「月の陰り、扉も見えず」
前回のあらすじ!
P「次のLIVEのテーマは"原点回帰"だ!」 ――野外LIVE会場―― 高森藍子が歌っている。橙と桃の暖かなライトに照らされ、両手を胸の前で重ねて言葉を紡ぐ様は、まるで妖精のよう。 純白のワンピースに花飾りをつけただけのシンプルな衣装が、逆に目を離させない。 ゆらりゆらりと体が揺れている。ずっと見せている暖かな微笑みも、作っている表情だとはとても思えない。 観客の笑顔を、1つ1つ、ゆっくりと確認するように目を流しながら、緩やかな歌を歌い続ける。 桜が咲く頃に、想い人と出会った気持ちを歌う歌――蝉の鳴き声が蜻蛉の姿へと変わりつつある今の季節にはちょっと合わない歌だけれど、それでも藍子の後ろに、確かに桜の花びらが見える。 客席から見ている北条加蓮もまた、自然と口元を緩めていた。 いつも疲れ気味な身体へと、まるで温泉に浸かった時のように、温かいエネルギーが流れ込んでくる。 ちょうどその時、舞台上の、客席の表情をゆっくりと見渡しながら歌っていた藍子と目が合った。 藍子は、街中で友達を見つけた時のように嬉しそうな表情を浮かべて、そうしてすぐに、はっと我に返り、息を吐く。 「キミと出会えた」の「キ」がちょっと突っかかってしまい、「ッキ」という発音になってしまっていた。 藍子はよく、自分のことをアイドルらしくないと言う。 加蓮としては、例え藍子が相手でも少し嫌な物で、口にする度にどついているのだが。 もしかしたら自分は、藍子の言葉の本質を理解していなかったのかもしれない、と思う。 アイドルらしくない、ということは、ネガティブな意味のみならない。アイドルでありながら女の子でもいられる――街中でたまたま友達を見つけた時の喜びを忘れずにいられる、そんな普通の子でいられる、ということなのかもしれない。 2番のサビが終わり、ピアノソロの間奏へと移る。観客からの歓声も今日は抑えめだった。代わりに、ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が生まれる。反応よりも、聞くことに夢中になっているらしい。 中には、目を瞑っている者や涙ぐんでいる者までいた。 変なの、と息を吐く加蓮だけれど、試しに目を瞑ってみると、おなかから何か登ってきて、目元が熱くなった。 別に誰も自分の方は見ていない――この場の人たちは総じて藍子へと集中していることは分かっているけれど、目を開けた時の加蓮は顔を真っ赤にしていた。遅れて、何が恥ずかしいのか分からなくなって首を傾げ、そうしていると藍子が最後のサビを歌い出していた。 音楽が一瞬だけ止む。藍子の、暖かく、芯の通った透明な歌声が、心へ訴えかけてくる。 ただ「歌う」だけの行為がどうしてここまで心を動かすのか、加蓮はたまに不思議に思う。LIVEの演出が相乗効果になるのならばまだしも、今日のLIVEは本当に「藍子が歌っているだけ」だ。 分からないけれど、きっとそれが、高森藍子というアイドルが持っている力なのだろう。 ……やっぱり、自分をアイドルらしくないと言うのはムカつくので、今後もどつき続けることにした。 これだけの舞台を見せておきながらアイドルらしくないと言うのは、謙遜にしてもムカつくので。 これからも覚悟しておきなさいよ? と目に力を込めて、加蓮は藍子を見上げる。藍子と目が合う。きっと真意は伝わっていないのに、一瞬だけ笑顔に苦笑いが混じった。 そして藍子の歌が終わり、野太い声の代わりとなる、春の陽気のような拍手が聞こえて―― 「藍子サンって、スゴイよね」 くすんだオレンジ色が、一滴だけ零れ落ちる。 「……藍子サンって、スゴイよね」 繰り返し言う少女は、手を叩いていなかった。 「昔からこうだよ」 平然と返しつつ、加蓮は内心の動揺を抑えるので精一杯だった。 いつの間にか右隣に少女がいた――全く気付いていなかった。来ることは知っていたけれど、いたことは知らなかった。少なくとも、LIVEが始まる前、自分がここに来た時に、そこには誰もいなかったのに。今はおかっぱ頭を振り回し、特徴的な人懐っこい笑顔を浮かべる少女が――今日は、いつもより笑顔80%減で佇んでいる。 「藍子は、ずっとこう」 いつからそこにいたの? と尋ねることはできなかった。 他にやるべき会話がある、と加蓮は思った。 「昔からスゴイんだ」 「……今日のLIVEさ、原点回帰ってテーマがあるの。最初の頃に戻るって意味。だから、これは藍子の原点だよ」 「原点……?」 「もちろん成長も変化もしてるけどね。弾けてる時もあるし、パッションっぽくやってる時もある。でも、藍子はずっとこうだよ」 MCパートに入り、藍子が最近の幸せについて、ゆっくりと、楽しそうに喋っている。時折、加蓮の名前が出てきて、その度にちらりちらりとこちらを見ているのは気付いているのだけれど、今は――今は右隣の少女、フードを目深に被った喜多見柚との会話から意識を離せない。 「……藍子サンは、スゴイね」 「そう?」 「それに、加蓮サンも。あと、菜々サンも。みんなスゴイね。