓮サン」
「ん?」
「アタシも、フリルドスクエアで、いっぱいケンカするから」
「ふふっ。じゃあ同じだね」
「…………あはは」
「やっと笑った。あ、でもぶっさいくな笑顔っ」
「あ、アタシ加蓮サンと違って美人サンじゃないもん」
「はいはい」
「……アタシ、真剣なのに。加蓮サンいつも笑ってる」
「真剣だからこそ笑って流すんだよ。全部を受け止めてたらキリがない」
「…………加蓮サン」
「んー?」
「ありがとう」
「どういたしまして」

ベッドから飛び降りた。跳ねないスプリングの上で、柚がぼうっと目で追う。
部屋から出て行って、母親に話をつけようとして、加蓮はちょっとだけいらない心配をしてしまった。
カーテンを閉めっぱなしの窓。
……まさかそこから逃げたりしないだろう、と自分の予想に苦笑をする。

「ついてきて、柚」
「……え……?」
「うちで休憩するなら、お母さんに挨拶くらいしてよ。ずっと引きこもりになるの?」
「あ、うん、そうだよね……」

ただ、ありとあらゆる最悪を想定するのが、加蓮にとって1つの癖だった。
どこで自分が倒れるか分からない生活を送ってきたら、必然的にお節介にもなってしまう。
……自分はお節介を焼かれるのが嫌いなのに。
なんて、自分勝手な自分に何とも言えない気持ちを抱いて。

「はい」
「え?」
「手」
「……うん」
「うわ、熱っ」
「…………エヘヘ。加蓮サンの手、冷たいっ」
「心まで冷たいけどね」
「えーっ?」

手を取った瞬間、これまでの世界が反転する気持ちだった。
これまで持っていた対外的な感情が、一瞬にしてドロドロと溶かされていく。
そうして、今の加蓮にとっては、柚が世界のすべてだった。
他の人間への思いも、好意も、愛情も、別の世界に隔離されて。
今はただ、目の前の少女しか、見えなくなってしまった。

「晩ご飯にしよっか。泣きつかれてお腹も減ったでしょ」
「うん。お腹ぺこぺこ」
「お母さんがいっぱい用意してくれてると思うから」

部屋を出た時、ふと加蓮は今日と明日のことを思い出す。
妙に厳しかったレッスン。
明日の予定。
――まただ。加蓮はうっすらと笑った。
また、9月5日が嫌いになってしまいそうだ。

けれどそれは、加蓮に言わせてもらえば、加蓮が勝手に苛立ちを募っているだけであって。
少なくとも、柚の事情とは何ら関係のない。
柚に憎しみを向ける理由にはならない。

「食べたい物、何かある?」
「えっと……カレーっ」
「いいね。私も、カレーが食べたいな」

例え、大切な日がズタズタになったとしても。
少し時間がかかっても、いくつかの物を失う覚悟をしてでも。
絶対に、彼女を、喜多見柚を、正しい道に導こうと、加蓮は決意する。



掲載日:2015年9月5日

 

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