みんな、アイドルって感じだ」 「柚だってアイドルでしょ」 「柚は……アタシは、こんなにスゴイのになれないもん」 主役が、ちょっとだけ落胆したように肩を落とす。 ごめんなさいと伝える前に2曲目が始まっていた。今度は秋の始まりの美しさを歌う歌。最初の一語を発した瞬間、ひゅう、と風が吹いた。暑さに涼しさを感じる風。空気までも楽しんでいるのか、なんて思ってしまう。 ……それなのに、いつも誰よりも楽しんでいる子が、真っ暗な眼を見せるものだから。 「柚さ。……何かあった?」 呟くと、柚はぐるりとこちらを向いた。 道端に這いつくばって何かを探しているような目をしていた。見つめなおすと、やがて柚は小さく笑って、ふっと目を伏せる。フードを、ぎゅ、と握り直して。 「……そんなにアタシのことじっと見たら、照れちゃうよ」 藍子のLIVEを見に来たのに、藍子の声を邪魔だなんて思ってしまった。 聞き落としそうになる声を、ぜんぶ、拾ってあげたい。 ぽん、と背中を叩くと、柚はブルブルと体を振った。加蓮の手を払うように、ぱっ、と身を捩って、どこかへ歩いていこうとして。手を前に出して、探しものをしているように振って。 とん、と加蓮の横腹に当たる。 「あっ……」 ぼんやりとしていた柚の表情に、彩りが戻ってきた。 「あ、あれっ? アタシ何やってるんだろ……わわっ加蓮さん!? ど、どしたの。柚なんか変なことしちゃった?」 「…………アンタ」 「……恐い、恐いよ、加蓮サン…………そんな目で見ないでよ」 「…………」 冗談で、恐がられたことはあった。悪役のような高笑いをしたことだってある。 でも、こうして本気の怯えを見せられたことはない。 柚が相手というだけではなく。人からこれほど怯えられたことも――これほど怯えた人を見たことも、加蓮は初めてだった。 『――秋の紅、青い空へ 私の心を吸い込むように♪』 意識に、歌声が入り込んでくる。 藍子の、1番のサビ。"秋"の"あ"に、ほんのちょっとだけ棘が混じった。 きっと他の人には分からない程度の抑揚。けれど藍子と飽きるほど会話をしている加蓮なら分かる。 藍子は怒っている。ここは自分の舞台なのだから、自分を見て欲しいと訴えかけている。 体ごと正面を向いてみたけれど、でも、落ち着かない。 そわそわする。 今は、柚を見ていなければならない気がする―― 「……みんな、すごいね」 それなのに、藍子のLIVEは、1度見てしまうともう目が離せないほどの、力と、心が、宿っていたから。 いつの間にか、自分の右隣に誰がいたかなんて、意識から削り落ちていって。 柚が最後に呟いたことさえも、するっと脳から抜け落ちて、何かを返すこともできなかった。 「お疲れ様、藍子」 「…………」 LIVEが終わってから、加蓮は藍子の楽屋へと訪れた。 顔に僅かな汗を残す藍子は、それまでずっと柔らかい笑顔を見せていたのに、加蓮から声をかけられるなり、む、と唇を尖らせた。 藍子のやることだからさほど恐くはないけれど――少なくとも柚が自分を恐いと言う程ではないけれど――、心が、きゅっ、と痛む。 「……ごめん。そういうつもりじゃ……なかったんだけど」 「いえ、いいんです。加蓮ちゃん、もうずっと前から、柚ちゃんを気にかけてますもんね」 「私――」 「でも、今日は……ちょっとだけ、私の方を見て欲しかったな……」 「…………ごめん」 口の端が震える。藍子が弱々しく笑っているからまた罪悪感が膨れ上がる。まだ詰め寄ってくれた方が、詰ってくれた方が気が楽になるのに。 気まずい空気に次の言葉を探して、ごめん、と、それ以外に言う言葉が見つからなくて。 やがて藍子が、ふふっ、と笑った。 「なんてっ。たまには拗ねてみちゃいました。もう、加蓮ちゃんのばかっ」 明らかな作り笑い。明らかな強がり。 それを分かっておいて、顔を上げて、目を合わせて。馬鹿でごめん、と目を伏せたら、ばかっ、と笑い混じりに言われた。 もしかしたら自分はどこかで藍子に甘えていたのかもしれない――何をしても許してくれるから、と。 藍子は加蓮の道具ではない。 1人の人間なのだと。 どこか忘れていたのかもしれない。 「罰として、この後カラオケに付き合ってくださいっ。なんだか、まだ歌い足りなくて」 「……今日は聞き専だね」 「今日はマイクを離しませんっ」 「うん。ほら、外で待ってるから、後片付けしてきなよ。汗だくで行ったら失礼だよ?」 「そうですね。じゃあ、ちょっとだけ待っててください」 藍子がくるっと後ろを向いて、歩いて行く。 その姿を見送って、加蓮は楽屋から外へと出た。太陽が少し弱々しくなっていた。見上げれば、薄い雲が何重にも重なっていて、藍子のLIVEが終わったからやる気をなくしたのかななんて思ってしまった。 ……そうして回想すると、どうしても、喜多見柚という少女が意識の中に入り込んできて。 『……みんな、すごいね』 あれは何だったのだろう。 考えている間に藍子がやってきて、考えるのはおしまいになってしまったけれど。 あれは、何だったのだろう。 |
掲載日:2015年8月30日
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